今年2018年は、岡田有希子の33回忌。
そして―― 今日8月22日は、彼女が生きていれば51歳の誕生日である。
高2になる新学期前、床屋で聞いたラジオから流れてきた第一報は衝撃的すぎていまだに忘れらない。
特に熱烈なファンだったわけではないが、現役トップアイドルが何の前触れもなく自ら命を絶つなどという事は僕のみならず誰もが信じられない出来事であり、生涯忘れられないという人も多いと思う。
33回忌である今年の命日、僕は四谷四丁目の旧サンミュージック本社前を訪れた。昼間はそれなりに人がいそうだったので、それを避け夕暮れ時に…
当時と変わらないそのビル。屋上のクリナップの看板。そこにはいくつかの花や品が供えてあった。噂によると、命日に供えられた花や品は、毎年ファンが名古屋のお墓に持って行くらしい。おそらく、その撤収が終わった後、これらは供えられたものだろう。日曜日の夕方とはいえ、それなりの交通量がある場所だから手を合わせるのもはばかられ、交差点を渡った地点からビルに向かい目を閉じて冥福を祈った。
1984年4月21日に「ファースト・デイト」でデビューした彼女の印象は、その曲調もあって「可愛いんだけど、おとなしくてちょっとネクラ?」という感じ。名古屋出身というプロフィールも高1だった自分には「謎の女」に見えた。
僕にとってのアイドルとは「年上で憧れの対象」だったから、「発破かけたげる~、さあカタつけてよ!」とイキる明菜に “Zokkon!命”。ちょっといなたい印象の岡田有希子には、あまり触手は動かなかった――
今改めて見るその清楚さ・清潔感は他のアイドルと一線を画すが、いかんせん当時まだ中3とか高1だから、「俺が守るんだ!」といった甲斐性はなく、強くて色気のあるお姉様に憧れるのもしょうがない。同年デビューのアイドルでは、僕と同い年だった菊池桃子がイチオシで、「叔母がやってる青山のレストランに飾ってあった写真を事務所の人がたまたま見てスカウトされた」という嘘か本当か分からない出来すぎたデビューのきっかけもまた、当時の空気感そのものだった。
一方、デビューした時点で既に終了していた往年の人気番組『スター誕生!』出身の岡田有希子には、アイドルエリートなんだろうけど、なんとなく時代遅れ感を感じていた。
そんな僕でも「岡田有希子、ちょっといいかも」と思った歌がある。それは84年9月21日に発売された3枚目のシングル「Dreaming Girl 恋 はじめまして」だ。
「ファースト・デイト」「リトルプリンセス」に続く、竹内まりや三部作の締め。新人賞レースに賭ける勝負曲であり、圧倒的に露出が多かったし、「はじめまして」というタイトルからこの歌がデビュー曲だったと勘違いしている人もいるようだ。
いや、個人的にはこの歌が彼女のデビュー曲のようなものであり、岡田有希子がどういう人格(キャラクター)なのかをよく表している秀逸な自己紹介ソングだと僕は思うのだ。
もちろん「伊代はまだ~」とか「1967年4月生まれ~」といったあからさまな自己紹介ソングではないけど、その歌の主人公と岡田有希子という歌手のイメージ、そして佐藤佳代(本名)の性格がすごく一致しているように思えるのだ。そこんとこをちょっと解説してみたい。
歌の内容は「Dreaming Girl」という副題がついている事からも分かるように、夢見る乙女が恋に目覚めるという設定の歌。
ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ
いつまでも子供だと思わないでおいてね
から始まる、母親にも子供扱いされるようなおとなしく従順な高校生が主人公。だけど、私の意思や気持ちを分かって欲しいという彼女の姿が見え隠れし、その自己主張はサビで高らかに歌われる。
恋したら誰だって きれいになりたい
素敵なレディに変わる日を夢みてる
そもそもこの歌には彼の人物像や彼との関係性は全く出てこない。あくまで、「恋をしたからきれいになりたい。素敵になりたい」という自己主張と「なぜママは分かってくれないの?」という母親への不満が描かれた実にリアルな歌なのだ。
ロケットにしのばせた 写真を見つめながら
今日もまた ため息で
ひとこと “おやすみ”
ママには内緒のロケット型のペンダント(?)にしのばせた写真にため息をついたり――
