さて今回のコラムは、一世を風靡したバンドを解散後、高原でキャベツを育てながら隠居生活を送るミュージシャン “花火”(山崎まさよし)と、ダンサー志望の少女 “ヒバナ”(真田麻垂美)の、ひと夏に起こった出会いと別れを寓話的に描いたラブストーリー『月とキャベツ』(1996年公開)について語ってみる。合わせて物語の核となる劇中歌「One more time, One more chance」についても。
そんな緩やかな時間が流れてゆくうちに、花火は今まで書けなかった新しい曲を書き始める。そこには “花火の曲で踊りたい” というヒバナの願いもあるのだろう。そう、ヒバナは花火の創作意欲に火をつけたのだ。そして、その曲こそが、この物語のファクターである「One more time, One more chance」なのだ。
「One more time, One more chance」とは、山崎まさよしの物語である
これ以上何を失えば 心は許されるの どれ程の痛みならば もういちど君に会える One more time 季節よ うつろわないで One more time ふざけあった 時間よ
劇中で、悩みながらメロディが紡がれてゆき、物語が進むにつれ徐々に形になってゆく。すでにお気づきだろう… 曲の歌詞そのまま映画のストーリーなのだ。物語の終盤、ヒバナは花火の前からいなくなる。花火は、ヒバナが消えてゆくその瞬間まで “好き” と言うことはなかった。歌詞にある「♪言えなかった「好き」という言葉も」とは言わずもがな、そういうことだ。もはやこの映画は「One more time, One more chance」に合わせた壮大なミュージックビデオと言っても過言ではないだろう。
さて、この物語の世界観を演出した「One more time, One more chance」だが、この曲は驚くことに映画のための書き下ろしではない。実はこの歌詞、山崎自身がなかなかデビュー出来ずに悶々と過ごした時代を ''悲哀のラブソング'' として喩えたものなのだ。この映画は「One more time, One more chance」を脚本に活かして、ひと夏に起こった出会いと別れを描いた作品である。ただ、この曲の歌詞に託された真意を鑑みれば、映画のそこかしこに山崎まさよし本人の悶々とした日々が見え隠れする。歌詞中の “君” とは “俺” であり、それは素直に音楽に打ち込む愛すべき自分のこと… なかなかデビューが決まらないことで、見失いつつあった無邪気で自由奔放な自分の姿なのだ。つまり『月とキャベツ』はひと夏の幻影という切ないラブストーリーであると同時に、山崎自身の心模様を描いた作品に思えてならない。
映画のラスト… 花火は完成した「One more time, One more chance」を絶唱する。このシーン… 打ち上げ花火が夜空を輝かせ、キラキラと尾を引く星(火花)が静かに消えてゆくような演出だった。『月とキャベツ』… 夏の終わりにぜひ観てもらいたい映画である。