9月12日

赤い赤いワイン、千歳烏山のセイシェルで聴いたUB40の楽しいリズム

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UB40のアルバム「レイバー・オブ・ラヴ」がリリースされた日
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16歳の時だから、84年のことだ。

自宅の最寄り駅と学校の途中、京王線の千歳烏山駅近くに「セイシェル」という喫茶店があった。名前の通り、南国の楽園というイメージ。白で統一された店内、レーザーディスクの音楽プログラムが充実しているのがウリだった。

僕らは、放課後途中下車をして、この店に通うのが日課となっていたのだが、別に音楽目当てというわけでもなかった。一番の理由は高校生が制服のまま煙草を吸ってもなにも咎められないということだ。割引券があれば200円ぐらいでコーヒーが飲めたし、何時間いても追い出されるわけでもなく、時にはマスターが話し相手になってくれたりした。

この店で常に流れていたのはUB40のアルバム『レイバー・オブ・ラヴ』(83年)に収録されている「レッド・レッド・ワイン」だった。70年代のサーファーの面影を残した店長からは、なるほどと思える選曲。楽園のイメージにはピッタリはまっていて、僕らは心地よいリズムに身をゆだねていた。

レゲエといえば、夏、リゾートというイメージだった僕にとって、その後UB40のバンド名の由来が、イギリスの失業者給付金様式名(Unemployment Benefit, Form 40 = 失業給付40号様式)だということを知った時は少なからず衝撃を受けた。

ジャマイカで生まれたレゲエミュージックは、パンクと同じく社会への批判や反逆を歌にした。70年代末から80年代にかけて、ジャマイカ移民の多いイギリスでは多くのブリティシュレゲエバンドが生まれた。黒人、白人混合バンド、UB40もそのひとつだ。

ブリティシュレゲエ―― 圧力への反抗というベクトルはジャマイカと同じでも、それは海に囲まれた南国の解放感とは一線を画した都会の吹き溜まり、クラブに似合う、いわば、「地下室のメロディ」だ。

このようなレゲエミュージックがいつから、リゾートミュージックという解釈で日本に認知されたのだろうか。日本でも多くのアーティストがレゲエの魅力を独自の解釈でオリジナルにしてきたが、その第一人者として僕は、75年にキャロルを解散させた、ジョニー大倉と、内海利勝を思い出す。

キャロルのリードギターだった内海はブリティッシュレゲエの先駆者である「シマロンズ」をバックに従え、76年にソロアルバムとして『GEMINI PARTⅠ』を発売、キャロル時代のナンバー「泣いてるあの娘」をポップなレゲエアレンジで聴かせてくれた。

またジョニー大倉も76年に発売されたファーストソロアルバム『JOHNNY COOL』の中で「ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ」という曲を披露している。この曲はどっぷりレゲエというわけではないのだが、ブギウギ風のピアノにのせ、こんな風に歌っている。


 ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ
 南の島からやって来た 楽しいリズム


キャロル時代には日本語と英語をミックスした当時としては革新的だった詞を書き、英語に堪能だったジョニーのことだから、ジャマイカのレゲエアーティストたちがどんなことを歌にしていたのかは承知の上で、あえてこのような歌詞をのせたのだろう。つまり、このジョニーの感性こそが、後に日本人の多くが感じるようになるレゲエのイメージそのものだったのではないだろうか。

レゲエ本来の解釈を知ることで、UB40の音楽も違って聞こえるようになった。しかし、僕の心の根底には、あの16歳の時、煙草が煙る楽園で聴いた楽しいリズムのイメージがある。

「セイシェル」はその後、僕らのような不良が溜まっていたおかげで、他の客が寄り付かず、1年ぐらいで閉店してしまう。こんな僕らの理解者であったマスターには、悪いことしたなあという気持ちがあるし、今でも感謝している。



歌詞引用:
ヘイ・レゲェ・ブギ・ウギ / ジョニー大倉

2017.11.23
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  YouTube / UB40VEVO


  YouTube / johnnycarol413
 

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カタリベ
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本田隆
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