1967年2月、ザ・タイガースのリードボーカルとしてデビューし、2017年にデビュー50周年を迎えたジュリー。
同年7月~2018年1月にかけて『沢田研二 50周年記念LIVE』を敢行し、懐かしのシングルから最新楽曲まで、50曲をワンコーラスずつ歌うという趣向で世間をあっと言わせたニュースはまだ記憶に新しい。初日に丸刈りで登場したというエピソードにもしびれまくりだった。
そして2018年6月25日、沢田研二は70歳! 7月には武道館を皮切りに、なんと全66本の記念すべき古希ツアーをスタートさせるという。すごすぎるよジュリー! おめでとう!
半世紀以上にわたるジュリーの歴史の中で、1番好きな年と言うなら、私は迷わず1979年を選ぶ。石野真子に「ジュリーがライバル!」と歌われ、今もカルト的人気を誇る主演映画『太陽を盗んだ男』が公開され、そして「カサブランカ・ダンディ」が、ザ・ベストテンで最後の “一等賞” を記録した、そんな1979年。私は小学校6年生だった。
テレビから流れてきた「カサブランカ・ダンディ」を初めて観た衝撃は忘れない。パナマ帽をはすに被って耳に花を差し、白いシャツにジャケット、赤いネクタイに細身のジーンズとブーツ。ジッパーはゆるく下げられ、そこにはウイスキーの小瓶がねじ込まれている。
肌が粟立った。あまりに色っぽくて妖艶で、もう鼻血ブーだった。そして、ウイスキーの瓶から水を口に含んでのスプラッシュ技!
きゃあああ! ジュリー!
いくら母から「宿題やりなさい!」と怒られても目がブラウン管に釘付け。「サムライ」や「ダーリング」など、彼のファッションはどれも妖しく中性的な魅力にあふれていたけれど、これほど色気を感じたことはなかった。思えばあれが私のヰタセクスアリスだったのかもしれない。
小学校高学年の学期末は、必ずクラスでお楽しみ会があった。クイズや手品などを皆の前でグループで順番に披露するアレである。私のクラスは問題児の集まりだった。事ある毎に騒ぎを起こし、何度も父母会が開かれ、担任に嫌われていた私は騒ぎの張本人として糾弾され、母は針のむしろ状態だったと今も愚痴を言う。でも私にとっては楽しい学級で、お楽しみ会も盛り上がった。
そこで、女子人気No.2だった悪ガキМ君が「カサブランカ・ダンディ」のモノマネをやったのだ。酒瓶をジーンズに差し、ジュリーになりきってラジカセをかけながら歌い、スプラッシュ技を教室の床の上に盛大にキメた。女子狂喜! 大喝采! だが当然怒られるハメになり、最後は皆で雑巾掛けをした。
そんな風に子供がワクワクして真似をするほど、ジュリーは社会現象だった。結局水吹きパフォーマンスは「子供達がマネをして見苦しい」との苦情から封印されたそうだ。テレビが絶大な影響力を持っていた時代のわかりやすいエピソード。くたばれPTA!
それから日本は1980年代を迎える。元旦、ジュリーは新たな時代を切り開くかのように新曲「TOKIO」を発表し、お正月ドラマで妖しいまでに美しい光源氏を演じている。
艶やかに話題を振り巻き、新しい情報に敏感でファッショナブル、どんなカルチャーも渡り歩き、男女問わず彼を愛さずにはいられない。日本のデヴィッド・ボウイは間違いなくジュリーなんである。
以前から勝手に提唱しているのだが、いっそ沢田研二展をやってくれないだろうか。古希という節目の年にふさわしく、誰もが魅了され続ける華やかな衣装やこぼれ話の数々、是非堪能してみたい♡ 願わくば、志村けんとのヒゲダンスよもう一度。私はあきらめていない。
お願いジュリー!
※2017年1月22日に掲載された記事をアップデート
2018.06.25
YouTube / Sexy0Shori
Information