12月14日

J-POPクリスマスの変遷!山下達郎「クリスマス・イブ」40周年の冬にまとめてみた

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山下達郎「クリスマス・イブ」40周年記念盤リリース


2023年、山下達郎の「クリスマス・イブ」が40周年を迎え、これを記念して完全生産限定盤の12インチレコード盤「クリスマス・イブ(40th Anniversary Edition)」が12月13日にリリースされた。聴こえ方、感じ方は人によってさまざまだろうが「クリスマス・イブ」が日本のクリスマスソングとしての無敵のスタンダードであることは揺るがない事実であり、このように時代を越えて売れ続けている曲は他にない。ここではそんな話題に絡めて、日本のクリスマスソングの歴史とその変遷について探求してみたい。

山口百恵やキャンディーズはクリスマスソングを歌っていない


山下達郎の「クリスマス・イブ」は、その日に約束の場に想いを伝えたい相手が来なかった(来そうにない)というアンハッピーなシチュエーションを歌った曲だ。アンハッピーではあるが恋愛ソングである。この曲に限らず、日本においてクリスマスソングといえば、キリストの誕生日を祝うものではなく、キラキラしたクリスマスのムードと恋愛をリンクさせたものが圧倒的主流になっている。

しかし、それは80年代になってからの現象で、70年代以前のクリスマスは恋愛イベントとして捉えられず、そもそもオリジナルのクリスマスソングも少なかった。時代をさかのぼると美空ひばりが1952年に「ひとりぼっちのクリスマス」、1953年に「クリスマス・ワルツ」というモダンなクリスマスソングをリリースした例などもあるが(いずれもB面曲)、これらは恋愛をテーマにしたものではない。

1970年に浅川マキが歌ったクリスマスソングのタイトルは「前科者のクリスマス」である。70年代アイドルシーンを振り返ってみても、西城秀樹、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ、ピンク・レディーといった人気アイドルたちは、クリスマスをテーマにしたオリジナル楽曲をほぼ歌っていない。そのほか、オリジナルのクリスマスソングはゼロではないが、世間に浸透したものはなかった。

70年代に恋愛とクリスマスを結びつけた松任谷由実の先進性


欧米では、史上最大のヒット曲、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」をはじめとする数々のスタンダードナンバーや今でも12月に街を歩けば必ず耳に入る、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」やポール・マッカートニーの「ワンダフル・クリスマスタイム」など、古くから多彩なクリスマスソングがあった。

これに対し、クリスマスをテーマにしたポピュラーソングが少なかった日本で、時代を先取りしていたのが、当時は荒井由実と名乗っていた松任谷由実だ。なにしろ、誰よりも早く恋愛とクリスマスを結びつける楽曲をリリースしていたのだ。1974年、セカンドアルバム『MISSLIM』に収録された「12月の雨」という曲がその第1弾。



この曲ではクリスマスが恋人たちにとって特別な日だと描写している。ちなみに、「12月の雨」のバックコーラスには山下達郎らシュガー・ベイブのメンバーが参加していた。ユーミンと山下達郎。日本のクリスマスソング史に残る歴史的遭遇が半世紀前に実現していたことを確認しておきたい。そして、第2弾が、1978年のアルバム『流線形'80』に収録された「ロッヂで待つクリスマス」という曲だ。この曲は、恋愛とクリスマスに、のちに大ブームとなるスキーの要素もプラスされていた。松任谷由実の先進性には驚くばかりである。

なお、1979年10月、80年代の前夜にリリースされた甲斐バンドの「安奈」も70年代の数少ない恋愛を描いたクリスマスソングである。

松田聖子は「恋人がサンタクロース」をカバー


80年代に入ると、クリスマスは日本のポップカルチャーにおいて恋愛イベントとしてのイメージが強くなっていく。そのトリガーとなったのは、1980年に松任谷由実がリリースしたアルバム『SURF&SNOW』に収録された「恋人がサンタクロース」であることは周知の事実だろう。しかし、実はもう1人まったく同じタイミングで、恋愛とクリスマスを絡めた曲を歌っていた人物がいた。それは松田聖子である。彼女のセカンドアルバム『North Wind』は冬をテーマとした内容で、この中に「ウインター・ガーデン」というクリスマスのデートを描いた曲が収録されているのだ。特筆したいのは『SURF&SNOW』と『North Wind』の発売日が、どちらも1980年12月1日であることだ。それは、日本のクリスマスソングの歴史における新たな扉が開いた瞬間だったのである。



なお、松田聖子は1982年12月に『金色のリボン』というクリスマスをイメージしたコンピレーションアルバムを出している。このアルバムのなかで、スーパーアイドルである彼女が「恋人がサンタクロース」をカバーすることで、同曲の存在はさらに広く知られるようになった。

