生涯聴き続けるバンドとのファーストコンタクト。それがリアルタイムだったのか、後追いだったのかで、思いの馳せ方がだいぶ違ってくると思う。
僕の場合、BOØWY やザ・ブルーハーツは幸運にも、ブレイク寸前で知ることができ、彼らが階段を昇っていく様を間近で観ることができた。だから、個人的な物語として、青く気恥ずかしい十代の心の成長と共に顧みることができる。
例えば BOØWY なんかは、ブレイクのきっかけとなったサードアルバムのリリースが1985年の6月21日。その頃を思い出してみると、高校1年の文化祭でラットやモトリー・クルー、アースシェイカーなどメタルのカバーをやっていた連中が、2年になると、全員 BOØWY のコピーバンドになっていたなんてことがあった。当然、曲目も「RADIO MAGIC」から「Dreamin’」や「NO N.Y.」へと様変わりした。
ザ・モッズやピストルズのカバーをやっていた僕らにしても例外ではなく、BOØWY のスタイリッシュなステージングに一時期夢中になり、すぐさまバンドスコアを手に入れた。つまり、BOØWY は学生服に楽器を担ぎ、文化祭で練習に勤しんだ青春の1ページとして、今も心の奥にそっとしまってあるバンドだ。
これに対して、後追いのバンドはどうだろう。例えば、ザ・ルースターズ―― ストーンズやブルースを踏襲し、研ぎ澄まされた狂気とイノセントの狭間を行く彼らの傑作ファーストアルバムは、確か16歳ぐらいから聴き始めた。もちろん未だに僕のターンテーブルの上に頻繁に乗っかっている。16歳といえば1984年だから完全な後追いである。その頃は『GOOD DREAMS』がリリースされた時期だから、彼らのサウンドは完全に様変わりし、繊細かつ内省的なネオアコースティックなサウンドを取り入れたものになっていた。
そんな時期に、僕はこれでもかというぐらいにマキシマムなロックンロールが詰まったファーストとセカンドアルバムを毎日狂ったように聴いていた。そして、まだ彼らを知る由もなかった80年代のはじまり、初期ルースターズの面々がどんな音楽を聴き、どんなアティテュードを示そうとしていたのか。そんなことばかり考えていた。
そこで出会ったバンドが、彼らの魂のふるさととも言うべきパブロックの帝王ドクター・フィールグッド。確か、18歳ぐらいの時だっただろうか。久保講堂で行われた初期ルースターズのライブ映像がパックされた VHS がリリースされ、そこでギターの花田裕之氏が歌っていたのが彼らの「シー・ダズ・イット・ライト」だった。
僕はここで、パブロックというジャンルの存在を知る。しかし、十代の自分からしてみれば、70年代半ばのフィールグッドしかり、イアン・デューリーしかり、冴えない普段着のようなファッション、なんか垢抜けないな… としか思えなかった。プレイしているサウンドは、パブロックというその名の通り、場末の酒場で即興演奏できるようなアメリカの土着的なブルースに根差したシンプルなものだ―― 十代のガキには、そこに内包されたロック本来の奥深さや無骨な男気を理解することなど、到底できなかった。
しかし、ルースターズはこれをピカピカの最新型として世に放つセンスと演奏力を持ち合わせていた。つまり、ニューウェイヴの真っ只中だった80年当時、彼らは、古臭いと一喝されそうなパブロックにインスパイアされ、それを時代の最先端の音楽のようにブロウアップしたわけだ。ファーストアルバムにおけるこの荒業は、紛れもなく、ロックンロールの初期衝動であり、僕たちリスナーの音楽との向き合い方すら変えてしまう程のパワーを持ち合わせていた。
そして、そんな時代遅れのパブロックが一瞬にして最前衛を突き抜けるときが90年代にもう一度やってくるーー
時は94年。ドクター・フィールグッドのオリジナルギタリストだったウィルコ・ジョンソンが来日、僕は東京公演が行われた渋谷クラブクアトロに出かけた。そして、前座で登場したスーツを着た四人組に釘付けとなる。
様式美あふれるエッジの利いたハイエナジーなパブロック。彼らはルースターズの再来かと思われるほどの熱演を見せる―― ザ・ミッシェル・ガン・エレファント(以下 TMGE)の登場だ。
まだ、ギタリストのアベフトシ加入前の TMGE だった。音楽が多様性を示し、渋谷系という都市型カルチャーが席捲していた94年の渋谷の街で、片隅に追いやられていたパブロックが一気に最前衛に躍り出た瞬間だった。
僕は、それからというもの TMGE の活躍を目で追いながら、デビュー当時のルースターズに思いを馳せていく――
そして、パブロックを礎とした TMGE と同じダイヤモンドのような煌めきが80年代初頭にもあったんだな… なんて、時折感慨深く思ったりするのである。これもまた正しい音楽の聴き方のひとつではないだろうか。
後追いでファンになるということは、過去の音楽シーンの背景も含め、自分が体感できなかった部分に思いを馳せてバンドとの関係性をより深めていくという楽しみがある。これは後追いならではの特権だ。
そう考えると、時としてリアルタイムで知ったバンドよりも思い入れが深くなるというのも至って当然のことなのかもしれない。
2018.09.12
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