10月6日

沢田研二と菅原文太!日本映画屈指の名タイトル「太陽を盗んだ男」のリアリティ

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五月革命、ベトナム戦争が映画に与えた影響とは


映画は、時代を映す鏡と言われる。

1968年のパリ五月革命に端を発する世界的なカウンターカルチャーのムーブメントは、間もなく映画界へも波及。1960年代後半から70年代前半にかけて、ハリウッドはアメリカンニューシネマ一色になった。

『俺たちに明日はない』『イージーライダー』『いちご白書』etc…… それらは、メッセージ性の強い、アン・ハッピーエンドな映画たち。批評家ウケはいいが、大衆には刺さらず、この時期、ハリウッドは観客動員を大きく落とす。

風向きが変わったのは、1975年4月のサイゴン陥落である。ベトナム戦争が終わり、アメリカに戻った元兵士の若者たちは、西海岸でアウトドアスポーツのブームを開花させた。

それと呼応するように、ハリウッドも往年の大衆娯楽路線を取り戻す。75年はパニックムービーの『ジョーズ』、76年はヒーローものの『ロッキー』、そして77年はSF映画の『スター・ウォーズ』と、軒並み大ヒット。ハリウッドは息を吹き返し、そして黄金の80年代を迎える――。

エンタメ志向に舵を切った日本映画


日本において、そんな時代の移り変わりを感じる一本の映画が、今回のテーマである。時に、1979年10月6日―― 即ち43年前の今日、監督:長谷川和彦、主演:沢田研二の座組で封切られた『太陽を盗んだ男』(製作:キティ・フィルム、配給:東宝)がそう。かの映画、中学の理科の教師が自宅のアパートで原子爆弾を作り、政府を脅迫するというストーリー。それだけ聞けば、反政府運動の思想犯を連想するが、なんと主人公が要求したのは「プロ野球のナイター中継を試合の最後まで見せろ」という意外なものだった。

そう、主人公はノンポリだった―― これが、この映画の最大の特色である。それゆえ、観客に大きなインパクトを残した。日本映画が暗く、作家志向だった斜陽の70年代から、エンタメとアニメの80年代に舵を切る分岐点に登場した同映画の時代性が、ここで大きな意味を持つ。

思えば、1979年の日本映画の興行収入で1位となったのは、『銀河鉄道999』(監督:りんたろう)であり、アニメ作品の年間1位は初の快挙だった。同年は他に、『劇場版エースをねらえ!』(監督:出崎統)や『ルパン三世カリオストロの城』(監督:宮崎駿)も封切られたアニメの当たり年であり、角川が『戦国自衛隊』を上映した年であり、ATGが従来の芸術路線をやめて大森一樹や森田芳光ら若手監督路線に転じた年であり―― 要するに、日本映画がエンタメ志向に舵を切ったエポックメーキングの年だった。

その年に、『太陽を盗んだ男』は封切られた。そして、キネ旬(キネマ旬報)の1979年度の日本映画ベストテンの第2位となり、同読者選出の日本映画ベスト・テンの第1位となった。何ゆえ、同映画は観客の心を捉えたのか、そして、日本映画史においてどんな位置づけで語られるのか―― それを、順に紐解いていこうと思う。

映画「太陽を盗んだ男」監督は長谷川和彦


まず、本編の話に行く前に、映画のアウトラインについて少々。となれば、何を置いてもこの人―― 長谷川和彦監督である。何が伝説って長谷川監督、1979年に『太陽を盗んだ男』を監督してから今日に至るまで43年間、ただの一本も映画を撮っていないんですね。1976年に『青春の殺人者』(配給:ATG)で鮮烈な映画監督デビューを飾り(何せ、同年度のキネ旬の日本映画第1位である)、その3年後に『太陽~』を監督して、そこから沈黙の43年間――。これが伝説にならないワケがない。

ちなみに長谷川監督、ぽっと出の新人監督が、いきなりビギナーズラックで当てたワケでもなく、デビューに至るまでも、なかなか壮絶な映画人生だった。生まれは1946年1月、広島の出身である。母親が妊娠5ヶ月の時に被爆し、自身も体内被曝者となった。この辺りのパーソナリティが後年、原爆を題材とした『太陽を盗んだ男』に繋がるのは言うまでもない。

