わらって わらって わらってキャンディ
なきべそなんて サヨナラ ね
キャンディ キャンディ
女の子向けのテレビアニメで、頭から最後までしっかり歌える主題歌は、自分の場合、正直この「キャンディ・キャンディ」だけである。当時、小学生だった僕は4歳年下の妹の隣に陣取り、チャンネルの奪い合いもせずに一緒になって夢中でテレビにかじり付いていた。
「おチビちゃん、きみはないている顔より、わらった顔のほうがかわいいよ。」
小さな丘の上で泣いていたそばかすの少女は、スコットランドの民族衣装をまとった美しい少年に声を掛けられる。通りすがりの彼を少女は “丘の上の王子様” と呼ぶことにした。
少女の名前はキャンディス・ホワイト―― ミシガン湖から程近い場所にある孤児院、ポニーの家の前に捨てられていた孤児である。
キャンディは優しい先生たちの愛情に包まれながら明るくお転婆な少女へと育っていく。いつか養女として引き取られることを夢見ていたが、大富豪ラガン家の娘・イライザの話し相手、使用人として引き取られることになる。
ラガン家ではイライザやその兄ニールから陰湿ないじめを受けるが、けして彼女は笑顔を絶やさない。心の支えとなるのは、丘の上で出会ったあの王子様との思い出である。
馬屋番としてたったひとり馬小屋で生活をさせられたり、泥棒の濡れ衣を着せられメキシコへ売り飛ばされそうになったりと大映ドラマも驚くエピソードの連続。逆境の中で健気に生きる少女がどうなってしまうのか、そうした運命の悪戯に僕はその都度、振り回されるのであった。
当時、講談社の少女漫画雑誌『なかよし』で連載されていた『キャンディ・キャンディ』は、少女たちだけでなく、確実に少年たちの心をもつかんでいた。連載が始まって2~3年が過ぎ、中学生になっても、妹が買ってきた雑誌をこっそりと読み続け、僕はその世界にどっぷりと浸っていた。
明るく健気でやさしいキャンディとの疑似恋愛―― 時には “丘の上の王子様” と瓜二つの美少年アンソニー。またある時は影のある不良少年テリーになり切って漫画を読んでいる姿は、かなり気持ち悪かったに違いないが、面白い作品にハマるということは今も昔もそういうことなのだ。
だから、連載とテレビ放映がほぼ同時に終了した1979年2月、僕は得も言われぬ喪失感に打ちのめされてしまった。それは、福山雅治が結婚した時に囁かれていた福山ロスや、人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)終了によるガッキー(新垣結衣)ロスに近い… そう “キャンディロス” である。こうなると、胸にポッカリと空いた穴を埋めるために仕方なく原作本を何度も繰り返して読み、気持ちを誤魔化すしかない。
そうして幾度となく漫画を読み返すことになるのだが、そこには永遠に続く悲恋のループが待っている。
いくら登場人物に感情移入したところで、愛し合う二人が永遠に結ばれないという物語は変わらないのである―― 当然のことながら、僕はその時々でアンソニーとなりテリーとなりながらキャンディとの悲恋を何度となく繰り返す訳だ。
そんなことだから、頭の中は堀江美津子さんが歌うエンディングテーマ「あしたがすき」の静謐さと哀しみで一杯になっている。そして、最後はいつも前向きなキャンディだけが美しく成長して去って行き、自分だけが一人、その場に取り残されてしまうのである。
ああ、キャンディ… ごめんよ。君の王子様になることが今回もまた出来なかったよ。トホホ。
歌詞引用:
キャンディ・キャンディ / 堀江美都子 ザ・チャープス
※2017年1月23日 に掲載された記事をアップデート
2018.08.26
YouTube / 真壁蘭世
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