私は今でも「19 GROWING UP」に不意打ちされると泣きそうになる。大丈夫だよ、とあのとき肯定してもらった心の部分を思い出すからかもしれない。まだ20代で、『タイムズスクエア』『スティッキーフィンガーズ』『マドンナのスーザンを探して』等、NYの破天荒な女の子たちの友情と冒険の物語も自分とそうかけ離れていないように思えた。今は遠くの星に見える。
プリンセス プリンセスが変えたことはたくさんある。自分たちで作詞作曲をしてライブもやって大ヒット曲を出した日本で初めてのガールズバンド。おかげで女の子がエレキギターやベースを持つことが普通のことになった。また、男のバンドの取材現場では置いてある音楽雑誌を見ながら「俺は香派」「いや、きょんちゃんだな」という会話が聞こえるようになり、これがどんなに画期的なことだったかうまく伝えられないのがもどかしい(そんなことはそれまで絶対になかったのだ!)。
ライブもどんどん規模を広げていく。88年4月には渋谷公会堂。そのチケットが2時間で完売したとき、マネージャーのIさん(女性)が男泣きに泣いた話は有名だ。この渋公から私は彼女たちの東京公演を一度も見逃していない。89年1月にはガールズバンド初の武道館。しかも3days。その1年前の88年1月は恵比寿ファクトリー(ライブハウス)2daysだったことを考えると躍進ぶりがわかるはずだ。
武道館で思い出した余談をひとつ。いつだったか忘れたが、武道館で席につくと隣がフィンガー5の晃くん(”あの人は今” 的な番組で見ていたからすぐにわかった)。その向こうには正男くんもいる。ええええええ。小学生の私に教えてやりたい。絶対信じないだろうけど自慢してやりたい。終わってから加奈ちゃんに「ととと隣が晃くんだったんだけど」と言うと「招待したら来てくれたの!」とやはり興奮状態。年齢が近かったためこんな共通項がたくさんあった。
89年4月にはついに名曲「Diamonds」が世に出た。あの素晴らしいイントロだけで心が躍る。楽器は素人同然で、アイドルとして売れてくれればいい程度の期待しかされていなかった5人が生んだ国民的大ヒット曲。巷の流行は小ぎれいな渋カジでも、ロングソバージュ(手入れが楽!)とリメイクしたジーンズは心強い味方だった。この後、ダイアモンドのような場面がいくつもプリンセス プリンセスを待っていた。
2017.02.19
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