映画業界に興味を持ったのは高校3年の夏と、意外と遅かった。当時、友人の兄が東映の助監督をやっており、たまたま友人の家で話を聞く機会があり、長谷川少年は開眼する。どうしたら映画会社に入れるかと質問すると「ともかく大学に行きなさい」と。そこで、その助監督と同じ東京大学(!)文学部に進学する。意外と知られていないが、当時の映画会社はインテリの巣窟。あの山田洋次監督も藤田敏八監督も高畑勲監督も、東大出身である。

とはいえ、東大に進学するも、就職活動を意識するころには映画業界は斜陽となり、どこも新規採用を控えるようになっていた。途方に暮れた長谷川青年は、巨匠・今村昌平監督の独立プロダクションの門を叩き、難関を突破して採用される。1968年の話である。大学は中退した。

斜陽産業になっていった映画業界で…


だが―― 試練は続く。いよいよ映画業界は斜陽を極め、間もなく大映は倒産、日活はロマンポルノ路線に舵を切る。今村監督自身も仕事がなく、プロダクションは開店休業状態に――。そこで長谷川青年は監督に “出稼ぎ” を申し出て、日活の契約助監督の仕事を紹介される。1971年の話である。

そこから長谷川青年は20代の後半をロマンポルノの助監督と、時にはその脚本まで手掛けるように――。だが、周囲の社員助監督が次々に監督に昇進する中、いつまで経っても契約の身分では助監督のまま。次第に居心地が悪くなり、29歳で日活を追われるように独立する。

長谷川和彦、29にして立つ―― 不安だらけと思われた船出だったが、意外にも、ここから彼の人生が大きく動き出す。

時に1975年、テレビ局のTBSから声がかかる。ドラマ『悪魔のようなあいつ』の脚本の依頼である。原作:阿久悠、演出:久世光彦、主演:沢田研二。この年、時効を迎える「三億円事件」の犯人を主人公とした異色作で、同ドラマの主題歌「時の過ぎゆくままに」(作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)をジュリーが歌って大ヒット。この4年後、自身が監督する映画に彼を起用する伏線になる。

更に翌76年、ATGから声がかかり、念願の映画監督としてデビューする。原作:中上健次、主演:水谷豊、ヒロイン:原田美枝子――『青春の殺人者』である。

先にも記した通り、キネ旬で年間第1位に輝き、「30歳の新鋭映画監督現る!」と評判になる。この3年後、ATGが従来の大物監督による芸術路線をやめて、若手監督主体のエンタメ路線に転じるキッカケを作ったのが、まさに長谷川監督だった。

さて―― 少々、前置きが長くなったが、いよいよあの話に移りたいと思う。

1979年10月、満を持して映画『太陽を盗んだ男』が封切られる。時に、長谷川和彦33歳。まさか、その後43年間にも渡り、映画が撮れなくなろうとは―― そして、公開から時を経るほどに、同映画に魅せられる人々が増えようとは―― 監督自身も含め、この時点で一体誰が予想できただろうか。

短い一文に凝縮させた映画の世界観


「何ものでもない青年が、一人で原爆を製造して、政府にテレビのナイターを最後まで見せろと要求する」

―― 映画『太陽を盗んだ男』のプロット(原案)を作ったのは、アメリカの脚本家レナード・シュレイダーである。2人は以前からの親友で、体内被曝者である長谷川監督の生い立ちを知るレナードが「これは君にしか撮れない映画だ」とプロットを見せたら、これを監督がいたく気に入ったのが、同映画の企画のスタートになった。

それにしても、この短い一文に、既に映画の世界観が凝縮されているのが凄い。ちなみに、この種のアウトラインが明解な作品を「ワン・アイデアもの」と言います。映画『シン・ウルトラマン』の「現実対虚構」もそうだけど、伝えたいアイデアがくっきりしていると、作り手の意図が観客に伝わり、傑作が生まれやすい。

「犯人が無気力な若者というのが、今の時代に似合っている」

―― 長谷川監督は同プロットをそう面白がり、脚本作りに着手した。まさに、それは時代を投影した作品になりつつあった。かつてのカウンターカルチャーから80年代のポップカルチャーに移り行く過渡期ならではの傑作を予感させた。



ジュリーか、ショーケンか… 激しく対立した主人公選び


シナリオを書き進めるにあたり、長谷川監督とシュレイダーが激しく対立したことがあった。監督が主人公の青年を、原爆を作る過程で被爆させようとしたところ、これにシュレイダーは「映画がヒットしない方向に走っている」と反対する。彼は、当時のハリウッドの潮流から、明るく楽しい娯楽映画を目指していた。一方、監督はそれも悪くないとしつつ、それだけでは弱いと感じていた。

