4月22日

止まらない快進撃!80年代におけるプリンス&ザ・レヴォリューションの革命

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プリンス&ザ・レヴォリューションのアルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」がリリースされた日
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photo:Warner Music Japan  

再び全米1位! 前作「パープル・レイン」から半年足らず


ミネアポリスで起きた白人警官による黒人男性窒息死事件に端を発するアメリカでの抗議、暴動はこの原稿を書いている時点でも続いている。

同様に白人警官が黒人に危害を加えた2014年ファーガソンで起きた “マイケル・ブラウン事件” や2015年ボルチモアで起きた “フレディ・グレイ事件” に心を痛め「ボルチモア」というメッセージソングを発表したプリンスは、自らの故郷で起きた今回の事件にきっと胸を痛めていることであろう…

35年前の1985年6月、プリンス&ザ・レヴォリューションとしては2枚めのアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は、アメリカのビルボード誌のアルバムチャートで1日付から15日付まで3週連続で1位を記録した。

前年1984年のメガヒットアルバム『パープル・レイン』が24週連続1位だったので、比較すると地味に見えるがとんでもない。この前作が24週めの1位を記録したのが1月12日付。プリンス&ザ・レヴォリューションはわずか5か月足らずで1位に返り咲いたのだ。

前作とはまるで異なる「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」


『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は1985年4月22日にアメリカとイギリスでリリースされた。『パープル・レイン』が前年の6月25日にアメリカでリリースされているので、わずか10か月後のことであった。

マイケル・ジャクソンがメガヒットアルバム『スリラー』(1982年12月)から次作『BAD』(1987年8月)まで5年近くかかっていることを考えると、比較にならないハイペース。しかもマイケルがこの2枚のアルバムを出す間に、プリンスは4枚(組)のアルバムをリリースしている。80年代、プリンスがアルバムをリリースしなかった年はなんと1983年しか無いのだ。

そしてさらに目を見張るのは、『アラウンド・ザ・ワールド~』が『パープル・レイン』とはまるで趣を異としたアルバムだったことである。

リリース当時、『アラウンド・ザ・ワールド~』について以下の様な言説があった。

 このアルバムはプリンスにとっての『サージェント・ペパーズ』だ
 このアルバムは『パープル・レイン』と同時進行で作られた

2つめに関しては早めに検証しておこう。『パープル・レイン』の録音は1983年の8月から84年の3月。『アラウンド・ザ・ワールド~』は1984年の1~2月から12月。数か月重なってはいたがさすがに同時進行ではなかった。

こんな言説がまことしやかに語られたのは、比較的ストレートでポップでロック色の強い『パープル・レイン』と比べて『アラウンド・ザ・ワールド~』が、サイケを基軸としたロックあり、ジャズあり、ファンクありのヴァリエーション豊かなアルバムだったからではないか。メガヒットの前作を全く踏襲せず、世に問われた趣の異なる新作。前作と同時制作の方が話が面白くなるということだったのではないか。僅か10か月後にリリースされたことだけでも充分だろうに。

ビートルズ「サージェント・ペパーズ」との共通点は?


ザ・ビートルズの1967年の革命的アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に例えられたのは、前作からの大きな変化と、サイケな味わい、そして登場人物の多いジャケットからであろう。

ビートルズの大ファンとしては “サージェント・ペパーズ” という言葉に胸がときめいたが、アルバムを通してビートルズを感じられたサイケロックは、プリンス自らのレーベルとスタジオの名前にもなった2曲めの「ペイズリー・パーク」と、アルバムからのリードシングルとなりアメリカで最高2位を記録した4曲めの「ラズベリー・ベレー」、そしてセカンドシングルとなりアメリカで7位を記録した7曲めの「ポップ・ライフ」くらいであった。

それでも前作では登場すべくもなかったビートルズの香りのする、これらサイケロックナンバーに、当時二十歳の僕は大いに魅かれたし、やはり嬉しかった。「ラズベリー・ベレー」は僕の特にお気に入りのプリンスの1曲となった。

パーカッションを始めとして中近東色の強い1曲めのアルバムタイトル曲、イントロが2分45秒も続く異色のバラード、3曲めの「コンディション・オブ・ザ・ハート」、パーカッシヴで歌詞がまたエッチな5曲め「タンバリン」、ポリティカルな歌詞で比較的ストレートなロックである6曲め「アメリカ」、ゴスペルの薫り高き8曲め「ザ・ラダー」、8分19秒もあるジャジーな大作、アルバムラストの9曲め「テンプテイション」…

他の曲にはビートルズは殆ど感じられず、そして同じジャンルの曲が2曲と無い。率直に言ってとっつきにくい曲も何曲かあるのだが、ここまでヴァラエティに富んだプリンスのアルバムは無いと言っていいだろう。そしてこのヴァリエーションの豊かさもまた “サージェント・ペパーズ的” と評していいのではなかろうか。

到達点ではなく通過点? 2つのアルバムの大きな違い


『アラウンド・ザ・ワールド~』と『サージェント・ペパーズ~』で最も異なる点を挙げるとすると、それはこのアルバムが一つの到達点になったか否かということではないだろうか。

プリンス&ザ・レヴォリューションは、翌1986年の次作にしてこの名義での最終作『パレード』でまた全く異なる、言わばジャケットと同様のモノクロ感の音世界を生み出すことになる。クリエイティブな快進撃は止まらなかった。『アラウンド・ザ・ワールド~』も一つの通過点だったのだ。

当時渋谷陽一は、プリンスをリアルタイムで追いかけて聴くことは、70年代にスティーヴィー・ワンダーをリアルタイムで聴くことと同じくらいイノヴェイティヴで貴重な体験だと語っていた。90年代にプリンスの快進撃が一段落した時、振り返ってみて僕もそう思わざるを得なかった。

プリンスの本質を表したアルバムとは言えないかもしれないが、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は、僕の一番好きなプリンスのアルバムである。

今回、改めてサードシングルでもあった「アメリカ」を聴くと、そこには礼賛でもなくアンチでもない、アメリカへの複雑な想いが既に見え隠れしている。プリンスが「ボルチモア」を発表した5年前と、残念ながら状況は悲しいほど変わっていない。非力な我々には祈ることくらいしか出来ないかもしれないが、プリンスが安らかに眠れる日が来ることを願ってやまない。

―― 生きていたら62回めのプリンスの誕生日に記す

2020.06.07
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宮木宣嗣
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