2026年にデビュー55周年を迎えたイルカ。これを記念して、過去68作品が一挙デジタル配信された。今回のラインナップは、1974年10月25日に発売されたイルカのソロデビュー曲「あの頃のぼくは」、1979年に渋谷公会堂で開催されたライブ音源『あしたの君へ』など全68作品。これまで配信されていなかった名曲たちもほぼすべて聴けるようになっている。
同時に、その歴史を辿るシリーズ『イルカ アーカイブ』の第10弾として、CD『イルカ アーカイブ Vol.10「Any Key OK‼」「ちいさな空」』もリリースされた。そこで、Re:minderではイルカにインタビューを敢行。長いキャリアの中から今回初配信となる楽曲や、多くの人が知る名曲、アルバム未収録のシングル曲などを中心に、楽曲誕生エピソードの数々を聞かせてもらうことにした。
伊勢正三が書き下ろした「あの頃のぼくは」でソロデビュー
―― イルカさんは1971年にシュリークスのメンバーとしてデビューしています。その後、1974年に「あの頃のぼくは」でソロデビューされますが、この曲は伊勢正三さんの作詞・作曲ですね。
イルカ:私は正やん(伊勢正三)のいた、かぐや姫と事務所もレコード会社も一緒でした。もともと私はかぐや姫に移った山田パンダさんの後を引き継いでシュリークスに入ったので、かぐや姫の妹分みたいなところがありました。それで、私がいよいよソロで世に出る際に、かぐや姫の3人―― 南こうせつさん、パンダさん、正やんがそれぞれ1曲ずつ、私のファーストアルバム『イルカの世界』に曲を書いてくれたんです。その中でも、正やんの作った「想い出の駅前広場」がスタッフの間で評判になり、デビューシングルのために「あの頃のぼくは」を書き下ろしてもらったんです。
―― 自作曲でデビュー、という予定はなかったんですか。
イルカ:私の作る曲は、生き物のことを歌った曲などメッセージ性の強い歌が多くて、一般にはわかりにくいと言われていたんです。
スタッフには “いわゆるノーマルなラブソングを歌えるのか?” という不安もあったようで、そこに正やんの曲がフィットしたんです。その後に私が「なごり雪」を歌うきっかけになったとも言えますね。
悩める中学生の手紙から生まれた「風にのせて」
―― シングル2作目の「風にのせて」はイルカさん自身の作詞・作曲です。
イルカ:これは私が、ニッポン放送『オールナイトニッポン』のパーソナリティをしていた時、お悩み相談のコーナーに、分厚い封書のお便りが届いたんです。中学2年の男の子からで、そこには “ずっと悪いことばかりしてきた。僕なんか死んでしまった方がいい” とかなり深刻なことが書かれていたんです。でも、私は何もしてあげられないな…… と思っていると、ふとひとつの情景が浮かんで言葉が出てきて。そこで「♪風にゆれてる花が 君には見えますか?」というフレーズを添えて、いろいろなことがあるけれど自分のことは好きになって欲しいな、と短い手紙を送ったんです。そうしたら2ヶ月ぐらいして、その子から “ありがとう!” という返事が来ました。
―― ラジオの力、アーティストとリスナーの距離の近さを感じさせる話ですね。
イルカ:その話をラジオのスタッフにしたら “リスナーの中に、そういうことを思っている子はいっぱいいるよ” と言われました。そこでスタッフから “彼はイルカの言葉に救われたんだし、それを膨らませて歌にしたら?” と提案されました。最初は曲にしてリリースすることに抵抗がありましたが、それを聴いて救われる人がいるなら、と思って歌にしたんです。今でも時々歌いますが “この曲が大好きです” という声を聞きます。その1曲を聴いただけで気持ちが変わってくれるなら、私も作った甲斐がありました。
夫の提案から始まったイルカの「なごり雪」
―― 次が大ヒットした「なごり雪」ですが、もともとはかぐや姫の『三階建の詩』というアルバムに収録されていた、伊勢正三さんの作品でした。これをイルカさんが歌うという提案をしたのは、プロデューサーでもあるご主人の神部和夫さんだったそうですね。
