3月11日

クワイエット・ライオットの偉業!マイケル・ジャクソン「スリラー」を抜いたヘヴィメタル

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クワイエット・ライオットのアルバム「メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜」発売日
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映画「ランディ・ローズ」で鮮明になった不遇時代


2022年に公開されたドキュメンタリー映画「ランディ・ローズ」。関連のコラム『ランディ・ローズ没後40年、ドキュメンタリー映画で明らかになるギターヒーローの輝き』を執筆後に僕も鑑賞したが、ランディが在籍した70年代のクワイエット・ライオットにまつわる描写が多く、バンドそのものにも改めて興味を抱くきっかけとなった。

バイオ等を通じて既知の出来事も、貴重映像や当時のバンドを知る様々な証言を通じてリアリティを帯び、LAのクラブシーンでくすぶっていた姿が鮮明に甦るようだった。同時期に西海岸から飛び出したヴァン・ヘイレンが全米を席巻した後も、彼らは本国でのディールさえ獲得できずにいた。

日本のみで2枚のアルバムリリースを実現したものの、ランディがオジー・オズボーンのオーディションを受け電撃加入。残されたケヴィンらはクワイエット・ライオットの名を封印することになった。

ランディの魂が導いた復活と「メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜」の誕生!


自身の名前を冠したダブロウとしてバンドを継続したものの、依然陽の目が出ずにいたケヴィンは、82年にフランキー・バネリ、カルロス・カヴァーゾらと、クワイエット・ライオット復活を画策した。

ところがそんな折にランディの悲報が届く。かつての相棒であるケヴィンは、悲しみの中でランディのトリビュート曲等を制作。その過程でランディの後を追いオジーで合流したルディ・サーゾを呼び戻し、新星クワイエット・ライオットとして本格復活を果たすのだ。

その頃、英国発のヘヴィメタルの波は、全米にも押し寄せはじめた。そうした時代の動向に加え、ランディの天からの導きもあったのだろう。スペンサー・プロファーが設立したCBSソニー傘下のパシャレコーズと念願の本国でのディールを獲得。スペンサーのプロデュースによる音源制作が進んだ。

そこにはランディ時代の「スリック・ブラック・キャデラック」の再演、ランディに捧げたバラード「サンダーバード」などが収録された。かくして『メタル・ヘルス』(邦題『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』)と題されたアルバムは、一大メタルブーム前夜の全米に向けて静かに送り出された。

「カモン・フィール・ザ・ノイズ」大ヒット!全米アルバムチャートの頂点へ!


発売後、83年4月23日付ビルボードの全米アルバムチャート182位に初登場、ゆっくりした動きでチャートを上昇していった。誰もが予期せぬサプライズが次々と起こったのは、シングル「カモン・フィール・ザ・ノイズ」が発売されてからだ。MTVでのプロモーション等を通じて同曲が評判を呼び、9月17日付ビルボードの全米シングルチャート92位に初登場。ヒットに向けた兆しが見え始めた。

これが呼び水となり『メタル・ヘルス』にも注目が集まっていく。発売から約8か月後、11月12日付で3位のマイケル・ジャクソン『スリラー』を抜き2位まで上昇。そして11月26日付でポリス『シンクロニシティ』も抜き、遂に1位を獲得するに至ったのだ。「カモン・フィール・ザ・ノイズ」もヘヴィメタルバンド初の5位まで上昇した。

1983年の全米アルバムチャートは、22週間も断続的に1位を続けた「スリラー」一色だった。そんなモンスター作品の牙城を同年内に切り崩したのは、他にメン・アット・ワーク、フラッシュダンスのサントラ、ポリス、ライオネル・リッチーによるわずか4作品のみ。クワイエット・ライオットがいかに偉業を成し遂げたのか明白だ。

80年代前半のHM/HR系を見ると、AC/DC『悪魔の招待状』が1982年に1位を獲得。翌年の1983年にはデフ・レパード『炎のターゲット』が2位を獲得。この時の1位は『スリラー』だった。まさに大きな壁に阻まれた結果となる。

それでも、『スリラー』の壁をクワイエット・ライオットが超えたのは事実だ。AC/DCが一般的にハードロックと考えれば、純粋なヘヴィメタルバンドとして初めて勝ち取った全米1位であり、その瞬間風速の猛威は、記録にも記憶にも刻まれるものだ。



