3月8日

聖子をしのぐ横綱相撲!中森明菜「ミ・アモーレ」大いに評価すべき松岡直也の慧眼

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photo:Warner Music Japan  

80’s Idols Remind Me Of… Vol.28
中森明菜 / ミ・アモーレ[Meu amor e…]


ニューミュージック化する80年代女性アイドルシーン、中森明菜の挑戦


80年代女性アイドルシーンのひとつの特徴として、楽曲のニューミュージック化(今でいえばシティポップ化か)という現象が挙げられる。この現象を先頭に立ってけん引していたのは、間違いなく松田聖子だ。財津和夫、大瀧詠一、呉田軽穂(松任谷由実)、細野晴臣、尾崎亜美らの作曲家を立てた4枚目から21枚目(1982~1985年)のシングル攻勢は圧巻のひと言だった。

そんなニューミュージック化する女性アイドルの横綱として君臨する松田聖子に真正面から果敢に挑んでいたのが、1982年にデビューした中森明菜だ。中森のニューミュージック化が(受け手側・送り手側の両者ともに)明確になってきたのは、細野晴臣が手掛けた6枚目のシングル「禁区」(1983年9月発売/松田「天国のキッス」のおよそ半年後)から。

中森明菜 “脱アイドル化” に向かった決定打「ミ・アモーレ」


以降6作連続で1作ごとに意外な人選ともとらえられる作曲家を立てて、ニューミュージック化の範疇を超えた、様々な音楽ジャンルにアプローチした “楽曲派” に振り切って、松田聖子とのすみ分けを図りながら牙城を崩しにかかっていた。

■ 6th:禁区(細野晴臣)
■ 7th:北ウイング(林哲司)
■ 8th:サザン・ウインド(玉置浩二)
■ 9th:十戒(1984)(高中正義)
■ 10th:飾りじゃないのよ涙は(井上陽水)
■ 11th:ミ・アモーレ(松岡直也)
※カッコ内は作曲家

特に上記6~11枚目のシングルがリリースされた1983~1985年は、作曲家が明らかになる度に度肝を抜かれたものだ。高中~井上~松岡の3連発に至っては、松田聖子をしのぐ横綱相撲っぷりといっていいかもしれない。

この時期のピークはというと最も意外な人選だった「飾りじゃないのよ涙は」ということになるだろうが、ある意味、井上陽水以上に全国民が驚愕を覚えた松岡直也の起用となった「ミ・アモーレ」こそが、中森ニューミュージック化というか “脱アイドル化”(に見える姿勢)に向かった決定打になっていた。

和製ファンカラティーナの最高傑作、作・編曲に松岡直也を起用


そもそもラテンジャズ / フュージョン界の超ベテラン、松岡直也の作・編曲起用は誰もが予想だにしなかった。

細野、玉置、高中、井上らに比したら、一般的知名度は低かったかもしれない松岡ではあったが、ロングセラーとなったAOR/ラテンポップの名盤アルバム『9月の風』(1982年、80’sシティポップを象徴する永井博のジャケ!)を筆頭にいくつかの作品で彼の名は確実に音楽シーンに刻まれていたのだろう。

結果として「ミ・アモーレ」は、松本伊代「太陽がいっぱい」(1983年)と双璧をなす、80年代和製ファンカラティーナ(80年代初頭欧州を中心にクラブシーンを席巻したポスト・ディスコの潮流のひとつ)の最高傑作となった。

「ミ・アモーレ」の最大の魅力は、刹那的、泡沫的な雰囲気に包まれたラテン / 中近東な雰囲気が敷かれているところだが、これぞ松岡ワールドの真骨頂。ラテンテイストとこの時期の中森のマッチングは、実に絶妙なケミストリーを生み出したのだ。

中森明菜 “ラテン / 中近東テイスト・シリーズ” 始まる


そして山下達郎「あまく危険な香り」(1982年)、竹内まりや「PLASTIC LOVE」(1985年)等で引用された、ハーブ・アルパート「ライズ」(1979年)~カーティス・メイフィールド「トリッピング・アウト」(1980年)等で確立された “グルーヴィなブラック・コンテンポラリーのリズムパターン” を隠し味としている点は見逃せない。

80年前後の(今でいう)ブギームーブメントやダンサブルなAORシーンともリンクするこのグルーヴィーなミディアムリズムは、広い意味でのシティポップの一角を形成していたわけで、松岡直也の慧眼は大いに評価するべきだ。

「ミ・アモーレ」はこの後しばらく続くラテン / 中近東テイスト・シリーズのキックオフとなった作品。リミックスバージョン収録の12インチシングル「赤い鳥逃げた」(1985年)までもがオリコン1位となった本作、中森シングルレパートリーの中でも実にエポックメイキングな作品だったのだ。



2021.05.11
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カタリベ
1962年生まれ
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