10月21日

稲垣潤一「ドラマティック・レイン」都会の夜に漂う、シルクのように強く美しい声

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ニューミュージックからAOR、そしてシティポップへ


あのころ、“ニューミュージック” という言葉があった。

1970年代後半から1980年代前半にかけてよく使われていた。その定義には諸説あるが、1978年の紅白歌合戦で庄野真代、ツイスト、サーカス、さとう宗幸、渡辺真知子、原田真二の6組が一緒くたに括られた、「ニューミュージック・コーナー」というのが、今となってはわかりやすいと1965年生まれの筆者は思っている。

当時の歌謡曲のカテゴリには入らないが、フォーク、ロックをベースとして、当時流行していた洋楽のエッセンスを加えて大衆にアピールした音楽が該当する。現在、「シティポップ」と言われている音楽も、当時はその一部と見做されていた。自作自演だけでなく職業作家による作品も多く、後者については当時歌謡曲のカテゴリにあった楽曲も、どんどんシティポップス風に進化していった。

こういった “ニューミュージック” は、1960年代後半には限られた若者たち、戦争を知らない子供たちだけのものだったフォークやロックを、戦時中に子供時代を過ごした当時の大人たちの耳にも、じわりじわりと開放していった。

そして1981年、寺尾聰さんの「ルビーの指環」が大ヒットした。アダルト・オリエンテッド・ロック=AORと呼ばれた、大人でも抵抗なく聴けるロックのサウンドが世間に浸透しつつあった。華やかな都会は、ちょっと頑張れば手に届くかもしれない、そんな憧れが地方の若者にもあった。大都市圏への移住が進み出したのもこの時代だ。

秋元康は語る「稲垣さんの声が都会のネオンとかイルミネーションに合う」


時代について語るのはここまでとする。

仙台出身、1953年生まれの稲垣潤一さんは1982年1月に「雨のリグレット」でデビューした。1972年に一度プロを目指して上京したが、諸事情により一度仙台に戻り、ハコバンでの活動を経て、その後1980年頃に再度スカウトされてデビューした。デビューにあたってはそれまでバンドマンそのものだった見た目を、プロデューサーの指示でこざっぱりした雰囲気に変えたというエピソードが、稲垣さんの自署『かだっぱり』(2015年 小学館)にも書かれている。

「ドラマティック・レイン」の作詞は、1958年生まれの秋元康さん。稲垣潤一さんの作品では、「ドラマティック・レイン」の前に発売されたファーストアルバム『246:3AM』の1曲目、「ジンで朝まで」を担当している。放送作家として活躍していた24歳の秋元さんが、パシフィック音楽出版の朝妻一郎さんの勧めで作詞活動をはじめてしばらくのころ、ごく初期の作品だ。

秋元さんは、2008年のNHK『SONGS』で次のように語っている。

「稲垣さんの歌が当時AOR、シティポップスって言われたのは、作曲家もアレンジャーも作詞家もみんなそういう都会を意識していた」

「稲垣さんの声が都会のネオンとかイルミネーションに合う」

歌う稲垣さんは秋元さんの詞について、「字面で読むと単純な言葉の組み合わせだが、メロディに乗ったときに独特のリズム感を生み、虚構の物語を作り上げる」と前述した自署『かだっぱり』で語っている。



筒美京平もお気に入りだった稲垣潤一の歌声


作曲は筒美京平さん。筒美京平さんは、稲垣潤一さんについて、

「自分でドラムを叩くから、いかにもロックの感じがする人じゃないかと、最初は思ってたんです。声を聞くと、確かに独特ですよね。でも、やっぱり歌謡曲じゃないな。ビブラートがなくて、キューっとAの音まで出るような、少年みたいな声。あのバランス、僕も一番好きなところです」
(1997年 Kyohei Tsutsumi Hitstory 筒美京平ロングインタビューより)

稲垣潤一さんの声には甘さ、透明感、残像感、少年の雰囲気が同居している。布地に喩えると、シルクのような強さと美しさが共存している。その特徴のある声が目に留まり… いや耳に留まり、スカウトされた。それまでの歌謡曲やフォーク、ロックそしてニューミュージックと言われている歌手にはない声だった。ドラムを叩きながら歌うというのもこれまでにないスタイルだった。

稲垣潤一「ドラマティック・レイン」せつない高音のAの音


稲垣さんのシングル3作目となる「ドラマティック・レイン」のメロディは筒美京平さんによるもの。それまでのシングル2作がオフコースの松尾一彦さん(東北出身)の作品だったのに比べると、東京出身の職業作家ならではのいい意味での外連味がある。

シンプルで抒情感のあるメロディの中で、ときどき「あれっ」と思わせる音で耳を惹く。

単調にならず、コードに沿わない非和声音が多数あるAメロを2回繰り返し、2回目は、

 ドラーマティーーーーーーーーック

―― と2小節にわたり、そしてズドンと「レイン」に落ちる。

この「レイン」の落とし方から、静かにたたみかけるように続くサビのメロディの流れが耳を離さない。

メロディの切れ目で一音ずつ上がり、「降り注いでくれ」で一気にトントントンと上がりFに達する。「濡れて」でいったん下げた後、さっきの「降り注いでくれ」でのFから再度トントントンと「ふたり」の音で最高音のAに達する。筒美京平さんが「キューっと」と称した、せつない高音のAの音だ。

 レイン(A)
 もっと(B)
 強く(C)
 降り注い(C#)で(D)く(E)れ(F)
 濡れて
 ふ(F)た(G)り(A)は(G)
 U(E)mm(G#)

―― という具合だ。これが2回続く。そして、

 雨の音さえ 隠せぬ罪

積み上げたものがバラバラと壊れる。それでも終わらないメロディライン。

そう、「ドラマティック・レイン」は終わらない歌なのである。漂う浮遊感、それも都会特有のものだ。

ヨコハマタイヤ・アスペックのCMにも起用


終らないといえば、2コーラス目が終わった後の、「Rain How much I Love You」 のメロディ。これはレコーディング中にスタジオで筒美京平さんが稲垣さんの歌声を聴きながらその場で作ってアドバイスしたものだという。

曲の雰囲気をつくるアレンジにしても「都会」を意識したかおりがぷんぷんする。歌に入る直前、煌びやかなピアノによる不安定なフレーズひとつで、虚構の風景感を表現している。アレンジは船山基紀さん。船山さんにしては地味だが、筒美京平さんの抒情的なメロディを生かし、リズムを抑え気味にしたアレンジが、かえって都会の雨の夜という雰囲気を耳に残し、この曲のヒットを生んだ一つの原因だと思うのだ。

加えてヨコハマタイヤ「ASPEC」のCMに曲がタイアップされたのも大きかった。曇天の中、丸目4灯のBMWアルピナが、ニュルブルクリンク(西ドイツ)のサーキットを走る映像にかぶせて流れる「ドラマティック・レイン」で、当時の車好きの男性たちにも「稲垣潤一」という名前を知らしめた。

もう一つ。「稲垣潤一」という名前自体も、「雨」をテーマにした曲を歌うのにふさわしい名前だったと筆者個人としては思っている。どこかにしっとりした風情がないと、日本でヒット曲を生むのは難しい。

時代が求める「都会」。そこに程よくフィットする歌声で歌う稲垣潤一さん。発売から40年、この曲は多くの人にカヴァーされているが、やはり稲垣潤一さんの歌声がこの曲の世界観には一番似合う。

特集 夏の終わり -Growing up-



2022.10.21
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