数々の必然がもたらした「メタルヘルス」空前の大成功


発売からちょうど40年を迎えた『メタル・ヘルス』。全米1位に加え、これまでに世界で1000万枚以上のセールスを記録した要因は決してひとつではなく、様々な事象が重なった結果といえる。

まず、メジャーとの契約を後押ししたスペンサーの巧妙なプロデュース力だ。とりわけスレイドのカバーを採用した決断と選曲センスは特筆すべきだろう。ヴァン・ヘイレンがキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」で注目を集めたのと同じ手法だが、面白いことにバンド自身はこのカバーをやりたがらなかったという。

それでもクラブシーンでカバー曲の演奏を日常的に求められていた彼らは、そうした能力に長けていたはずだ。ドラムとボーカルだけで始まるイントロに象徴される独自のアレンジが冴え渡り、ポジティヴなフィーリングのある曲調は、彼らの溌剌としたイメージと完璧にマッチしていた。

時流に乗りMTV時代を見据えたプロモーション戦略も大きな後押しとなった。MVの内容も巧妙で、アルバムジャケに登場する鉄仮面をキービジュアルに、ライヴシーンも後半しっかり見せる構成になっており、バンドの魅力を最大限伝えることに成功した。

発売後の5月29日、伝説のUSフェスティヴァルにビッグネームとともに出演したのも見逃せないトピックだ。日本でも地上波で放映されたが、現地の大観衆に向けて、地元LAのメタルバンドとして最高のライヴパフォーマンスを披露できたのは、その存在感を強烈にアピールする絶好の機会となった。



そして、アルバム自体を40年後聴いても、実にバランスの優れたHM/HRアルバムとして、純粋に内容の良さを改めて実感させられる。粒ぞろいの楽曲はメタルとしての確たるエッジがありながら、不思議と親しみがあり聴きやすい。必要以上に湿り気がなく『メタル・ヘルス』というワードから我々が感じる、LAの青空に溶けていくようなカラッとした作風が特徴だ。

各メンバーのキャラ立ちの良さも音源にしっかり反映されている。リズム隊の巧さに加え、カルロスの俊逸なギターワークは聴き逃せない。「カモン・フィール・ザ・ノイズ」での歌えるほどにキャッチーなソロは名演だし、個人的には過小評価されていると感じてしまう。

何より天性のフロントマンとして輝きを放つケヴィンの一聴してわかる個性的な声質と、確かな歌唱力は、バンドのトレードマークとして完璧に機能していた。のちにビッグマウスなどと揶揄されたが、ボーカリストとしての魅力を貶めるものではないのは確かだ。



メタルブームへの扉を開いた「メタル・ヘルス」の歴史的意義


本国でディール獲得さえままならなかったバンドが、全米1位の偉業を成し遂げた事実は、大きな衝撃を与えた。"2位じゃダメなんですか" はどこかの迷セリフだが、ヘヴィメタルが80sの音楽シーンのメインストリームに躍り出て、ジャンルとして広く認知されるには1位じゃなきゃダメだったのだ。

音楽業界から見ると、メタルはビジネスになるという認識が広がり、西海岸を中心としたバンド群にメジャーレーベルの視線が一気に注がれ、青田買いを展開。多くの有望なバンドがシーンに送り出された。

ミュージシャンにしても、メタルジャンルを志す若者が急激に増殖し、聖地であるLA、サンセットストリップには無数のバンドが全米各地からアメリカンドリームを求めて結集。夜な夜なクラブシーンで凌ぎを削った。

聴き手側でも、ブームの盛り上がりに比例するように、メタルを愛聴するリスナーが急増。次々とデビューするフレッシュなバンドを積極的にチェックし、様々なバンドを応援するファンがシーンをさらに大きくしていった。

こうして3者それぞれの視点からヘヴィメタルが "きている" という共通認識が生まれ好循環をもたらし、日本ではLAメタルと呼ばれるブームへと繋がった。さらには全米各地にその波は及び、名実ともに80sの一大ヘヴィメタルムーブメントへと発展する結果となった。

メタルが古いものとして扱われた暗黒期を切り裂くように、先陣を切ったヴァン・ヘイレンは、デビュー作の邦題のごとく「炎の"導火線"」を作りあげたが、それに着火して本格的なブームの爆発に導いたのはクワイエット・ライオット(静かなる暴動)だった。

『メタル・ヘルス』全米1位の偉業からすべては動き出したのだ。

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2023.05.25
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カタリベ
1968年生まれ
中塚一晶
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