12月27日

A氏の激白! たけしプロレス軍団の刺客、ビッグバン・ベイダー 登場編

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たけしプロレス軍団が新日本プロレス両国国技館大会に乱入した日
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photo:UNIVERSAL MUSIC  
photo:@itsvadertime  

1988年1月のある寒い夜。

新橋ガード下の居酒屋にて、50がらみのサラリーマンA氏の弁――

「そりゃ~ 頭にくるわな。いきなり乱入してきて “この男と戦え!!” だってよ。そんなのファンが納得するわけないじゃん。大体、プロレスファンて言うのはよぉ~、純粋でな~、プロレスに愛のないやつとか、部外者のことは大嫌いなんだよ。

そうそう、いわゆる “オタク” ってやつだな。だから大騒ぎになってよ、“帰れコール” やら “やめろコール” が止まらないわけよ。ついでにモノは投げるわ、会場をぶっ壊すわ、そりゃエライ騒ぎだったなあ…

部外者? って、そりゃあ、ビートだよ、ビート。あいつと何とかっていう弟子が一緒に入ってきたんだよ。別にビートは嫌いじゃないよ。ひょうきん族だって観てるし、カール君なんか、すげえ面白いもんな。でもよ、いくら人気があったとしてもよ、プロレスは無いわな。“勘弁してくれよ” ってことよ。

えっ、ビートを知らねえのか? お笑いのビートだよ。(ビートたけしですか?)あっそうそう、たけしたけし。あいつが、たけしプロレス軍団ていうのを作って、猪木に挑戦しようとしたってことよ。」


<翻訳と解説>
1987年12月27日、両国国技館では「アントニオ猪木 VS 長州力」の IWGP ヘビー級選手権という “ドル箱” カードが組まれていた。観客のボルテージは否応なく上がっている。そこに乱入したのがビートたけしとたけし軍団のガダルカナル・タカ&ダンカン。

「猪木さんの刺客としてビッグバン・ベイダーを連れてきました…(観客に向かって)あんたら猪木の逃げる姿を観に来たのか!」とタカとダンカンがマイクパフォーマンス。すると猪木も「受けてやる、コノヤロー」と答えてしまい、なんとカードが変更になってしまった。

急遽「長州&マサ斎藤組 VS 藤波&木村組」が行われたが、場内は騒然―― 観客からは怒声や叫び声、ついには「やめろ」コールの大合唱。ついでにモノが飛ぶわ! 飛ぶわ! もう、ムチャクチャだ。それもそのはずで、当時のプロレスファンは、いわばオタク。プロレスは「神聖なもの」であり、「愛する者だけのもの」だったから、異分子に対しては一種の拒絶反応があったのだ。

人気絶頂のたけし軍団とはいえ、それを受け入れる心の余裕はファンになく、しかも「猪木 VS 長州」は、シリーズのクライマックスであり、待ちに待ったカードだっただけに許せなかったのだ。

タッグマッチ終了後、観客の怒りが収まらないのを感じた長州は、「俺が猪木とやる」と宣言。これまた急遽、「猪木 VS 長州」が行われることに。何とか静まった会場だが、2試合目で、しかも負傷していた長州を猪木が圧倒すると、セコンドが乱入して長州の反則負けが宣言される。するとまたまた観客が大騒ぎ――

混乱の中、「猪木 VS ベイダー」が始まると、今度は、ベイダーがあっという間に猪木をピンフォール。「おいおい」と納得いかない観客がさらに大騒ぎ。新日本プロレス恒例の大暴動(※注1)となったのだ。


再びサラリーマンA氏の弁。いつの間にか手元は熱燗に――

「俺のプロレスファン歴は長いわけ。そう、そこらの人と一緒にして欲しくないのよ。なんたって東スポを長年愛読しているからなぁ。だからな、たけしプロレス軍団のことは知ってたわけよ。いずれ、あの男が乱入することも分かってたしなぁ。でもよ、何もあの日じゃなくてもいいんじゃないの? っていうのが率直な感想だな。」


<翻訳と解説2>
当時の東京スポーツでは、たけしプロレス軍団(TPG)が設立されたことや、山本小鉄審判部長に挑戦状を手渡したことなどが報じられていた。その挑戦状が一蹴されると、今度はリングに乱入し、猪木に直接「ビッグバン・ベイダーと戦え」と挑戦状を手渡してもいた。このことから、後日ベイダーがマットに上がるであろうことは予想できたとはいえ、「なぜ、今日なのか?」という疑問が当時のファンを苛立たせた。

<考察>
ここまでは、サラリーマンA氏との会話を思い出しながらの回顧録(一期一会である)。なぜか、たけしを「ビート」と呼んでいた。

ただ、A氏の見立て通り、“あの男” ビッグバン・ベイダーは、新日本プロレスと TPG の大失敗をカバーするのに余りある働きをした。ダースベイダーの兜を模したような甲冑で登場し、パワーで圧倒するスタイルではあるが、動きが軽やかで側転をしたり、ドロップキックを発射したりする。とても170kg以上とは思えない運動能力。

その後 TPG は、プロレスファンに受け入れられることなく消えていったが、ベイダーはマットを席捲。「お笑いとプロレスのコラボ」という企画の大失敗を、はるか宇宙の彼方に追いやった。“皇帝戦士” 登場の衝撃度は、(日本のプロレスを変えた)スタン・ハンセン以来だったかもしれない。

さて、そのベイダーのテーマ曲は「アイズ・オブ・ザ・ワールド」。あのディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアが率いるレインボーの名曲だ。人が良さそうな顔のベイダーを、“強そうに見せる” ためには、この曲がピッタリだったのだろう。


※注1:
新日本プロレスの会場でよく見られた現象の1つ。不定期で勃発する。この大暴動で、両国国技館の設備が一部破壊されてしまい、日本相撲協会が両国国技館の貸し出しを無期限で禁止したという。


2018.08.09
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カタリベ
1964年生まれ
小山眞史
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