細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ⑨
イエロー・マジック・オーケストラ散開
細野晴臣は、イエロー・マジック・オーケストラで活動中の1982年5月21日に、約4年ぶりのソロアルバム『フィルハーモニー』をリリースする。それは、高橋幸宏(高橋ユキヒロ)と共同で立ち上げた、アルファレコードのYENレーベルから発売された第1弾アルバムであった。
レコーディングの際には、ローランドのシーケンサーであるMC-4や、イーミューシステムズのサンプラーであるエミュレーターを導入。いち早くサンプリングを取り入れた作品となった。イエロー・マジック・オーケストラでの活動中は、ソロ活動を行わないつもりだった細野がソロアルバムを制作したこということは、バンドの終焉が見えたからであり、翌1983年にイエロー・マジック・オーケストラは散開(解散)した。

アフリカ・バンバータに刺激を受けたアルバム「S・F・X」
1984年9月10日に冬樹社からリリースしたカセットブック『花に水』を挟んで、11月10日には、イエロー・マジック・オーケストラ散開後初のミニアルバムとなる『メイキング・オブ・ノン・スタンダード・ミュージック / メイキング・オブ・モナド・ミュージック』をテイチクレコード内に立ち上げたノン・スタンダードレーベルからリリース。もうひとつ立ち上げたモナドレーベルと共に、新たなレーベルの方向性を示した。
12月16日にはアルバム『S・F・X』をリリース。アフリカ・バンバータの「フランティック・シチュエーション」に刺激的洗礼を受けたもので、コンピュータを使用したレコーディング・テクニックをさらにエスカレートさせた。また、国内ではいち早くビートの細分化の究極ともいえる32ビートを導入した作品としても知られる。演奏は、細野がほぼ全てを担当したが、表題曲「SFX」のみ元TONYの西村昌敏(現:西村麻聡)がベースを担当している。インナーには、“FRIENDS OF EARTH” という項目があり、ローランド MC-4、ローランド TR-909、ローランド TR-808、ヤマハ DX-7などの録音機材が列記されていた。

コマーシャルのために制作された楽曲で構成された「コインシデンタル・ミュージック」
1985年7月7日には、ますむらひろし原案、杉井ギサブロー監督のアニメ映画『銀河鉄道の夜』のサウンドトラックをリリース。本格的な映画音楽を手掛けるのは初めてだったが、代表作のひとつに数えられる作品となった。杉井監督のアニメ映画では、1987年11月21日リリースの『紫式部 源氏物語』のサウンドトラックも手掛けている。
続いて、アンビエント色の強い作品を4枚リリース。まずは、1985年8月21日にモナドレーベルの第1弾作品として『コインシデンタル・ミュージック』をリリース。収録曲はすべてコマーシャルのために制作された楽曲。
同年9月21日には『マーキュリック・ダンス』と『パラダイスビュー』をリリース。『マーキュリック・ダンス』は奈良県天河村を舞台にした同名映像作品のサウンドトラックとして、『パラダイスビュー』は高嶺剛監督による復帰前の沖縄を舞台としたファンタジー映画のサウンドトラックとして制作された。
さらに、同年10月21日には『エンドレス・トーキング』をリリース。5月にイタリアのジェノヴァで開催されたアート展「ジャパン・アヴァンギャルド・オブ・ザ・フューチャー展」のために制作したものだった。これらの4作品を、細野は “観光音楽” と呼び、アンビエント音楽にのめり込んでいった。

フレンズ・オブ・アース結成
1984年10月には、細野、野中英紀(vo, g, key)、西村昌敏(vo, b, key)らでフレンズ・オブ・アース(F.O.E)を結成。翌1985年12月16日には、12インチシングル『FRIEND OR FOE?』をリリース。細野の作品だけでなく、野中との共作「OTT Manifest (OTT Mix)」を含むなど、民主的なユニットの側面が強かった。
ここで出てきた “OTT” とは、“OVER THE TOP” と細野が命名した32ビートなどの機械的な細かいビートを使用してドライヴ感あふれるサウンドを生み出すこと。このOTTがフレンズ・オブ・アースのコンセプトとなる。
1986年2月4日と8日には、大阪城ホールと日本武道館で開催された『フレンズ・オブ・アース Vol.1』にジェームス・ブラウンとともに出演。ところが、この公演でブラウン目当てに集まった観客からブーイングを浴びせられてしまい、ユニットに対する気力を失ってしまう。
その後、12インチシングル『DECLINE OF O.T.T』やシングル「SEX MACHINE」を経て、1986年5月21日には待望のアルバム『SEX, ENERGY & STAR』をリリースしたが、レーベルとの契約更新は行わなかった。

80年代の細野の音楽が集結した「オムニ・サイト・シーイング」
フレンズ・オブ・アースは、1年間の休養のあとカムバック作として、1987年4月25日に近田春夫の別名義である “President BPM” とのコラボレーション12インチシングル『COME★BACK / Cold Getting Down』を “F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH” としてリリース。しかし、野中と西村は不参加でバンドは事実上消滅。野中はインテリアズでの活動を再開しており、西村はロックバンドのFENCE OF DEFENSEのデビューが決まっていた。
1989年7月21日には、4年ぶりのスタジオアルバム『オムニ・サイト・シーイング』をリリース。“観光音楽” のコンセプトをさらに推し進めた作品で、ワールドミュージックに傾倒していた細野は、アラブのアコーディオン奏者であるズーヒル・ゴージャや、カーヌーン奏者のジュリアン・バイスらとのコラボレーションで80年代を締めくる。ある意味、1980年代の細野の音楽の全てが集結した作品となった。
参考文献:
『レコード・コレクターズ 2000年5月号』(ミュージック・マガジン / 2000年)
北中正和 編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』(平凡社 / 2005年)
鈴木惣一朗『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた』(DU BOOKS / 2010年)
細野晴臣『アニエント・ドライヴァー』(マーブルトロン / 2011年)
細野晴臣 作/中矢俊一郎 編『HOSONO百景』(河出書房新社 / 2014年)
門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋/ 2020年)
田中雄二『シン・YMO イエロー・マジック・オーケストラ・クロニクル1978~1993』(DU BOOKS / 2023年)
『イエロー・マジック・オーケストラ 音楽の未来を奏でる革命』(ミュージック・マガジン/ 2023年)
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2025.06.09