毎年5月の終わりに江東区の若洲公園で開催されるMETROC(METOROPOLITAN ROCK FESTIVAL)は都心から交通の便もよく、会場もコンパクトでステージ間を移動しやすいのでフェス初心者にも易しい。
今年は5月20・21日。初日のトリは【Alexandros】、2日目はサカナクション。しかし公式HPのタイムテーブルは、サカナクション前の一枠がずっと空欄になっていた。10日前になってもそのままなので、ブッキングミスで穴が空いてしまったのでは、という冗談も聞こえていた。
ところが、である。5月12日夜にアナウンスされたのは、なんと関ジャニ∞だった。あまりに意表を突いた事態にファンは色めき立つが、チケットはとっくに売り切れている。5月13・14日に大阪でもこのフェスがあるので、参加全アーティストの名前が並んだ公式Tシャツのプリントは隠せない。発表のデッドラインだった。
ジャニーズの先輩であるTOKIOは14年にサマーソニックとJOIN ALIVEに出演している。そのときもけっこうな驚きで迎えられ、そして大成功だったと聞く。
だがそもそもTOKIOはデビュー時からバンドだった。関ジャニ∞にバンドのイメージを持っている人は少ないのではないか。ライブではずいぶん前からバンドセットのコーナーがあるのだがファン以外にあまり知られていない。
当日は快晴。フェスのバックヤードは出演アーティストごとにテントが指定され、そこが控室となる。関ジャニ∞のメンバーもその内外でオープンにくつろぎ、談笑している。何年か前に斉藤和義のライブの受付に並んでいたらすぐ前が錦戸亮だったことがある。ひとりで来て普通にZEPPの2階へ上がっていった姿は今のこの違和感のなさと地続きだ。某音楽雑誌の編集長が密着取材だと言って遠巻きにメモをとっている。
Coccoが見事な歌を聴かせきった後、関ジャニ∞の出番が来た。サイドのビジョンに名前が出るとステージ前から絵に描いたような「きゃー!」という歓声。
あぁこんな瞬発力のある「きゃー!」を最後に聞いたのはいつだろう。アイドルへの正しい挨拶はビートルズを例に持ち出すまでもなく古今東西「きゃー!」なのだ。
関係者エリアは満員だ。遊びに来ていたきゃりーぱみゅぱみゅがするりと抜けて前方の人混みに紛れていく。みんな見てみたいのだ。その期待に彼らはちゃんと応えた。
1曲目はインスト。自虐的だったり笑いをとりにいったりするようなMCはせず、毛穴を全開にしてこの状況を楽しもうとしているのが伝わってくる演奏だった。みんなが知っている曲が「ズッコケ男道」以外にもう2曲くらいあればさらによかったと思う。
彼らのフェス進出を笑い飛ばした人たちは、きっとまだバンドの成り立ちに夢を抱いているのだ。教室や楽器屋での出会いから始まるバンドストーリー。
ビートルズが結成されたように、ストーンズのミックとキースが地下鉄のホームで出会ったように。バンドというのはそうあるべきで、アイドルグループが楽器を配分されて始めるものでは決してない。“イロモノ” はことさら憎まれる。
プリンセスプリンセスもその壁と勇敢に闘った。
オーディションで集められたルックス重視の5人。当時は今よりもさらに「女のくせに」という差別意識が強く、「どうせ自分たちで演奏してないんだろう」「詞や曲もゴーストライターが書いてるんだろう」という失礼な声も投げつけられた。
89年のシングル年間トップは「Diamonds(ダイアモンド)」で2位は「世界でいちばん熱い夏」。それでもなおイロモノ視は止まなかった。
そんな雑音はよそに、89年から90年にかけて彼女たちは猛烈に働いていた。休みらしい休みなど1日もなかったのではないか。そういう状態のミュージシャンは他にもいたが、雑誌の撮影とインタビューのために用意されたスタジオには投げやりな空気が漂っていることも多かった。本業は音楽で、取材は雑事にすぎない。
でも5人はいつも気さくで明るく、親切だった。音楽とは全然関係のない思い出話も楽しそうにしてくれた。私は今野登茂子の母親に似ているらしく、3歳しか違わないのに「お母さん」と呼ばれていた。
富田京子が残ったオレンジジュースをバッグに入れて「よし、今夜はこれでスクリュードライバーだ」と帰って行ったシーンも覚えている。
複数のマネージャーがついて幾重にもガードされていたイメージを持つ人もいるかもしれない。でも基本的に彼女たちのマネージャーは売れる前からずっと一緒のIさんだけで、埼玉や神奈川の実家に住んでいたメンバーはいつも大荷物とともにひとりで電車に乗っていた。
大変なのは、5人が集合した状態で修学旅行生と鉢合せしたとき。集団心理で興奮を隠さず走り寄ってくる高校生から逃げるため、東京駅の構造に詳しくなったと笑っていた。
8月に女性バンド初のスタジアムライブを成功させ、待望の5thアルバムは11月リリース。『LOVERS』と題されたそれは、名盤の誉れが高い。
10曲すべて誰もが身に覚えのあるラブソングという意味ではユーミンの牙城をおびやかすものだったし(実際この翌年だったかユーミンと小林麻美が連れ立って武道館に来て、目立つ席で立ちあがって踊っていたという)、取材で会ったB’zの松本孝弘は「なんでこんな素敵なアルバムが作れるんだろう、って嫉妬した」と言っていた。
シングルが収録されていないのにチャート1位、100万枚突破という記録を残し、彼女たちを揶揄する声は聞こえなくなった。
男女の性差を超えようとしたグラムロックも最初はイロモノだったし、楽器を手にしたアイドルに「片手間にできるもんじゃない」と言う人は誰もが授業やバイトやデートの片手間にバンドを始めたことを思い出せばいい。
大学を卒業して就職し、仕事の傍ら続けていたバンドでデビューしたミュージシャンはゴマンといる。オーディションであれアイドルグループであれ、それが天の配剤ならば充分に運命だ。
2017年のMETROCK、関ジャニ∞一行が引き上げようとしたとき、すぐ横のステージでライブをやっているWANIMAが偶然にも「ズッコケ男道」の1フレーズを挟み込んできた。気づいた丸山隆平が「おいおい」と言って立ち止まり、安田章大は嬉しそうに走って見に行った。
こんなシーンはすぐに当たり前になる。30年前よりも今のほうがハードルはずっと低い。プリンセスプリンセスが全力で勝ち取ってきたものに改めて敬意を表したい。
2017.06.17
YouTube / princessprincessSMEJ
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