とんねるずを慕う人々が2人を語るとき、必ずといっていいほど出てくる表現に “スーパースター” や “別格” の類がある。他の芸人たちと何が違うのか。私見では、ズバ抜けたメディアミックスの資質が何より先に浮かぶ。
ダウンタウンにしても、ウッチャンナンチャンにしても、爆笑問題にしても、ナインティナインにしても、人気コンビはたいてい業界に “一山いくら” の売れ方を目された番組(コミュニティ)に参加し、そこでの共闘を経てから独り立ちしてきたが。とんねるずの場合、師匠も養成所もない身でコンテスト番組を勝ち抜くと、そのまま芸人同士で徒党を組むこともなく我が道を進んできた。
テレビやスポーツにまつわる全方位的な造詣を絶えず更新し、どんな相手にでも敬意に裏づけられた “プロレス技” を仕掛ける石橋貴明。なんにつけ周囲の予想の斜め上をゆくことに天才性を発揮する “平成の無責任男” 木梨憲武。2人が組んで生じるものは、上方漫才に象徴される卓越した話芸、いわば左脳的なユーモアとはまるで異なる右脳的なユーモアだ。
かつて審査員席のタモリが評した「なんだか分かんないけど、おもしろい」というのがすべてを物語っている。言語化しがたいナンセンスな暴走は、彼らが高校時代から共有する独特のリズムに乗ってダンスミュージックのようになり、おもしろいとかっこいいをぼくら世代へ同時に届けてきた。
彼らは芸人と群れない代わりに、アイドル・アーティスト・アスリート・アナウンサー・俳優・作家・放送局員・一般人などとの “他流試合” から個性を磨き、気がつけば様々な分野の流行を一夜にして生みだす存在となった。とりわけ歌謡界での活躍が、そのブランディングに大きく関わったことは間違いない。
日本のテレビ芸人が出すレコード / CD作品というと、持ちネタやキャラクターが旬のうちに音楽市場にも参入してみたという路線か、敢えて芸人らしさを覆す方へ挑んだという路線かの二択である。
日頃ハダカになるのだって抵抗がない芸人でも、異分野に飛び込む際は多少なりとも引け目を感じるもの。また、音楽のフォーマットに個性を落とし込むには相当な歌心も必要であるため、正直言って、歴史上この手の作品は中途半端な出来がほとんどだ(狙いどころではないユーモアによって結果的に面白がられることは、どちらの路線の作品にも多々ある)。
対してとんねるずは、まったく物怖じしない性格のうえ歌心もある。三の線でも二の線でも、やるとなったら全身全霊でやった。正式デビューシングル「一気!」(1984年)と翌作の「青年の主張」(1985年)は、大半が寸劇で構成されているノベルティソング。そして初の大ヒットシングル「雨の西麻布」(1985年)は、セリフの胡散臭さにこそユーモアが残されているものの、本編は正統なムード歌謡である。彼らはどちらの路線もすぐモノにし、結果を残すこととなった。
そして特筆すべきは、90年代の作品群。当サイトの主軸からズレる話題で恐縮だが、黄金期フジテレビで天下を獲って以降の彼らは “音楽的野心もあるノベルティソング” という、芸人はもとより本職のアーティストもそうそう形にできない高みへ昇りつめた。すなわち、秋元康&後藤次利&とんねるずのタッグによる「ガラガラヘビがやってくる」(1992年)、「がじゃいも」(1993年)、「フッフッフッってするんです」(1994年)、「ガニ」(1994年)という一連のヒットシングルだ。
おそらく作家陣は早い段階から、とんねるずの右脳的な芸風がR&Bのグルーヴと相性が良いことを見抜いていたのだろう。「炎のエスカルゴ」(1987年)や「嵐のマッチョマン」(1988年)などを習作とし、90年代からはよりファンキーなサウンドが彼らのボーカルを支えるようになった。中でも上記 “四部作” の最後を飾ったシングル「ガニ」は、今聴いても身震いするほどの完成度である。
ヘヴィメタ調にのって野蛮極まりない絶叫の掛け合いから始まるのだが、サビまで来たとたん流麗なラテンソウル調に切り替わるという度肝抜く展開。異なる二つの音楽が抱き合わせられている点から、90年代版「ハイそれまでョ」という解釈もしたくなる。
終始2人のパートが交互に連なっていく中、ヘヴィメタの部分ではバブル期を金切り声で彩った貴明が、ラテンの部分では白々しい艶声を自在に操る憲武が、それぞれ本領発揮。ツッコミ不在の無定型コンビである彼らのコンビネーションが、ある意味テレビよりも分かりやすく集約されている。いやはや、別格。こんなの誰にも真似できない。
とんねるずは、日本のエンターテイメントの“必要悪”。公序良俗を唱え過ぎるがゆえ、かえって下品になった世の中に、今なおカタルシスという名のトンネル貫通をやりのけるスーパースターだ。
2018年3月22日、30年守ってきたフジテレビ木曜21時枠から撤退してしまうのは残念な限りだが、それ以上に、これからの輝かしき暴走に期待しよう。重ねて信じたいのは、音楽という選択肢もまだ残されていることである。
2018.03.22
YouTube / N YAE
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