「MIE to未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST」3月1日発売!
ピンク・レディーが解散し、“ミイ” が “MIE” としてソロ・デビューして早40年。今は “未唯mie” 名義で充実した活動を続けている彼女だが、そのソロ活動の集大成的31曲を収め、さらに新録としてレナード・コーエンのカバー「Hallelujah《ハレルヤ》」を収録した編集盤『MIE to未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST』が、通称:ミイの日(3月1日)に発売された。が、しかし、ピンク・レディーとして激動の日々を送ったのは、わずか4年半。それに対してソロ活動は、その10倍の歳月。相応のヒット曲も放っているが、世間的には未だ “ピンク・レディー” のイメージが拭えないことに、多少のジレンマを感じざるを得ない。今の彼女のシンガーとしての素晴らしさ、奥深さを肌で知る者なら尚更だ。
今回はこのリリースを記念にして3回に渡り未唯mieのインタビューをお届けしたい。
未唯mie:ピンク・レディー自体もそうでしたけど、ソロになってしばらくは、与えてもらった曲はどんなものでも歌いこなす、というのがプロのシンガーだと思っていました。でも2003年から2年限定のピンク・レディー再結成ツアーの時、ファイナルでオリジナルのレコーディングメンバーの皆さんが集まってくれて、ドラムの巨匠である村上 ”ポンタ” 秀一さんが、「未唯mieちゃんがライヴを続けるなら、オレも手伝うよ」と言ってくれて。あの言葉で新たなスタートが切れたんです。
ーー 自分の表現はエンターテイメントにあると思っていた未唯mie。しかし素晴らしいミュージシャンに囲まれて音楽を創っていく中で、音や音楽を直に感じて自分の心から自然に湧き出してくる自己表現に取り組む楽しさや意義に気づくのに、そう時間は掛からなかった。そしてそれからは、フロントに立つシンガーとサポートミュージシャンという図式ではなく、みんなで一緒にその音、その楽曲を奏でているんだという感覚に。以前は聴いているようで聴いていてなかったミュージシャンひとりひとりの息遣いや微細な表情、譜面に表せないバンドならではの一体感などを、肌感覚で感じられるようになったと言うのだ。
それが現在の彼女の基礎。やりたいことを探しながら、その都度いろいろなテーマを掲げ、異なるアレンジャーを立ててバンドの編成も変えながら、常にユニークで新しい音楽表現にチャレンジしている。ダンサブルなディスコスタイル、今様ジャズファンクやアシッドジャズへのトライ、J-POPや洋楽女性シンガーのカヴァー、情熱的なラテンサウンドの導入、弦クインテットやコーラスチームとのコラボレイト、そしてピンク・レディーのアルバム曲やシングルB面ばかりを集めてコンテンポラリーなアレンジに料理した “裏ピンク” シリーズ等など… まさに斬新なアイディアで、アグレッシヴに音で攻める未唯mieがいるーー。
ファンの度肝を抜いた5拍子の「ペッパー警部」
ーー そのシンボル的存在が、昨年暮れにCD / 映像作品としてリリースされた『Pink Lady Night』だ。収録されたのは、2020年の10周年記念スペシャルライヴの模様であるが、このイベント自体は2010年の6ヶ月連続マンスリーライヴの出し物のひとつとしてスタート。誰もが慣れ親しんでいるピンク・レディー代表曲に、和洋韓印などのエスニックフレイヴァーをふんだん取り込み、そこへビーチ・ボーイズやマイケル・ジャクソン、ディープ・パープル、キング・クリムゾン、クール&ザ・ギャングなどの著名洋楽ヒットのフレーズを織り混ぜ、奇想天外なアレンジで聴かせる企画ライヴだった。中でも5拍子の「ペッパー警部」はファンの度肝を抜き、話題騒然となったのである。
未唯mie:一番分かりやすいピンク・レディーという素材を使って、一番そこから離れた方向に持っていくのが面白いんじゃないか、という発想です。アレンジ面でお願いしたのは、“ピンク・レディーの振り付けができないようなものにして欲しい” ということ。それこそ、“踊らなくて当たり前、と言えるぐらい、振り切っちゃって大丈夫ですから” とお願いしました。
