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共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.8

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レオ・セイヤーのシングル「モア・ザン・アイ・キャン・セイ(星影のバラード)」がビルボードHOT100で2位になった日
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photo:Immortal Music  

More Than I Can Say / Leo Sayer

60年代終わりから70年代半ばにかけてビルボードのシングルチャートでヒットを連発した米ポップロックバンド、スリー・ドッグ・ナイト最後のトップ10ヒットは「ショウ・マスト・ゴー・オン(The Show Must Go On)」(74年4位)だったが、この曲のオリジナル(作者)演者こそが英シンガーソングライター、レオ・セイヤーだ。

この名前を聞いてピンと来るのはアラフィフよりちょっと上の世代なのかもしれない。間違いなく彼のシンガーとしてのピークは77年。「恋の魔法使い(You Make Me Feel Like Dancing)」、そして「はるかなる想い(When I Need You)」といった2曲の全米ナンバーワンソングを輩出した年で、「恋の魔法使い」は同年グラミー賞のベストR&Bソング(レオは紛いなき白人シンガーなのだが!)までをも受賞していた。日本でも万人が知るとまではいかないものの、そこそこのヒット感はあった2作品であった。

しかし、レオ・セイヤーのレパートリーの中で、日本における共有感満載な1曲はというと、前述の全米1位作品をしのぐほどに、80年代突入以降唯一のトップ10ヒットとなった「星影のバラード(More Than I Can Say)」(80年2位)で間違いないだろう。

80年代の洋楽バブルが本格化した時期でもあり、ディスコブームの終焉と共に様々なジャンルのポップミュージックがヒットチャートを賑わせていたという時代背景もあるものの、なんといっても最大公約数な普遍的メロディがストレートなミディアムポップに料理された、このお手本のような完璧な大衆音楽が多くの日本人に(もちろん日本のみならず)支持されたのは当然と言えば当然なのかもしれない。哀愁味を帯びたギターフレーズとメロディアレンジ、ロッカバラッドシンガー然としたレオの力強い歌声… 特に日本人の好きそうな要素が詰まっている点も見逃せない。80年代突入後6番目に生まれたナンバー2ソングは、日本での推定認知度70%でありながら、パーフェクトポップソングとしてその輝きを永遠に失うことはないのだ。

ちなみに「More Than I Can Say」のオリジナルは、かのバディ・ホリーが在籍していたクリケッツ(60年)で、60年代に人気を博した米男性シンガー、ボビー・ヴィーのバージョンが有名だ(61年61位)。

2016.08.11
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