連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.17 -「ドーベルマン刑事」
1970年代、『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『ドーベルマン刑事』を覚えているだろうか? 当時の小学生には刺激的な漫画だったので、筆者以外にも強烈に脳裏にこびりついている方は少なくないと思う。原作は後に『北斗の拳』を放つ武論尊、作画は後に『ブラック・エンジェルズ』を手がけた平松伸二。
主人公、加納錠治は、悪党に人権はないと言わんばかりに、犯罪者を容赦なく射殺する警視庁の若き刑事。暴力団や暴走族は元より、汚職政治家も悪女にも容赦はしない。シャブや売春といった、教育上よろしくない犯罪も描かれるので、子ども心に、何かヤバいものを目にしているという意識は確かにあった。
とはいえ、所詮は小学生。上から下までレザーで固めて、寡黙に捜査に当たる加納が単純にかっこよく見えたのもまた事実。44マグナム(フォーティーフォーマグナム)という拳銃の名も、ここの漫画初めて知った。今となっては映画『ダーティハリー』(1971年)から設定を借用してきたのでは… と想像をめぐらすことができるが、当時はハードボイルドという言葉も知らなかったのだからしょうがない。ともかく、かっこいいという言葉でしか語ることができなかったのだ。
これまでも映像化されている「ドーベルマン刑事」
そんな『ドーベルマン刑事』だが、これは何度か映像化されている。いちばん有名なのは1980年のテレビシリーズ『爆走!ドーベルマン刑事』だろう。ただし、こちらはマイルドに改変されていて、加納のハードボイルドなキャラクターは薄められていた。まあ、これはこれで面白かったのだが。
これに先立つ1977年、『ドーベルマン刑事』は映画化されているが、これは改変どころの話ではなかった。タイトル以外は、まったくの別物と呼んで差し支えない。筆者がこの映画を観たのは漫画をあまり読まなくなった1980年代の後半のことだが、それでも原作とはかけ離れ過ぎている内容に衝撃を受けた。前置きが長くなったが、本稿ではこの問題作について語ってみようと思う。
演じるのは、空手映画で一世を風靡していた千葉真一
先に述べたとおり、原作の加納錠治は大都会のハードボイルド・ヒーローだが、この映画版の加納は沖縄から捜査のために上京してきた田舎刑事。子豚をペットのように連れ歩き、麦わら帽子をかぶって捜査に当たる姿は革ジャン&革パンをまといバイクをぶっ飛ばす原作の姿からはあまりにかけ離れている。一応バイクを駆るシーンはあるが、追跡のために無断借用したり、暴走族から借りたりするのだから、イマイチ締まらない。
それだけではなく、頭脳的な捜査よりも、地元の占い師の占いを捜査のモチベーションにしているという非科学的な刑事でもある。当然のように、東京の刑事たちからは笑いものにされる。ストリッパーに気に入られ、わけもわからぬまま舞台で本番ショーに加担するに至っては、もはやコメディキャラだ。
ⓒ 東映
演じるのは、当時は空手映画で一世を風靡していた千葉真一。それだけにアクションのシークエンスはキレがあるのだが、ビルで起こった人質ろう城事件を解決するために屋上からロープにぶら下がって窓を突き破り、突入する無鉄砲ぶりは、さすがにやり過ぎ!? この型破りな大捕り物によって、新聞にはドーベルマン刑事どころか、“ターザン刑事” と書き立てられるのだから、どこかズレている感は否めない。もしも、この映画を原作への思い入れが強かった小学生のときに観ていたら、映画を嫌いになっていたかもしれない。
大人の余裕である程度許容できたのは、千葉真一も好きだったし、深作欣二監督も大好きだったからだろう。小学生の頃は前者は名前しか知らなかったし、後者は存在すら知らなかったが、映画を観た頃にはスターと鬼才という認識は出来上がっていた。したがって、この映画も何か意味があるのではないかと好意的に観ようとしたのだが、それでもハードボイルドではない加納にはしっくりこなかった。
社会の問題を敗者の目線で描く深作欣二監督
この原稿を書くにあたり、今一度観直して気づいたことがある。それは今なおくすぶる沖縄問題と地続きになっているのではないか?ということ。加納は行方不明となった同郷の女性を捜索するために上京するが、彼女は芸能界の食い物にされていた。それだけでなく、この女性を救うことさえできないのだ。そこには、普天間問題をはじめ東京への隷属を強いられるかのような沖縄の立ち位置が見えなくもない。加納が東京の刑事たちに馬鹿にされるのもなんとなく腑に落ちた。
1972年に日本に復帰したことで、沖縄はちょっとしたブームになっていた。3年後には『沖縄国際海洋博覧会』(EXPO'75)が開催され、祝祭ムードはピークに達する。しかし、米軍基地は変わらずにそこに置かれており、それによって引き起こされる問題には多くの日本人が目を伏せてきた。ご存じのとおり、深作欣二監督は『仁義なき戦い』に代表されるように、社会の問題を敗者の目線で描くことに長けている。加納を敗者として描くことこそ、反骨心の強い深作監督のやりたいことではなかったのだろうか? 考えすぎと言われればそれまでだが、そんなことが夢想できるのも映画の懐の深さゆえだ。
漫画を原作とした映画が次々と放たれる現代では、“原作レイプ” という過激な言葉で批判される映画も少なくない。原作ファンは思い入れが強いし、それはそれで仕方のないところ。しかし、基本的に映画と原作は別物である、という考え方が筆者に染み付いたのは『ドーベルマン刑事』によるところが大きい。ちなみに、今ほど漫画の映画化が多くなかった1970年代には『ルパン三世 念力珍作戦』(1974年)、『ドカベン』(1977年)、『サーキットの狼』(1977年)などなど、原作の熱狂的なファンが観たら怒り心頭のコミック実写映画化作品が誕生しているが、これらの影響も大だ。この辺の作品についても機会があれば触れていきたい。
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2026.04.14