1983年、クリスマスという新しいマーケットに参入したのが山下達郎だ。6月発売のアルバム『MELODIES』に収録された「クリスマス・イブ」を同年12月にシングルカットした。発売当初はそれほどヒットしたわけでもなかったが、御存知の通り、時間をかけて日本のクリスマスに不可欠な曲に成長していく。その山下達郎より早く、1981年にオフコースがB面曲として「Christmas Day」というクリスマスソングをリリースしていることも見逃せない。松田聖子ほどクリスマスソングに積極的ではないが、中森明菜も1984年に『SILENT LOVE』というクリスマスアルバムを出している。

なお、80年代前半はMTVブームの時期であり、欧米のポピュラーソングの人気が高く、そこから今に至るまで日本で超定番クリスマスソングとなったワム!の「ラスト・クリスマス」が生まれてている。

恋愛系クリスマスソングがお茶の間に進出


80年代前半の時点でクリスマスは若者の恋愛イベントだという空気は生まれていたが、それがさらに一般化、大衆化するのは80年代後半になってからだ。1986年には杉山清貴の「最後のHoly Night」というクリスマスソングがヒット。いわゆるシティポップもクリスマスとは親和性が高かった。松任谷由実や山下達郎はテレビに出なかったが、杉山清貴はテレビの歌番組に積極的に出演。恋愛系クリスマスソングをお茶の間に届けた。



「最後のHoly Night」が流行っていた時期は、日本がバブル期に突入するタイミングだった。以後、クリスマスソングが次なるフェーズに突入していく。象徴的な出来事が松任谷由実の「恋人がサンタクロース」が1997年公開の映画『私をスキーに連れてって』の挿入歌に、そして、1988年に山下達郎の「クリスマス・イブ」がJR東海の『クリスマス・エクスプレス(当初はホームタウン・エクスプレス X'mas編)』のCM曲となったことである。映画はヒットし、CMは大評判となる。80年代前期に生まれた2つのクリスマスソングは、決定的なスタンダード曲となった。

バブル期には恋愛至上主義が支配的で、ロマンティックに街が彩られるクリスマス・イブは年間最大のスペシャルデーだと捉えられた。”12月24日の夜、誰とどこで過ごすのか” ということが、多くの若者にとって重要課題となった。そして、多額のコストをつぎ込んで恋人とデートすることこそが最高のステイタスだった。都会のシティホテルやスキー場のリゾートホテルは、クリスマス・イブの予約が9月の時点ですでにいっぱいになっていたという。

おニャン子クラブも浜田省吾もクリスマスソングを歌った


もうひとり、クリスマスソングの大衆化に寄与したキーマンに秋元康がいる。秋元康はクリスマスをモチーフとするのを好む作詞家であり、その傾向はのちのAKB48グループ、坂道シリーズの作品でも貫かれている。80年代には菊池桃子の「雪にかいたLOVE LETTER」(1984年)の他、おニャン子クラブ関連楽曲などで、歌詞にクリスマスを頻繁に用いていた。



一方、ロックの世界でもクリスマスソングが登場するようになる。たとえば、浜田省吾が1985年にリリースしたミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』はクリスマスソングばかりを集めた企画盤だった。また、同年リリースの佐野元春の「CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-」がヒット。さらに、1980年のサザンオールスターズのシングル「シャ・ラ・ラ」で「Merry Christmas」というフレーズを取り入れていた桑田佳祐は、1986年に音楽番組『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ系)を企画した。この番組から「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」(作詞:松任谷由実、作曲:桑田佳祐、編曲:KUWATA BAND)というオリジナル曲が生まれている。なお、同曲は「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない)2023」のタイトルで2023年にリメイクされた。

そのほか、80年代終りのバンドブームの熱狂からは、JUN SKY WALKER(S)の「白いクリスマス」などのヒット曲も生まれた。

バブル期にはクリスマスソングの需要はどんどん高まり、12月になると「恋人がサンタクロース」「クリスマス・イブ」「ラスト・クリスマス」などは、どこに行っても耳から自然と入ってくるようになる。おそらくカーオーディオで流される機会も極めて多かったのだろう。

90年代、バブル崩壊とマライア・キャリーという怪物


90年代を迎え、クリスマス=恋愛イベントという空気はますます熟成されていった。盛んだったテレビのトレンディドラマでもクリスマスは絶好の題材となった。1990年には秋元康もブレーンとして参加した『クリスマス・イヴ』(TBS系)というそのまんまの恋愛ドラマも放送された。主題歌である辛島美登里の「サイレント・イヴ」はドラマとのシナジー効果で大ヒットした。