結果的に、長谷川監督の意見が通るが、全体の作風は娯楽アクションの域を守っており、そのギリギリのバランスが同映画を2つとない傑作に仕立てたのは紛れもない事実。2人の激論は意味があった。

キャスティングは当初、主人公の教師役にショーケンこと萩原健一を当てるプランもあったという。だが、候補が二転三転するうち、誰からかジュリー(沢田研二)の名が挙がり、前述の通り、ドラマ『悪魔のようなあいつ』で脚本を書いた縁から長谷川監督が本人に打診すると、プロットに興味を示してくれて、快諾。但し、スケジュールが空くまで、そこから1年以上を擁したという。

一方、ライバル役の鬼警部については、当初シュレイダーは三枚目ができるコメディアンを想定していたが(それはそれで分かる気がする。ルパンでいう銭形のキャラだ)、長谷川監督はそれとは真逆のハードボイルドな人物像を提案し、こちらも監督のツテで、菅原文太の起用が決まった。結果的に、どこか非現実的でとらえどころのないジュリー演ずる教師に対して、リアリティーの塊のような鬼警部を演じる菅原文太の対比は痛快だった。

タイトルは、シュレイダーの原案では「The Kid Who Robbed Japan(日本を奪った男)」だったが、監督はこれを「笑う原爆」と日本語タイトルに意訳し、更に配給元の東宝から難色を示されると、原爆を太陽に見立て、「太陽を盗んだ男」に改めた。“太陽” が原爆と日本のダブルミーイングであり、日本映画屈指の名タイトルになった。今日、同映画に対する評価の半分は、このタイトルにあると言っても過言ではない。

シラケ世代? 主人公を演じた沢田研二、抜群の演技


映画のストーリーは、さして難解ではない。ジュリー演ずる主人公の城戸誠は一見、平凡な中学の理科の教師。退屈な日常に飽きているのか、その表情には覇気が見られない。当時流行語にもなった「シラケ世代」を彷彿とさせる。ただ、これを演じるジュリーが抜群にいい。

物語の前半は、そんな彼が、人知れず原子爆弾を作る過程が淡々と描かれる。まず、催眠ガスを使って交番の警官(カメオ出演の水谷豊サン!)から銃を奪い、次に、真夜中に茨城県の東海村原子力発電所内に侵入し、まんまとプルトニウムを盗み出す。銃は警備員らの追跡をかわすための威嚇用だった。ちなみに、この時、原発の内部が描かれるが、床がピカピカ光る、まるでディスコのステージのようなセットで、ちょっと面白い(もちろん、現地は取材できないから100%のフィクションだ)。

この後、主人公の城戸は秋葉原や金物屋などを回って備品を購入し、自宅のアパートで原爆作りを始める。室内には、放射能を測定するガイガーカウンターが置かれ、被爆を防ぐビニールハウスのような空間が作られる。自身は手製の防護服とバイクのヘルメットに身を包み、まるで理科の実験のような手順で原爆が作られていく。

一方、それと並行して、城戸は学校の授業では「原子爆弾の作り方」を生徒たちに教え始める。面白いことに、その表情は以前と違って生き生き。ちなみに、黒板に書かれた数式は全て本物で、長谷川監督曰く「材料さえあれば、実際に我々の手で原爆を作ることも可能だろう」―― だが、生徒たちは、そんな城戸の講義に耳を貸そうとしない。少しずつ壊れていく教師とマイペースな生徒たちの、以前と変わらない日常がちょっと怖い。

そして―― ある日、原爆が完成する。ただ、これを “脅し” のアイテムとして使うには、警視庁にダミー(プルトニウムだけを抜いた原爆)を見せて、本物であることを証明する必要がある。城戸は妊婦に女装して、お腹に原爆を隠して国会議事堂のトイレにそれを置く。そして警視庁に電話をかけ、ダミーを見つけさせた。

「その気になれば、誰にでも作れます。大学生程度の専門知識があれば。材料はすべて、電気屋などで市販されているものばかり。……プルトニウムを除いて」

―― 警視庁の科学警察研究所の博士が、その原爆のダミーにお墨付きを与えた。かくして、城戸は無敵になった。

ライバルの警部役を菅原文太が好演


早速、日本政府に対して要求を突きつける城戸。電話を受けるのは、菅原文太演ずる山下警部である。

「テレビのナイターを最後まできっちり見せてよ」

要求通り、テレビ局にナイターの中継延長を要請する警視庁。だが、いたずらと思われ、まともに取り合ってもらえない。そこで、総理本人から電話を入れてもらうことに。果たして9時―― ナイター中継は続けられた。テレビを見ながら歓喜する城戸。

