カイリー・ミノーグが50歳になった―― 実は私も彼女と同じ1968年生まれ。カイリーは1987年に歌手デビュー、その翌年には世界進出しているので、それから30年ほど、同級生感覚で彼女の観察を続けている。
当時のカイリーを思い起こすと、笑顔が印象的な、明るいオージーガールといったイメージだった。初期の代表曲といえば、「ラッキー・ラヴ(I Should Be So Lucky)」。ビデオではバブルバスから泡を吹き飛ばす、キュートな「隣の女の子」を演じていた。
歌唱力はあるし、スターのオーラもある。だが、どことなく野暮ったいように思えてならなかった。アイドル! と言わんばかりの貼り付いたような笑顔や、一本調子な歌い方が気になって――
カイリーのそんな野暮ったい「さなぎ」を脱がせたのは、かのマイケル・ハッチェンス(インエクセス)である。80年代の終わり頃、マイケルとカイリーが付き合っているという悲報が耳に入った。私の妄想彼氏、マイケル・ハッチェンスの彼女が8歳下の自分と同い年ということが、当時はどうしても受け入れられなかった。
しかし、その後リリースされた曲のミュージックビデオを観ると、カイリーはそれまでになく垢抜けていて、その上とってもセクシーだった。さなぎが蝶になるとはこのことだな、と思った。ドラマでカイリーの相手役を演じたジェイソン・ドノヴァンが、のちに彼女に関するインタビューで「マイケルには勝てないよ(苦笑)」と発言したのを聞き、やはりマイケル・ハッチェンスと交際したことが彼女の転機になったのだと再確認した。
「女をあれほどに変える力は自分にはない」というニュアンスだったと思う。
だが、その後は彼女の迷走が続くーー
マニック・ストリート・プリーチャーズとのコラボレーションでは、アーティスト的側面を見せようとしたが商業的には前ほど成功しなかった。
そして2000年。32歳のカイリーは、アルバム『ライト・イヤーズ』のリリースを機に、威風堂々とセクシーさを前面に出して再ブレイクした。衣装の面積はグッと小さくなりゴージャスに。挑戦的な目と半開きの唇はもう「エロ」以外の何物でもなかった。その後のご活躍は説明不要ですね。
さて、50歳を目前にして新譜『ゴールデン』をリリースしたカイリーだが、今回は何と「カントリー」がテーマである。
私の中でカントリーはお年寄りのものというイメージだったので(失礼)、それはもう驚いたのだった。シングルカットされた「ダンシング」のビデオでは、キラキラと輝きながら、みんなで横並びになってカントリーラインダンスを踊っている。40代とオサラバするにあたって、考え抜いた結果がこの路線なのだろう。
「隣の女の子」的イメージがカイリーのフェーズ1、「エロ」がフェーズ2とすれば、フェーズ3は「年寄り路線がナウい(仮)」といったところか。カイリーは「年相応に」若々しく、セクシーな女性でいる道を選んだのだ。
「年を取ることは怖くない。自分らしく生きよう。私がその先駆者になるわ」というメッセージが、私には聞こえてきた(幻聴?)。彼女は乳がんを経験しているし、元カレマイケルの死など、いろいろ経験して思うところもあったのかな、と、同い年の私は推測する。
一緒に80年代、90年代、そして21世紀を駆け抜けてきたカイリーがいる限り、私の50代以降は安泰なのだ。50代みんなでなれば怖くない。秋には私も仲間入り。楽しい老後を送れるよう頑張らなくては!
それには体力作りが必要だな… では早速カントリーラインダンスを習いに行こうかしらね。
2018.05.28
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