イルカ:はい。私はかぐや姫の出番の前に、ステージに立っていて、自分の出番が終わるといつも彼らのライブを舞台袖から見ていたんです。その時、かぐや姫が「なごり雪」を歌うと会場の空気が変わるのを感じていて、これは普遍的な名曲だと思っていました。かぐや姫が解散することになって、この曲がもう歌われなくなるとわかり、夫が “イルカに歌わせてもらえないか” とかぐや姫に提案したそうです。私は、こんなに大事な曲を自分が歌うことに抵抗がありました。でも、レコーディングの当日に正やんから “イルカが歌ってくれたら僕は嬉しい” と言われ、迷いがなくなりました。
――「なごり雪」のシングルバージョンは松任谷正隆さんがアレンジされています。
イルカ:あの時代はアルバムとシングルを別々に作っていたんですよ。アルバムに入れてしまうともったいないから、どっちも売れるようにしようという意図があったみたいです。松任谷さんから “僕のアレンジャーとしての最初のヒットは「なごり雪」でした” と言われたことがあります。イントロも素晴らしくて、松任谷さんのアレンジはすごく大きな力になりました。
―― 2002年のアルバム『こころね』でも、松任谷さんが「なごり雪」のリアレンジを施されています。この2002年バージョンも、同時に発表された韓国語バージョンも今回、配信となりました。
イルカ:この時は、単なるベスト盤にするのはつまらないので、元のアレンジャーに再びお願いする、という酷なオファーをしました(笑)。松任谷さんはすごく悩んだそうです。その頃、私の夫の具合が悪くなり旭川でリハビリのために入院していたので、“神部さんが元気だったらどれだけイルカのプロデュースをしたかったろうと思うし、そんな気持ちが重なって、そのイメージでイントロを作った” とおっしゃってくれました。
タブレット純がきっかけで再び歌うことになった「君は悲しみの」
―― 次のシングル「君は悲しみの」は、女性が泣いていることに男性は気づいていなかった、自分のことしか見えていなかった、という男の後悔を歌っている名曲です。
イルカ:「なごり雪」の次のシングルなので、“絶対に売れる曲を作れ!” とすごいプレッシャーをかけられて(笑)。それなら “ラブソングを作ろう、日本人はハッピーな曲より失恋や哀しい思いを歌った方が届くかな” と思いながら作った曲です。この時、私は結婚していましたが、恋人や夫婦の心のすれ違いを男性側から書いてみたんです。“夫にこう言って欲しかったな” という思いを重ねながらね(笑)。その後、特に理由もなく、長いこと歌っていませんでしたが、再び歌うきっかけとなったのはタブレット純さんなんです。
―― いきなり意外な方のお名前が!
イルカ:彼の講座に呼ばれて行った時、壇上で “僕は「君は悲しみの」という曲が好きなんです。この歌を初めて聴いた時、なんて僕の気持ちをわかってくれるんだろうと思った” と突然話し始めたんです。“そういう経験があったの?” と訊くと躊躇わずに “あります” とおっしゃって。その時、私はタブレットさんに、素の人間を感じました。お客様の前で話すのは勇気のいることですし、それで次のツアーから歌い始めたら、スタッフの男性陣が涙、涙になっちゃって。歌詞の内容が身につまされるみたいで、多分奥さんが言いたくても言えなかったことを私が歌ったんですよ(笑)。号泣して心が浄化される、そんな曲になりました。
ロサンゼルスで録音された「雨の物語」
―― 1977年の「雨の物語」はアルバム『植物誌』の先行シングルとして発表。これも伊勢正三さんの楽曲でした。
イルカ:せっかくのロサンゼルス録音だし、目玉になるシングル曲が欲しいということで、私自身の世界とは別のイメージで “正やんに曲を依頼したらどう?” という話になって、夫がお願いした曲でした。正やんも一緒にロスに来てくれたんですよ。“ラスベガスのホテルで寝ないで作ったよ” と言っていました(笑)。
――『植物誌』は、デヴィッド・リンドレーやラス・カンケル、クレイグ・ダーギー、リーランド・スカラー、フレッド・タケットなど演奏メンバーも豪華ですね。
イルカ:リンドレーさんはジャクソン・ブラウンと来日した時、一緒にステージをやったこともあります。それ以来、しばらく彼らとアルバムを作っていました。1983年にはこのメンバーに来日してもらい、日本武道館でもライブをやって、『BIG CHALLENGE』というライブアルバムも出しています。
