1987年6月6日、デヴィッド・ボウイが行ったベルリンの壁コンサート
デヴィッド・ボウイの命日1月10日が今年もやってきます。1月になると、まず思い出すのは彼のこと… って人は多いですよね。
最近、世界の情勢がまた危うくなって、年始早々、平和とか自由とか考えちゃうことが多いです。そういえば、ドイツ外務省がデヴィッド・ボウイが亡くなったときに「ベルリンの壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」とのコメントを発表してましたよね。デヴィッド・ボウイって、なんだか、オッドアイの白い鳩みたい。
1987年6月6日、デヴィッド・ボウイが壁のすぐそばの西ベルリンでコンサートを開いて、「ヒーローズ」を歌う前に、観衆に向かって、「壁の反対側にいる私たちのすべての友人たちに願いを送ります」とドイツ語で述べたっていうのは有名な話。彼は4分の1のスピーカーを東側に向けて彼なりの自由へのメッセージを歌で訴えたとか。
ボウイの声を聴こうと集まった東ドイツの人々は、その数5千人あまりにもなり、立ち去ることを命じる警察と衝突し、逮捕者まで出た大きな事件となったそうです。
そんな大混乱の中でも、東ドイツの人々は物凄い歓声で彼の歌に答えたとか… 自由への渇望がどれほどだったのかと思うと胸が熱いです。彼の行動により確実に歴史の流れが変わって2年後の1989年にベルリンの壁は崩壊します。
ボウイが歌う「ヒーローズ」の一節… たった1日、僕らはヒーローになれる
1980年代のロンドンやアメリカは自由を謳歌して好きな音楽を聞けていたのに、ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。すぐそばの国なのに、自由を持っている人と持たない人がいたわけです。そのことに、無関心ではなく、深く踏み込み、行動した彼の勇気は素晴らしかったと思います。
彼の歌った「ヒーローズ」の有名な一節
We can be heroes,
just for one day
私は長いこと、「たった1日、僕らはヒーローになれる」 って、思っていたのですが、これって、自分の信じるたった1つの「道」のことを指しているのかなと思うようになりました。「僕らは自分の信じる道のためだけのヒーローになれる」そんな解釈をしています。だから、ドイツの人たちは、この曲を聴いて「ベルリンの壁を壊して自由を掴む道」を選んだのだろうって思うんです。
大きなうねりの中にある香港、ボウイが生きていたならば…
ところで、先日、香港を訪れた際に香港人の7人に1人が参加したであろうって大きなデモに出くわしまして、香港が大きなうねりの中に呑み込まれつつあることを痛感しました。
香港は1997年にイギリスから中国に返還されており、ベルリンのライブの時にはまだイギリス領です。ライブをテレビやラジオで見た香港人も多かったのではないかな? そして、今、そのライブをリアルタイムで知る人や、その話を聞いて育った子供たちがデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」を思い出してデモに参加しているのかもしれません。
デヴィッド・ボウイが生きていたならば、今の香港を見て、どんな風に行動したんでしょうか? すぐ近くの私たちの国、日本は平和だけれども、この平和と自由が当たり前って思わないようにしなくてはいけないですよね。そして、こんな時こそ、自由へのエールを送り続けたデヴィッド・ボウイの勇気を見習わなくっちゃ… って心から思ってしまうのです。
2020.01.10