1月28日は “萬画家” 石ノ森章太郎先生の命日
1月28日は「漫画の王様」として斯界に長く君臨し、『サイボーグ009』をはじめ『佐武と市捕物控』『さるとびエッちゃん』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など多くの名作を生み出した “萬画家” 石ノ森章太郎先生のご命日。
しかし私たち世代は敢えて「石森章太郎先生」とお呼びしたい! なぜなら先生がまだ「石ノ森」と改名される以前、私たちは幼い日に『仮面ライダー』(1971年)をはじめとする先生の作品を実写化した番組で、「原作 石森章太郎」というクレジットを数え切れぬほど観て育った世代だから。
石森先生の無限のイマジネーションが生み出した『仮面ライダー』をはじめとする綺羅星の如き作品群――『人造人間キカイダー』『変身忍者嵐』『ロボット刑事』『イナズマン』『がんばれ!! ロボコン』『秘密戦隊ゴレンジャー』『アクマイザー3』『快傑ズバット』などなど……!!
今なお続く『仮面ライダー』シリーズは言わずもがな、スーパー戦隊シリーズもその原点は石森先生の『秘密戦隊ゴレンジャー』に他ならないし、目に見えない部分でも石森先生が生み出したヒーロー像は、以後の作品に多大な影響を与え続けている。
さてその “綺羅星” のひとつに『ロボット刑事』(1973年)がある。
読者が自然と感情移入、漫画版ロボット刑事の魅力
仮面を付けたライダーこと “仮面ライダー” に匹敵するシンプルなタイトルが表す通り、ロボットの刑事である “K” を主人公としたこの物語。
警視庁特別科学捜査室に属するKが、ベテラン鬼刑事や若手熱血刑事と組み、“バドー”(自社の殺人ロボットを悪人どもにレンタルし、その犯行によって得た利益を徴収する世界的犯罪組織)を相手に、ロボットならではの戦闘力と推理力をもって戦いを挑む、といった内容。
『仮面ライダー』以降の、石森先生によるこの種の作品の漫画版は、「原作漫画」というより「テレビとのメディアミックス作品」としての意味合いが強いが、この『ロボット刑事』はテレビ版が低年齢層向けヒーロー番組だったのに対し、漫画版は掲載誌・週刊少年マガジンの読者層に合わせ、テレビ版より高めの年代を対象としたハードなSF犯罪ドラマとなっていた。
また実写テレビ版のKは着ぐるみヒーローゆえ当然のことながら無表情な訳だが、一方で漫画の主人公としてのKが無表情であることは、作者としては描きづらいものがありそうなところ。しかしさすがは石森先生、そこを逆手に取った。周囲の人間からその無表情ぶりを気味悪がられるKだが、そんな無表情の中にも喜びや哀しみ、怒り、寂しさといった “表情” を感じさせる描写で、読者がごく自然にKに感情移入できる作品に仕上げてみせた。
Kは強く人間に憧れている。それゆえ人間と同じように帽子をかぶりトレンチコートを身にまとい(その姿がKの外見の不気味さをより際立たせているという悲哀!)、あるいは詩を書いたり、それを周囲の人間にからかわれたり、またそれを読まれることを恥ずかしがったりと、ヒーローらしからぬ人間臭さを見せるのだが、当然のことながらどう憧れても決して人間にはなれない哀しさがつきまとう。
しかし刑事として捜査にあたるKは、“心ある人間” の仕業とはとても思えないような狂気じみた事件(しかしそれらの事件はいずれも、人間がバドーのロボットを利用して仕組んだ犯罪)に直面するという皮肉。
テーマ曲はすべて水木一郎アニキ
「人間に憧れるロボット」という設定は、童話の「ピノキオ」をモチーフとし、同じく実写化された石森作品『人造人間キカイダー』(1972年)にも通じるペーソスに溢れていた。
生涯通じて膨大な作品を生み出し続けた石森先生にとっては、漫画版『ロボット刑事』もそのひとつ、という立ち位置に過ぎないかもしれないが、本作での筆致は冴えに冴えており、個人的には無数の石森作品群の中でも最高傑作の部類に入ると考えている(ラストの唐突な幕引きだけが惜しまれるが…)。