イルカの世界を広げた鈴木茂
―― 1980年には「十九の春に」というロマンティックなラブソングも発売されています。
イルカ:これは私のリアルな話で、19歳の春に結婚しようと決めたので、そのことを書いたんです。私は、子どもが生まれてからラブソングを書くのが楽しくなったんです。自然に書けるようになったので、それなら自分のリアルを一度歌ってみようと思ってこういう曲になりました。
この曲で初めて、鈴木茂さんにアレンジしてもらいました。当時、茂さんは同じクラウンの所属で、ディレクターも同じ方でしたが、その方に推薦されてすごくいいアレンジをしてくださり、感激しました。今までにない、イルカの世界を広げてくれたと思っています。実は私の全部の楽曲の中で、茂さんのアレンジが一番多いんですよ。
彼の音楽性、音に対する姿勢に惚れ惚れするんです。時間無制限でこだわる職人気質なところ、スタジオに真空管を運んで来てセッティングに半日かけたり、そういうところが大好きなんです。数年前からまたアレンジをお願いしているんですが、最初の頃とまったく変わらない。いいものを作りたいという力はすごいです。
小田和正がアレンジを手がけた「夜明けのグッドバイ」
―― 次のシングル「夜明けのグッドバイ」は1980年のアルバム『我が心の友へ』に収録されている曲ですが、アレンジは小田和正さん。これに続く、1981年5月25日に発売されたシングル「Follow Me」でも小田さんがアレンジを手がけています。
イルカ:この時、私はデビュー10周年の記念に、ニューヨークでのレコーディングと、日本武道館での公演が決まっていたんです。アレンジは木田高介さんに依頼していて、木田さんは私のコンサートのバンドマスターでもあったんです。だけど、事故で突然亡くなられてしまい、もう私はどうしていいかわからない、歌えない……。そんな時に、夫がオフコースの事務所で仕事を手伝っていたことから、小田さんに相談したんです。ちょうどオフコースがロサンゼルスで録音することが決まっていて、滞在を延ばし私のアルバムのアレンジも引き受けてくれたんです。それでできたのが『我が心の友へ』というアルバムでした。「夜明けのグッドバイ」はその中の1曲です。
次の「Follow Me」の時も、小田さんから “絶対に自分で曲を作れよ” と励まされて、そのうち旅先にまで連絡が来て “曲、できた?” と(笑)。曲を提出すると家庭教師の先生みたいに添削してくれて、そんなやりとりの中で生まれた曲です。
ドラマ「オサラバ坂に陽が昇る」の挿入歌になった「風にのせて」
―― これも今回が初配信ですが、1983年にリリースされたシングル「LOST LOVE」のB面に収録されている「風にのせて」。先ほどお話のあった、1975年に発表した2枚目のシングルの再録音ですね。
イルカ:これは、私が出演したTBSの『オサラバ坂に陽が昇る』というドラマの挿入歌で、ドラマのプロデューサーから “どうしても出て欲しい” “準主役でお願いします!” と言われたんです。その後、「風にのせて」を挿入歌にしたいとも言われ、再録音したんです。
―― 少年教護院のお話でしたし、曲はドラマの世界観にぴったりだと思います。演技は初経験でしたが、いかがでしたか。
イルカ:向いてないです(笑)。私、決められたセリフを覚えるのが苦手なんです。好き勝手に喋っていいならできるけれど、演出家の方に “鼻をもうちょっと前に出したところでセリフを言ってください” って言われても、オタオタしちゃってセリフが飛んじゃうし。それに、音のない現場って辛いですね。ただドラマの現場は待ち時間がすごく長いので、みんなが仲良くなるのがわかる気がしました。でも、もうお芝居は1回でいいかな(笑)。(前編・了)
インタビュー後編では、さらなる可能性を広げていったイルカの音楽活動について、1980年代以降の諸作品や、実の父であり、テナーサックス奏者の保坂俊雄との心温まるエピソードを中心に伺っている。明日もどうぞお楽しみに。
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