1977年 11月

アントニオ猪木の入場テーマ「炎のファイター」宿命のライバルは太陽にほえろ!

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アントニオ猪木とザ・ファイターズのシングル「炎のファイター(INOKI BOM-BA-YE)」がリリースされた月
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モハメド・アリからプレゼントされた?「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」


アントニオ猪木という不世出のプロレスラーについて、猪木寛至という特異な人物については、いくらでも語りたいことがある。ただ、ここではRe:minderという媒体にふさわしく、音楽について…… つまり、猪木の入場テーマ曲「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」(以下「炎のファイター」)について考察することにしたい。

「炎のファイター」の原曲は、当時のプロボクシング統一世界ヘビー級王者、モハメド・アリの伝記映画「アリ / ザ・グレーテスト」(1977年)で用いられた「Ali Bombaye」という曲である。ダイアナ・ロス、ナタリー・コール、ディオンヌ・ワーウィック、ホイットニー・ヒューストン、バリー・マニロウ、バーブラ・ストライサンド、マライア・キャリーら錚々たる面々に楽曲提供歴のあるマイケル・マッサーが作曲したもので、マンドリルというファンク系バンドが演奏を担当。オリジナルでは、「イノキ ボンバイエ」の掛け声が「アリ ボンバイエ」となっている。



“「Ali Bombaye」は猪木がアリからプレゼントされた曲である” というのが定説だ。今となっては、それがフィクションなのか、ノンフィクションなのかは、どうでもいいことだ。何がどうあっても、猪木と「炎のファイター」がベストマッチングだった現実を覆すことはできない。むしろ、「炎のファイター」が猪木をイメージして作曲されたオリジナル曲でないのが不思議なぐらいである。

そんな「炎のファイター」には、“宿命のライバル” ともいえる曲があった。そして、猪木はリング上の相手だけではなく、その曲を発信するあるコンテンツとも闘っていたのである。

10年以上に渡り、ゴールデンタイムの全国中継で流され続ける “猪木のテーマ曲”


猪木が最初に「炎のファイター」を入場テーマ曲として使用したのは、1977年8月に日本武道館で行われた “全米プロ空手世界ヘビー級王者” ザ・モンスターマンとの異種格闘技戦でのこと。この時代はまだ、レスラーがそれぞれのテーマ曲で入場することはディフォルトではなかった。しかし、1977年中には複数バージョンのシングルレコードがリリースされており、関係者が「炎のファイター」を “猪木のテーマ曲” としてプッシュしようとしていたことがわかる。

長い間、猪木が所属する新日本プロレスの試合は、『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系 ※1977年3月まではNET系)の番組名で毎週金曜の20時から1時間枠で放送されていた。番組中、猪木の入場は大きな見せ場であり、生放送の場合はそれがノーカットで流れた。70年代後半以降『ワールドプロレスリング』はカードによっては視聴率20%に達するようになり、絶頂期の1982〜1983年頃には常時20%を記録していた。その後、視聴率のピークを過ぎてからも、番組構成や放送曜日の変更を経て1988年3月まではゴールデンタイムに君臨し続けていた。

つまり、「炎のファイター」は “10年以上にわたり、ほぼ毎週、ゴールデンタイムに全国ネットの高視聴率番組で流れていた稀有な曲” なのである。

「ワールドプロレスリング」の裏番組「太陽にほえろ!」がライバル曲に


ただ、同じ時代に同じような条件を満たした曲が少なくとも1つはあり、それこそ、「炎のファイター」の宿命のライバルだといえる。それはズバリ、『ワールドプロレスリング』と同時間帯に日本テレビ系で放送されていた刑事ドラマのオープニング曲、大野克夫が作曲し、井上堯之バンド(大野も所属)が演奏した「太陽にほえろ! メインテーマ」だ。



こちらも、1972年7月の『太陽にほえろ!』の放送開始時から、続編の『太陽にほえろ! PART2』が終了する1987年2月まで、アレンジを変えながらも14年半にわたり、金曜のゴールデンタイムで流れ続けていた。

そもそも、『ワールドプロレスリング』と『太陽にほえろ!』は、単なるライバル番組ではない。両番組には話せば長い因縁ストーリーがあるのだ。

アントニオ猪木と石原裕次郎の因縁とは?