真夜中のテレフォンも許してくれない
いつになったなら 自由に会えるのかな
と夜の電話も許されず、門限も厳しいらしい。父親ではなく母親の管理が厳しいというのがアイドルソングとしてのキモで、これが親父の厳しい管理下に置かれていたらファンたる青少年も退散してしまうだろうし、娘と父親の軋轢は『積木くずし』のようにあまりにリアルで歌にはならない。
話はちょっとそれるが、松田聖子が「私はエイティーン」と歌った自己紹介ソング「Eighteen」、そちらの内容は――
夢の中に出てきた
あなたはとても素敵
と夢の中のお話で、実際には――
だから私は遠くでいつも見ているの
と付き合うどころが告白もしていない。あくまで夢の中で勝手な幻想を膨らませるロマンチストの歌だ。いかにも松田聖子。「ビビビッと来た」のも無理はない。
この当時、松田聖子は18歳と7ヶ月。岡田有希子が「恋 はじめまして」を歌ったのが17歳になりたて。両者ともデビュー3枚目のシングルに収められている歌で、イメージを確立するには絶好のタイミングだが、既に彼とは付き合っている岡田有希子の方がずっと進んでいるし積極的だ。
夢の中で「とても好きよ好きよ」と叫ぶロマンチストな松田聖子と、「いつになったなら 自由に会えるのかな」と歌うリアリストな岡田有希子。このイメージの差はとても大きい―― 岡田有希子はデビュー時『ポスト松田聖子』と呼ばれていたが、対極的に違うと思う。
その後、二人のイメージは「松田聖子=リアリスト」「岡田有希子=ロマンチスト」に変遷していったような気がするが、実像は松田聖子がほどよくロマンチストであり、岡田有希子はリアリスト過ぎたのではないかと思う。
話を「恋 はじめまして」に戻そう。
実はこの歌、テレビで歌われるアレンジ(構成)では最大の見せ場が削られている。母親の厳しい管理下に置かれている主人公がママの目を盗んで化粧をするシーンである。
鏡の前にすわり ふるえる指でそっと
口紅をつけたこと ママには内緒よ
ここを歌わなければ、ただ母親の管理に屈服し、不満を募らせるだけの非力な少女になってしまう。マニキュアさえおあずけなママの目を盗んで口紅を塗るというこの行動力は佐藤佳代そのものではないだろうか?
当時、僕はテレビでの岡田有希子しか知らなかったから、母親の厳しい管理に不満を募らせるただのおとなしく従順なアイドルだと思っていた。でも、実際はこの「削除されたフレーズ」こそが岡田有希子の魅力なんだと思う。
彼女が芸能界デビューをするための条件として、両親から課せられた難易度の高い学業の成績をクリアして了承を取り付けたというのは有名な話――「尊敬する歌手は?」と聞かれ、嘘もおべんちゃらも言えず「河合奈保子さんです」ときっぱりと答えたエピソード。
岡田有希子、ひいては佐藤佳代の魅力と言うのは、意志をはっきりと持ち、現状に対する不満も明確で、それを打破する行動力も備えた女性… 今更ながらそう思うのだ。
名古屋の東海ラジオで毎週土曜日の深夜に放送されている岡田有希子トリビュート番組がある。『ドットーレ山口のドキドキラジオ’84』―― 医師の山口氏が MC を務める画期的な番組でもう二年半続いている(YouTubeにも公式音源が随時アップされています)。そこで彼が常々話している言葉がある。
「人は二度死ぬ。一度目は物理的な死。二度目は忘れ去られ語られなくなる事」
33回忌は、正式な法要がこれで最後だという事を意味する。二度死なせないためには、これからどう語り継ぎ、聴き継いでいくかが重要だと思う。
今日は岡田有希子51回目の誕生日。51歳になった彼女をお祝いする事はできないが、永遠の18歳で終わってしまったがゆえに、僕らを何の雑音もなく10代の頃に戻してくれる貴重な存在でもある。
僕は昨年、新宿三丁目に店をオープンした。四谷四丁目の交差点からは歩いて20分ほどの距離だ。これで来年も再来年も彼女の冥福を祈るために彼の地を訪れられる気がする。
なんとなくそれだけで、心が穏やかになるのである。
歌詞引用:
恋 はじめまして / 岡田有希子
Eighteen / 松田聖子
2018.08.22
Spotify
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