ーー ソロへと転じた最初の頃は、レコード会社やマネージメント、スタッフなど、環境はピンク・レディー時代と変わらなかった。ソロになったことを強調するあまり、デュオ時代とソロ活動を差別化しようという意識が強く働き、ピンク・レディーの楽曲を遠ざけたりもしていた。女優業に挑戦するなど、いくつかの試行錯誤もあった。だがポンタ氏の熱いサポートもあり、事務所から独立して着々と自由を手に入れていくと、自分の中のモチベーションが変わってきたという。
やがて、自分一人で表現する “ピンク・レディー” のカタチがあって良いと考えるに至り、肩のチカラが抜けて自然に構えることができるようになったそうだ。そうして、でき上がったオケに自分がそのまま乗るのではなく、自身がメンバーとしてバンドフォーマットに飛び込んでいく。その中で楽器としてのヴォーカルスキルを高めていく必要性にも駆られた。
未唯mie:今までの理屈とはまったく違う発想で、呼吸を使って身体全体から声を出す、身体全体を楽器として扱うという発声法。この頃から始めて、今も勉強し続けています。
本格的にソロ・ライヴを始めた未唯mieのステージ・パフォーマンス
ーー あの華奢な彼女の何処から、どうしてあんなスゴい歌声が出てくるのか。本格的にソロライヴを始めた未唯mieのステージパフォーマンスを観て強く印象に残ったのは、そのアイディアの豊富さとシンガーとしての実力。頭のどこかに “元アイドル” というレッテルがあると、観た者は肝を冷やすのは間違いない。でも反対に、多彩な音楽エレメントが注入されていることに気づける思慮深い耳と自由な感性をお持ちの音楽ファンならば、きっと現在の未唯mieの面白さ、音楽レヴェルの高さに驚くはずである。
しかしそうした彼女の実態が、“未唯mie=ピンク・レディー” という図式のまま思考停止しているグレーゾーンのファンに、果たして何処まで伝わっているのか。そこが悩みどころなのだ。
2010年以降の彼女のライヴをプロデュースした顔ぶれだけを見ても、大瀧詠一や寺尾聰、福山雅治らを手掛けてきた井上鑑、レベッカや聖飢魔Ⅱらをデビューさせた後藤次利、コブクロやスピッツ、プリンセス プリンセス、ユニコーン、THE YELLOW MONKEYらのプロデューサー・笹路正徳、SHOGUNやAB'Sで活躍したギタリスト・芳野藤丸、世界的ジャズギタリスト・吉田次郎、そして “PINK LADY NIGHT” の仙波清彦(パーカッション奏者にして邦楽囃子仙波流家元)など、まさに豪華絢爛な顔ぶれが揃う。
でもその名匠たちを集め、単なる “お仕事” に止まらない本気印の貢献を引き出すには、どれほどの努力をしているか、そこを慮ることができるリスナーは、まだまだ限定的なのだ。
彼女自身、ライヴに集まるオーディエンスへ届けたいものが変わってきた。“踊って楽しむよりも、もっともっと聴いて欲しい” と願っているのだ。
どんな時だって、ミイはMIEで未唯mieなのだ
未唯mie:以前はその時のノリや勢い、熱気などを楽しんでもらいたいと思っていました。でも今は、歌や演奏に籠めた感情、思いの丈を、ジックリ聴いて感じ取ってほしいんです。
ーー 最近の未唯mieライヴに集まる人たちを見ていると、立ち止まることなく著しい音楽的進化を遂げている彼女をしっかりフォローできているコアファンは、その中にどれだけいるの? と疑問を抱いた。イヤイヤ、かくいう筆者も、かつて取材で会った生前のポンタさんに「未唯mieちゃんが面白いことをやっているから、ちゃんとチェックしとけよォ〜」と促され、気に止めるようになったのだから、決して大きなコトは言えない。もちろん、若きデュオ時代を否定するワケじゃない。どんな時だって、ミイはMIEで未唯mieなのだ。だが表記が変わるのと同じように、時代によって彼女の表現スタイルは変わってきた。
だからこそ、こうしたベスト盤がリリースされるのをチャンスとして、現在進行形である未唯mieの今の音楽性や活動スタンスを、広く固定ファン以外に伝播させていかなければならない。それが音楽メディアや、自分のような音楽ライターの使命だと心得る。
(取材・構成 / 金澤寿和)
次回予告:次回は3月1日にリリースされたベスト盤『MIE to未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST』の核心に迫ります。
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2023.03.01