映画の中盤から後半は、この城戸と山下の電話のやりとりと、その顛末が描かれる。2つ目の要求は、ラジオの生放送中に城戸がディスクジョッキーに電話をかけ、「自分は原爆を持っているから、リスナーに何をしてほしいか聞いてほしい」と相談を持ち掛ける展開に。ちなみに、このDJの「ゼロ」こと零子を演じる池上季実子サンが抜群に可愛い。

結局、2番目の要求は、「ローリングストーンズ武道館公演」に決まった。「一週間以内に新聞発表、3週間以内に実施せよ」と山下に電話で要求する城戸。かくして一週間後、新聞に公演が発表された。

だが、ここから城戸はじりじりと追い詰められる。3番目の要求を自らのサラ金の借金返済にあてるために現金5億円を要求するが、渋谷の東急デパート屋上から電話していることが突き止められる。デパートを包囲する警官隊。ここで、城戸は隣のビルの屋上から5億円をバラまけと山下に要求する。

撮影班が逮捕されたのは、リアリティを追求しすぎたが故?


宙にバラまかれる5億円。地上では歩行者天国の人々が、天から降ってくるお札に群がり、パニックに――。実はロケが行われたのは、渋谷ではなく日本橋の東急デパート。大量のお札のコピーが歩行者天国の時間帯にゲリラ的にバラまかれたのは本当の話で、群衆はリアル一般人だった。撮影班はこの後、逮捕されたという。

映画のクライマックスはカーチェイスだ。マツダのRX-7で逃走する城戸とゼロを10数台のパトカーが追う。首都高を疾走するシーンは壮観で、さぞや許可取りも大変だったろうと思ってしまうが、実はこれも無断のゲリラ撮影。そもそも首都高の貸切撮影に許可が出るワケがなく、勝手に首都高の入口付近にクルマを止め、一般車両の進入を防いでいたとか――。もちろん、こちらも撮影後に逮捕されたという。

ちなみに、テレビドラマの『大都会』や『西部警察』で首都高を大量のパトカーが並んで走れたのは、アレは石原プロだからできたこと。当時、国会議員だった石原慎太郎閣下が手を回して(彼は自民党の運輸族だった)、特別に道路使用許可を取っていたんですね。

そして映画は最終局面―― ローリングストーンズの公演当日を迎える。武道館の前、城戸と山下は直に対面する。そして映画史上に残る、名優・菅原文太による一世一代の名台詞が飛び出す。

「ろーりんぐすとーんずなんぞ、来やせん」

そう、先の新聞発表は警視庁による城戸をおびき寄せるためのフェイクだった。

ここから先は、語るのをやめておこう。既に城戸の体は放射能に蝕まれ、ある意味、彼は自らの死に場所を探していた。この続きを知りたい方は、ぜひDVDをご覧ください。



長谷川和彦は43年先を見通していた? 現代に通じるリアリティ


さて、映画『太陽を盗んだ男』は、僕らに何を伝えようとしていたのか――。

表向きは、荒唐無稽なエンタメ映画である。だが、プルトニウムさえ手に入れれば、市販の材料と大学生並みの知識で原爆を作ることは可能であり、この平和な時代のすぐ隣に危機があるかもしれない可能性を、同映画は教えてくれる。しかも、それを実行するのはテロリストや革命家ではなく、ごく平凡な中学の理科の教師。彼は原爆を使って日本政府を脅すが、その要求はなんでもよかった。ある意味、彼が求めていたのは、今風の言葉で言えば、己の「承認欲求」だった――。

後に、長谷川和彦監督は、同映画の成り立ちについて、あるインタビューでこう語っている。

「映画のラストで主人公が髪の毛をプッと吹くだろう。俺が言いたいことはあれに尽きるな。『原爆が何だ、うるせえバカヤロー。原爆に泣いたりしねえぞ』と。」

興味深いことに、長谷川監督が同映画で問いかけたことは、実は現代に近づくにつれ、むしろリアリティーを帯びている。ある意味、同映画は“今年”作られたと言われても、さほど違和感はない。その意味で、長谷川監督は43年をかけて、同映画を作り続けたとも言える。

2018年、キネマ旬報が発表した「1970年代日本映画ベスト・テン」の第1位が沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』だった。ちなみに2位は、菅原文太主演の『仁義なき戦い』である。

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2022.10.06
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カタリベ
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