力道山の生前より、金曜20時はプロレス中継の固定枠だった。当初はずっと日本テレビ(以下:日テレ)が、力道山が作った団体「日本プロレス」の中継をしており、メインスポンサーを一貫して三菱電機が担っていた。

力道山が他界し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の時代になると、NET(現:テレビ朝日)でも日本プロレスの試合を放送することに。その際、日テレの強い要望により「馬場の試合はNETでは放送しない」などいくつかの協定が結ばれた。そこで、NETのプロレス中継は猪木をエースに据えた。

しかし、1971年12月に猪木が日本プロレスから離脱。そこで日本プロレスはなし崩し的に馬場のNET登場を容認し、日テレと三菱電機を怒らせた。

実はその頃、馬場も日本プロレスからの独立、新団体「全日本プロレス」旗揚げの準備をしていた。やがて、日テレは近い将来の全日本プロレスへの鞍替えを前提に、1972年5月で日本プロレスの中継を打ち切る(その後、7月14日までプロレスの総集編的番組を放送)。結果、唯一の日本プロレス中継局となったNETは、7月28日より金曜20時……つまり、長年に渡る日テレのプロレス放送枠を、自局の新たなプロレス放送枠としたのである。

もちろん、この動きを察していた日テレも黙ってはおらず、金曜20時枠に三菱電機をスポンサーとして、プロレスに代わる強力なプログラムを用意した。それが、映画スター・石原裕次郎をテレビに担ぎ出した『太陽にほえろ!』だったのだ。つまり、『太陽にほえろ!』はNETのプロレス中継潰しを一つのミッションとしてスタートしたといってもいい番組なのである。

結局、馬場も猪木もいない状態では高視聴率を獲得することはできず、NETは日本プロレスを見限る。そして、1973年4月より、猪木が旗揚げした団体「新日本プロレス」の中継を『ワールドプロレスリング』の番組名で金曜20時枠に放送することになるのだ。

こうして、『ワールドプロレスリング』vs『太陽にほえろ!』、アントニオ猪木vs石原裕次郎の視聴率戦争が始まった。

「太陽にほえろ!」と「ワールドプロレスリング」、苛烈な視聴率ウォーズは互角の展開


『太陽にほえろ!』は、日本における刑事ドラマのひとつのフォーマットを作った番組であり、特に萩原健一が演じたマカロニ刑事から始まった刑事の死(「殉職」と表現された)、新人刑事の登場という展開は、高視聴率を約束する番組内のイベント化した。松田優作がジーパン刑事として登場していた時期には、視聴率は20%を超え、時には30%に到達することもあった。

『ワールドプロレスリング』は、猪木の異種格闘技戦、日本人レスラー(もしくは日本の団体出身レスラー)同士の抗争、“世界統一” を掲げたIWGPなど視聴者の関心を引く企画を連発。古舘伊知郎の実況が番組を盛り上げ、藤波辰巳、長州力、タイガーマスク、前田日明など新たなスターの登場もありピーク時は20%程度の高視聴率を維持し続けた。

70年代末期に『3年B組金八先生』(TBS系)という第三の強豪も登場し、一時は視聴率トップに君臨したが、その旋風は短期的なものだった。

『太陽にほえろ!』を倒すことは、猪木の宿願だったのではないだろうか。ただし、『太陽にほえろ!』終了直前の1986年10月に『ワールドプロレスリング』の放送枠が月曜に移ったことで、試合の決着はつかなかった。

「炎のファイター」は、『ワールドプロレスリング』の放送枠が夕方や深夜に移行してからも猪木が引退するまで流れ続け、さらに引退後も猪木がプロレス・格闘技団体のマットに盛り上げ役として登場する際も当然のごとく用いられた。一方、『太陽にほえろ!』は地上波で何度も再放送され、CSでも断続的に放送されている。また、「太陽にほえろ! メインテーマ」はテレビのバラエティ番組などでもBGMとして使用される機会が多かった。

長い間、テレビから流れたことで、両曲は世代を超えて人々に刷り込まれていった。 どちらの曲も聴くだけで胸が熱くなる、気分が高揚するという人が多いだろう。



10年以上に渡り、金曜夜の日本のお茶の間に流れた2つの曲


「炎のファイター」、「太陽にほえろ! メインテーマ」のように、“10年以上にわたり、ほぼ毎週、ゴールデンタイムに全国ネットの高視聴率番組で流れていた曲”―― この条件を満たす例はありそうで本当に少ない。

どんなヒット曲でも10年間、毎週テレビに流れることはない。また、10年以上、途切れずに続くゴールデンタイムの番組自体が少なく、続いてもテーマ曲は変わることが多い。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など長寿時代劇ドラマは同じ曲を使っていたが、その放送は断続的だった。同じ条件に該当する曲を考えてみると、『8時だョ! 全員集合』(TBS系)のオープニング&エンディング曲、888話続いた『銭形平次』(フジテレビ系)の主題歌、松本孝弘(B'z)による『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のテーマ曲…… ほかに何があるだろうか?

どちらが優れているか、どちらが愛されているか、そんなことは決める必要がない。 時間切れ引き分けでいい。どっちもいい。どっちもアツい。少なくとも言えることは、テレビが一家に一台しかないのが当たり前だった時代、長きに渡り日本のお茶の間の1/3以上で、金曜の夜には「炎のファイター」か「太陽にほえろ! メインテーマ」のどちらかが流れていたのということである。このようなことは、今後も2度とないのだろう。

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2022.11.18
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