さて一方、実写版『ロボット刑事』の音楽は、ヒーローの孤独と哀愁を描いて右に出る者がいない菊池俊輔先生が担当。オープニング含め都合4曲のテーマ曲が存在するが、いずれもコロムビアゆりかご会などによる児童コーラスがなく、やや高い年齢層を意識した水木一郎アニキのソロ曲である。
歴史に残る名エンディング曲になるはずだった「ケイは生れた」
オープニング曲「ロボット刑事」(作詞:八手三郎)は王道とも言える菊池節ソングだが、エンディング曲は当初、「ケイは生れた」(作詞:石森章太郎)というバラード曲が予定されていた。
これは、同じく菊池先生によるあの『タイガーマスク』(1969年)が、勇壮なオープニング曲「行け! タイガーマスク」に対し、エンディング曲が寂寥感あふれる「みなし児のバラード」だったことを思わせるような対比、となる筈だった。
すなわち正調・菊池節であるオープニング曲が武骨な戦闘ロボット・Kの勇姿を謳ったものだとすれば、対する「ケイは生れた」はKの内面、純朴で繊細な心根と、ロボットとしての孤独を表現したものとして。
その「ケイは生れた」の歌詞の一部を記すと、
ハガネのはだに あついこころで
このよのあくを あいにかえようと
あさやけのまちを あしためざして
ケイはうまれた
そして2番と3番には、
このよにあいの はなをさかそうと
このよにともの かずをふやそうと
―― といった歌詞がある。Kにとって悪は倒すべき対象ではなく、「愛に変える」べき対象であり、この世に愛の花を咲かせ、友を増やすことが願いなのだ。
ほぼひらがなだけで構成されたこの石森先生の手による歌詞は、まさにKが書いた詩ではないかと錯覚するような内容で、菊池先生のメロディーもそんなKの心に寄り添うような優しさに満ちたものだったが、結果的にこの曲はエンディングとしては使用されず挿入歌扱いとなり、劇中ではそのメロディーがインストゥルメンタルで流れるにとどまった。
エンディングとはいえ、ヒーローの曲にしてはあまりに寂し過ぎる、という判断が下されたのかもしれないが、Kのイメージソングとしてこれほど相応しい曲はないし、もし予定通り使用されていたら、歴史に残る名エンディング曲たり得たと思うのだが…。
弱さをも描いた画期的な特撮ヒーロー作品
結果的にこの実写版『ロボット刑事』は、中盤から様々なパワーアップが図られるも半年で終了していることからも、ヒーロー番組として『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』に匹敵する人気は得られなかったように思う。
もとより “ロボット” の姿であるKは “変身” する必要がなく、戦闘時にはそれまで身にまとっていたブレザーを脱ぎ捨てるのみ、というスタイルは、変身ものとしてのカタルシスに欠けていたかもしれない。
またベテランの鬼刑事に「この気味の悪い鉄クズ野郎!」とどやされて落ち込んだり、捜査に失敗したのちにKの母親的存在である巨大ロボット “マザー” の元で涙にくれたり(!)と、主人公の“弱さ”をも堂々と描いた特撮ヒーロー作品として画期的だったのだが、年少の視聴者の目にはその主人公像が少々頼りなく映ったかもしれない。
しかし今になって同じ世代同士で幼い頃見ていたテレビ番組について雑談する時、意外にもこの番組を知らない男子は殆どいないのだ。
熱狂的に支持することはなかったとしても、このKの純朴さ、ロボットらしからぬ人間臭さは、やはり当時のちびっ子の心に何か残るものがあったと信じたいし、機会があれば大人になった今こそ再見していただきたい。そして漫画版にもぜひ触れてみていただきたい作品である。
アニソン大集合!Re:minderが選ぶ80年代アニメソングランキング
▶ 漫画・アニメの記事一覧はこちら!
2023.01.28