3月25日

人はなぜライブに行くのか? 生まれて初めて観た外タレはポール・ヤング

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ポール・ヤングのアルバム「シークレット・オブ・アソシエーション」ががリリースされた日
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photo:SonyMusic  

私が芸能人を生で初めて見たのは70年代後半、小学校中学年の頃だった。

地元のお祭り、といっても、私が育った港町ではわりと大規模なもので、近隣市町村からも大勢の人が集まっていた。その年のゲストは「あずさ2号」の狩人だった。

私は、生まれて初めて見る「生の芸能人」に異常なほど興奮していた。

狩人の2人には申し訳ないのだが、芸能人が生で見られるならもう誰でもよかった。それだけ「生の芸能人」にひどく飢えていた子供だった。普段はこんな人混みなど存在しない街が彼らのフリーライブのために黒山の人だかりとなり、私はその人混みに酔って、その晩熱を出した。

時は流れ、80年代半ば。私は高校生になっていた。その頃、私は「海外アーティストを生で見たい」病に冒されていた。

その2、3年前には、当時熱を上げていたアイドル時代の渡辺徹見たさに100キロ離れた政令指定都市のコンサート会場まで行ったのだが、その後数ヵ月でデュラン・デュランに鞍替えし、それ以来ほぼ洋楽しか聴かなくなってしまっていた。

そんなある日、渡辺徹のコンサートを見に行ったあの街にポール・ヤングが来るという話を聞いた。「ついに海外アーティストを生で見る機会がやってきた!」と私は色めき立った。

来日公演は1986年3月。S席のチケットが3,900円の時代である。その街に住む友人に頼んでチケットを購入してもらい、ポール・ヤングに会うため汽車(!)に乗って100キロの旅をした。

もともとイギリス本国で大人気だったポール・ヤングは「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」が世界的に大ヒットし、そのときも東京で武道館ライブをやるほどのビッグネーム。あのバンドエイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」のスタートを飾ったのは彼ですよ。

ちなみに私が行った会場は、渡辺徹のコンサートと同じ場所だった。当時はコンサート会場といえばそこしかなかった。確か前から30列目かそれ以上後ろだったような。肉眼でどれだけ見えるのか、私はそれだけが心配でたまらなかった。

私の記憶が正しければ、空っぽのステージに「オーバー・ザ・レインボー」を歌う声だけが聞こえてきた(似た別の曲だったかもしれない)。そして、その後に登場したのは―― 白いピラピラしたブラウスに黒いカッチリしたダブルのジャケット、白くて太い2本線が入った黒いジャージを穿いたポール・ヤングであった。

2本線のジャージ…

だ! ダサ… いやいや、彼は世界的なスター! 彼が着ると2本線のジャージだってクールなんだから!!! と自分に言い聞かせて、生まれて初めて見る外タレ(当時は海外アーティストのことをみんなそう呼んでいたような気がする)を一瞬も見逃すことなくエンジョイしようと躍起になった。とにかく、ジャージがダサくても、ポールはとってもカッコよくて、歌もさることながら、ステージアクションなんか……

実はマイクスタンドを頭上でクルクルと回していたことしか覚えてない(笑)。だけど、ライブは本当に素晴らしくて、楽しくて、それからしばらくは熱に浮かされたようにポール・ヤングのことばかり考えていた。

その後リリースされた「メモリーズ(Tomb Of Memories)」というシングル(… 思い出の墓?)のPVでは、ダサ… いや、カッコいい衣装と、ダサ… いや、カッコいいステージアクションが、私の見たポールに限りなく近い形で映されていて感涙ものだった。もちろんジャージも穿いていた。しかも赤。このPVと YouTube のおかげで、私の記憶が「墓」に埋もれずに済んでいる。ああ、長生きしてよかった。

もちろん、ポールは62歳になった今でも精力的に活躍しているが、今年(2018年)1月に最愛の奥様を52歳の若さで亡くされた。83年にリリースされた大ヒットシングル、「カム・バック・アンド・ステイ」のミュージックビデオに彼女が相手役として出演していたことがきっかけで、結婚に至ったのだそうだ。

これからは辛い日が続くと思うが、ポールが笑顔を取り戻して、またその歌声を聞かせてくれる日が来ることを祈るばかり。

そんなこんなで、ポール・ヤングを初めて見に行ったときのことを思いだしたのだが、アーティストのライブに行くこと、それは彼らと時間や空間を共有できるということなのだ。舞台やミュージカルも同じ、テレビや映画にはない楽しみがある。

私の場合はむしろ「あぁ、このアーティストと同じ空気を吸ってるんだわ! スーハースーハー」と無駄に深呼吸するような変態じみた感覚に近い。私はあの日、世界的な大スターであるポール・ヤング様と時間や空間を共有し、同じ空気を存分に吸わせていただいたのである。

今までライブを何本見たのかもうわからないけれど、テレビやグラビアの向こうにいるアーティストがこの世に実在することをこの目で確かめたいと思う気持ちは、五十路にリーチをかけた今も小学校の頃と少しも変わっていない。

変わったことがあるとすればただひとつ。

“できれば座ってライブを見たい” と思うようになったこと、ですかね。

2018.02.07
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  YouTube / PaulYoungVEVO


  YouTube / PaulYoungVEVO
 

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カタリベ
1968年生まれ
モコーツカ
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