バブル景気は1991年に崩壊するが、日本の大衆はまだその余韻に酔っており、急にライフスタイルを変えることをせず、クリスマスの位置付けも特段大きな変化はなかった。JR東海の『クリスマス・エクスプレス』CMは1988年以降、毎年新作が制作され続け、そこで流れる「クリスマス・イブ」はその都度、ヒットチャートを再浮上していた。同CMは1992年で一旦終わるが、翌年から「クリスマス・イブ」はエステティックTBCのクリスマス期のCM曲に起用され、それが2004年まで続いた。

1994年には、マライア・キャリーのクリスマスアルバム『メリー・クリスマス』が世界的にメガヒットとなり、推計1,350万枚売れたとされる。日本でもシングルカットされた「恋人たちのクリスマス」がテレビドラマ『29歳のクリスマス』(フジテレビ系)に起用された。これにより国内でのアルバムセールスは約270万枚を超えた(オリコン調べ)。

「恋人たちのクリスマス」の原題は、”All I Want for Christmas Is You” であり、“欲しいのはあなただけ” といった意味だが、そこに「恋人たちのクリスマス」という邦題が付けられたことからも、まだまだ、“クリスマスは恋人たちのものである” という感覚がフツーだったことがわかる。



90年代はJ-POPという言葉が普及し、CD需要が爆発的に高まった時期である。クリスマスソングとしては、B'zの「いつかのメリークリスマス」 (1992年)、JUDY AND MARYの「クリスマス」(1994年)、森高千里「ジン ジン ジングルベル」(1995年)などがよく知られている。しかし、T.M.Revolutionの「Burnin X'mas」(1999年)が売れた頃にもなると、さすがにバブルは過去のものだと大衆は気づいていた。携帯電話とインターネットが普及し、人々のライフスタイルも変容。テレビのトレンディドラマは衰退し、恋愛至上主義はトーンダウンしていく。

2000年代「クリスマス・イブ」「ラスト・クリスマス」は懐かしむ対象に!?


2000年代に入ると、大衆の価値観や音楽の聴き方が多様化し、クリスマスの位置づけも、クリスマスソングのあり方も変わっていく。竹内まりやの「すてきなホリデイ」(2001年)は、ケンタッキーフライドチキンのCMで長年使われることで定番化しているが、この曲は家族のクリスマスを歌ったものだった。また、CMは主にファミリー層にリーチしたものが続いている。

2000年代前期に、興味深い出来事が2つあった。ひとつは、2000年に『クリスマス・エクスプレス 2000』のタイトルで、JR東海のクリスマス期のCMが復活したことだ。しかも、かつて同CMのヒロインだった深津絵里と牧瀬里穂が、ミレニアムに遠距離恋愛をする若い女性(星野真里)をそっと見守るという内容だったのだ。「クリスマス・イブ」はこのCM効果でオリコン週間チャートトップ10入りするリバイバルヒットを記録。“あの頃” の雰囲気を完全に再現したCMが若年層に届いたのかどうかは分からないが、少なくとも80年代を知る年代には刺さった。しかし、翌年以降「クリスマス・エクスプレス」のCMシリーズは継続されなかった。

もうひとつは2004年のこと。フジテレビはかつて『東京ラブストーリー』を大ヒットさせた、主演:織田裕二、脚本:坂元裕二、プロデューサー:大多亮というチームで、いわゆる “月9” の黄金期の再現を狙ったラブストーリー作品を制作した。いわば “バブルの熱気よ再び” の夢を託した作品のタイトルは『ラストクリスマス』。やはり、クリスマス頼りだったのだ。オープニング曲として織田裕二 with ブッチ・ウォーカーというユニットが、ワム!の「ラスト・クリスマス」をカバーした。なお、このドラマは平均視聴率20%を超えるヒット作となったが(ビデオリサーチ調べ関東地区)、その後、再びバブル的クリスマスのムーブメントが巻き起こるきっかけにはならなかった。バブル期的なクリスマスは、すでに懐かしむ対象になっていたのかもしれない。

2010年代以降、それでもクリスマスソングは街に流れる


2010年代以降、宇多田ヒカル、SEKAI NO OWARI、back number、JO1、Snow Manなどなど多様なミュージシャンが、それぞれの特色を生かしたクリスマスソングをリリースしている。これらの楽曲は新世代の音楽ファンに新たなクリスマスの記憶を刻むものだが、過去のスタンダード曲のような大衆性を得るには至っていない。多くの人が共有するクリスマスソングは生まれにくくなっている。それでも、12月の街角には40年目の冬を迎えた山下達郎の「クリスマス・イブ」を始めとした新旧のクリスマスソングが流れる。クリスマスソング、それは寒い季節に、人々から楽しさや幸福感、高揚感、あるいは寂しさや懐かしさなどさまざまな感情を引き出す不思議な力を持っている。

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2023.12.22
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