5月5日

キャッチコピーは “レモンチックな17歳” 森尾由美は83年組のシンデレラ

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森尾由美のデビューシングル「お・ね・が・い」がリリースされた日
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ダントツの可愛らしさ! 83年デビューの森尾由美


デビュー時のキャッチコピーは “レモンチックな17歳”。前年の1982年が凄すぎただけに不作などと言われたが、実はなかなかの粒ぞろいだった83年デビュー組。中でも森尾由美はダントツの可愛らしさを誇る新人だった。

歌手デビューよりも少し早く、ドラマデビューとなった原田知世主演のテレビ版『ねらわれた学園』(フジテレビ)でいち早く着目していた人も少なくなかったはず。雑誌『セブンティーン』の読者モデルに応募したことが芸能界入りのきっかけとなり、「ミスマガジン」の “マガジンメイト” としても活躍。歌手デビュー直後にスタートしたNHKの少年ドラマ『だから青春 泣き虫甲子園』でも、菊地陽子や伊藤かずえら同年代のアイドルたちが割拠する中、ひときわ輝きを見せていた。

デビューシングル「お・ね・が・い」の作詞作曲は古田喜昭?


森尾由美は、『ねらわれた学園』で共演した原田知世との縁もあってだろうか、キャニオン(現・ポニーキャニオン)からの「お・ね・が・い」で歌手デビューとなる。作詞・作曲は槇村侑。この聴き慣れない名前はカップリング曲「口唇緊張あと5cm」を作詞・作曲した古田喜昭の別名という説もあるのだが。たしかに両者共に作詞も作曲もこなしており、古田の名はセカンド・シングル「ごめんなさい♥愛してる」を提供して以降は森尾の作品では見られなくなるが、槇村は提供を続けている。

シュガー「ウエディング・ベル」や太田貴子「デリケートに好きして」で知られる古田のコミカルな作風とも似ているし、槇村のクレジットが森尾の作品のみに限られることからも極めて有力な説と思う。だとすれば初期シングル2枚のA / B面での名前の使い分けにはどんな理由があったのだろう。

「お・ね・が・い」は森尾のチャーミングな声の魅力が活かされたアイドルの王道を行くビーチ歌謡で5月デビューに相応しい良曲だったけれど、セールスは今一つふるわなかった。

森尾由美ヒストリーにおける重要な一曲「お料理マンボ」


セリフがキュートなセカンドシングル「ごめんなさい♥愛してる」もまた然りで、80年組や82年組のアイドルたちが続々とヒットを飛ばしていたことで苦戦を強いられたのは致し方なかったと思われる。槇村の作曲によるカップリング曲「お料理マンボ」の振り切った感がカルトアイドル化の一助となってしまったことも否めないが、これは森尾由美のアイドルヒストリーにおける重要な一曲。

世が世ならば江利チエミとかに歌って欲しかったノヴェルティ歌謡の傑作である。ちなみに同じ年、古田喜昭がアニメ『イタダキマン』の主題歌「いただきマンボ」(歌・田中真弓)を作曲しているのは単なる偶然ではあるまい。

ディレクター羽島亨の手腕、4枚目のシングルでもたらされた変革


83年にはシングルをもう一枚、槇村の作詞、佐久間正英の作曲による「天気予報はI Luv U」で前2作の路線を踏襲した後、84年1月リリースの4枚目のシングルで変革がもたらされる。

突如としてのカヴァー、それも小林麻美のデビュー曲「初恋のメロディー」に真正面から挑んだのだった。筒美京平作品が採り入れられたのは、同レーベルで田原俊彦も手がけていた羽島亨ディレクターの担当だったことに起因する。

田原の「君に薔薇薔薇…という感じ」「原宿キッス」「シャワーな気分」などで筒美作品の実績を上げた後のスライドで、カヴァーでの助走に続き、オリジナルの「トモダチの関係」「ASIAチックDoll」が橋本淳×筒美京平コンビによって書き下ろされた。この2枚はいずれもピクチャーレコードだったが、それも先行していた田原のLPやシングル「騎士道」に準ずるものだった。

86年まで続いた歌手活動、フレンチポップスへの傾倒も


86年まで続いた歌手活動はこの辺りがピークだったかもしれない。それでもこの後、安井かずみ×加藤和彦による「だからタッチ・ミー」や、これも田原ラインの網倉一也作曲による「そうしましょうね」など、ちょっとずつ大人っぽい雰囲気が醸し出された佳曲が増えており、もっと長く歌われていれば、さらなるエレガンスな楽曲も聴けたのだろう。

ラストアルバムとなった85年の『Euromantique』ではフランス・ギャルのカヴァーなど、フレンチポップスへの傾倒もうかがわれた。早々に歌以外の活動へとシフトしていったことは少々残念ではある。だからこそ、2018年11月に開催された83年組の35周年記念ライヴ『~不作と言われた私たち「お神セブンと申します」~』で久しぶりに歌声を聴かせてくれたのは感慨深かった。

事務所の後輩、ももクロやエビ中にもカバーしてもらいたい!


それにしても平成を経て令和になっても彼女のルックスの変わらなさには驚かされるばかり。94年に始まった松居直美、磯野貴理子とのトーク番組『おそく起きた朝は…』(現在は『はやく起きた朝は…』)が今なお続いているのも驚異的だ。そういえば “森の磯松” として3人でCDを出したこともあったが、なにしろ短冊シングル時代のことなので憶えている向きは少ないかも。

83年からの約3年半で森尾由美がリリースしたレコードはシングル10枚、オリジナル・アルバム5枚に及ぶ。事務所の後輩にあたる、ももいろクローバーZや私立恵比寿中学らの現役アイドルがこれらをカヴァーしてみても面白いのでは?

2020.05.05
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カタリベ
1965年生まれ
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