ヒントはアメリカン・グラフィティ。売野雅勇が明かした「夏のクラクション」
英語の “summer” を辞書で引くと、夏、夏季、(詩)盛り、青春、(複数形で)年、年齢―― といった言葉が日本語にあたる。
作詞家の売野雅勇さんは、日本テレビ音楽のインタビューで、こうコメントしている。
「葉山、横須賀、油壺っていうのは車で走り馴れていて、稲垣潤一さんの「夏のクラクション」もそこからできていった作品です」
また、売野雅勇さんは著書『砂の果実』(朝日新聞出版)で、「夏のクラクション」のヒントを映画『アメリカン・グラフィティ』と明かしている。1973年の映画『アメリカン・グラフィティ』のラストシーン、カリフォルニアの田舎の高校を卒業した主人公が東部の大学に行くことを決め、故郷の街を去る飛行機の窓から白いスポーツカーが走り去る、という場面だ。そのスポーツカーに乗っていたのは主人公が一目惚れした美人だった。
ロケーションは湘南地区? 主人公は夢を追いかける男性とその彼女
「夏のクラクション」では、ロケーションをカリフォルニアの田舎から日本の湘南地区(葉山、横須賀、油壷)に置き換え、登場人物もアメリカの少年たちより少し年上の日本人のように見える。私がこの歌を聴き、詞を読んで想像した登場人物は、20歳前後の男性とその彼女。白いクーペを運転する女性なので、彼女のほうがいくぶん年上かもしれない。
主人公は夢を追いかける男性。彼に夢をかなえるチャンスが訪れ、青春の時期を一緒に過ごした彼女とは別れた。
おそらく幾度となく一緒に海辺で波の音を聴き、音楽も聴き、彼の夢を応援していた女性だろう。気丈に振る舞ってはいたが、別れる前には彼の前ではこらえきれず泣き顔を見せた。
「(カーブを)曲がれば夏も終わる」というのは、季節としての夏の終わりでもあり、盛り(さかり)の時期の終わりでもある。
夏が終わり、彼はひとりになって、しゃにむに夢に向かって突っ走った。だが結果が出ないことに苦しんでいる。あの日のように、彼女から力を貰いたい。彼女と別れた心の傷が痛い。このままでは夢が途切れそうだ。お願い、僕を助けて欲しい、そう叫ぶようなこの時期の彼が見える。
思い出はいつだって美しい。だから色褪せない
もがきながら夢を追いかけて走りつづける苦しい日々。彼女と別れてから2年が過ぎた。いまでも彼の中で時々、「夢をつかまえて」と気丈に泣くのをこらえる彼女のあの日の姿が波の音と一緒にこだまする。彼女を捨て置いてきたことが心にグサグサ刺さる。そのうちクラクションは、風に消されてもう聞こえなくなった。
ひとりにしてくれ。盛りの時期はとっくの昔に終わっている。僕はこれからも、躓きながら、夢を追いかける。
思い出はいつだって美しい。美しいまま残るのが思い出だ。そして時間が経過するほど、その思い出は美しくなり、綺麗な部分だけ思い出す。色褪せない。
作家で医師の米山公啓さんによると、美しい記憶は思い出すこと自体が快感である結果、美しい記憶ばかりを思い出しやすくなり、そのたびに都合よく変化させながらまた脳にしまわれていく、という人間の脳のメカニズムによるものだという。
少年性を残したナイーブな稲垣潤一のヴォーカル… だから許せる?
「夏のクラクション」は失恋の歌とも少年の成長の歌ともとらえられる。何をもって失恋とするかの定義は読む人の考えに任せるが、少なくとも彼と彼女の交際は2年ないし3年前にいったん終わっている。
彼女を捨てるような形で、彼は自分の夢を実現しようとした。「優しすぎる女に甘えて来たのさ」と、彼のわがままで一度終わった恋愛だ。
それでもやはり思い出してしまう。逢いたいと思うこともあるだろう。ただ、夢に向かってしゃにむに時間を重ねるうちに、もし、そのうち逢うことがあるならば、もっと立派になってから逢いたいと前向きになっていくようにも見える。
成長していく男の子は素敵だよ? それにしても勝手な男の子だね、とわたしは思わず口に出して呟いた。つきあっていた彼女の気持ちを想像するとたまったものじゃない。でも、夢を追いかける男の子をすっと送り出せる、そんな懐の広い女の子だから、勝手な男の子とつきあっていける。
ワンワン泣いてすがりつくような女の子なら、夢をつかまえようとする男の子は、うざったくてポイと捨ててしまうこともあるだろう。面倒な女の子のことなんか、彼はそれから先、思い出さないかもしれない。
そういったわがままで情けない男性の弱さを、穏やかな波が寄せては返すようなサウンドと、いつかは希望が見えるメロディに載せて、既にひとりの大人の男であった稲垣潤一さんが少年性を残したナイーブなヴォーカルで歌っているから、許せてしまう。くやしいくらい罪な男だ。
※2021年8月21日に掲載された記事をアップデート
特集 夏の終わり -Growing up-

2022.08.18