「い・け・な・いルージュマジック」忌野清志郎にもった異物感
「い・け・な・いルージュマジック」をテレビで観た時、僕にとって忌野清志郎は文字通り「異物」だった。1982年3月、僕は小学校を卒業するかしないかのほんの12歳の少年で、まだ知らないことが多すぎた。
坂本龍一のことは知っていたし、YMOは好きだったから、ポップなこのレコードも嫌いじゃなかった。ラジオでもよく流れていたし、他の歌謡曲と同じように、よく友達と一緒に口ずさんだりしていた。
僕が異物感をもったのは、彼らが『ザ・ベストテン』に出演した時だった。普通テレビに出る人達はみんな礼儀正しくて、気の利いた会話とおもしろい冗談のひとつでも言えれば好感度が上がる。そういうものだと思っていた。でも、回転扉から登場した清志郎は、最初からどこか違っていた。あまりしゃべらず、顔は笑っていても、全然協力的には見えなかった。
そして、曲が始まると、その歌い方やパフォーマンスは独特で、少し気持ち悪かった。バックにはプロモーションビデオが流れ、派手な化粧をしたふたりが札束をばらまいたり、夜の町を走り抜けたり、挙げ句は長いキスをしたりと、一体これをどう受け止めたらいいのか、僕にはわからなかった。翌日の学校では、清志郎と坂本龍一のキスシーンが当たり前のように話題になった。何人かは「かっこいい」と言っていたが、僕も含めた多くは「なんだか馬鹿みたいだ」と思っていた。
自由奔放な清志郎、とにかく「不遜」なテレビ出演
本当の衝撃がやってきたのは、翌週か翌々週だったか、『ザ・トップテン』に出演した時だった。この番組は観客を集めた公開放送ということもあり、清志郎は『ザ・ベストテン』の時とは比較にならないほど生き生きとしていた。
とにかく「不遜」なのだ。
司会者と坂本龍一が話しているのに、鼻にティッシュを詰めて飛ばしたり、「好きです。結婚してください」と意味不明なことを言ったりする。その態度はふざけているというか、小馬鹿にしているというか、「テレビでこんなことをしていいのだろうか」と、小学生の僕は思ったものだった。
そして、演奏が始まると、これがもう輪をかけてメチャクチャなのだ。フロアをごろごろと転げ回り、ほふく前進をしながら卑猥に腰を動かし、坂本龍一の顔をチロチロと舐める。
途中で服を脱ぎ捨て、自由奔放に歌い踊る清志郎を、僕は呆気にとられながら観ていた。「こんなことをして後で怒られないのだろうか?」と、やはり心配になったのだった。
かっこいい! 自由に振る舞う大人に胸がときめいた
ただ、ひとつ違っていたのは、これを「かっこいい」と思ったことだ。そして、それがすべてだった。とにかく画面から目を離すことができなかった。あの声が胸に響いて、少し怖かったのを覚えている。それはタブーの扉をひとつ開けた瞬間だったのかもしれない。
あんなに自由に振る舞う大人を観たのは、清志郎が初めてだった。大人というのは、いつもちゃんとしていて、分別があって、子供に「おとなしくしてろ」と注意する人達のことだと思っていた。でも、そうじゃない大人もいることを知った。それは胸がときめくほどに、かっこいいことだった。
中学生になると、いつしか僕も自由に憧れ、そのための生き方を探すようになった。もちろん清志郎みたいにはなれないし、今もなかなか難しいのだけど、僕なりのやり方で僕なりにやってきた。きっとこれからもそうしていくのだと思う。
そして、たまにあの時の清志郎の姿を思い出し、勇気をもらうのだろう。
※2019年2月13日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
2021.02.14