BUCK-TICK(バクチク)には「80's感」が希薄だ。だが、不動の現メンバーによる結成は1985年。ロンドン郊外で『ライヴエイド』が開催された年である。 メジャーデビューは ZIGGY や PERSONZ、レピッシュ、ザ・プライベーツ、ユニコーン、ブルーハーツらと同じ87年―― 僕のいちばんの BUCK-TICK の思い出は80年代にある。 87年9月、BUCK-TICK は『バクチク現象 at THE LIVE INN』という VHS のライブビデオでメジャーへ進出した! 今思い返してみても “バクチク現象” というコピーセンスは秀逸だと思う。バンド名同様に、ビジュアル優先で中高生の心をわしづかみにする、これしかないと思えるわかりやすいワンワードだ。僕も力いっぱいその現象に乗っかった。 さらに翌年、BUCK-TICK ならではのイカしたキャッチコピーが思わぬところから登場する。それはブラウン管の中からやってきた。ビクターの CD ラジカセ「CDian(シーディアン)」の TV-CM に BUCK-TICK が出演したのである。 メジャーでのファーストシングルとなった「JUST ONE MORE KISS」が流れる中、空港のロビーを闊歩する髪を逆立てたド派手な5人のメンバー。彼らにいぶかしげな視線を向けるサラリーマンのオッサンたち。その強烈な CM のキャッチコピーは―― 「重低音がバクチクする。」 いやー絶妙だ。この言葉にもシビれたが、ラジカセで重要なのは重低音!それこそ、バクチクなるものなのだ!と僕は信じて疑わなかった。そして使いもしないダイエースプレーを買ってきて学習机の上に飾った。 そんなわけで、僕は中学生の一時期、BUCK-TICK と CDian を同時に追いかける日々を過ごした。カセットテープで BUCK-TICK を聴きながら、いつの日か CDian を手に入れることを夢見ていたのである。 その頃の BUCK-TICK の音楽性は、大きくくくれば、BOØWY 解散後に雨後の筍の如く出てきたメロディアスなビートロックの範疇ではあったが、YMO 好きを公言する今井寿の弾くニューウェイヴなギターの音色とフレーズには斬新なものがあった。TV-CM にバーンっと登場するメジャー感も気に入った。たとえばクラスで「メトロファルスが好き」と言っても誰も理解してくれなかったが、「光GENJI よりも BUCK-TICK が好き」と言えば、ロック少年の趣味趣向が伝えられたのだ。 一方、ラジカセ CDian は、4万円台半ば~8万円台後半、僕にとっては価格が高すぎた。結局手が届かなかったけれど「ダブルカセットデッキ + サブウーハー」という、今聞いてもワクワクドキドキするような仕様には本当に憧れた。とにかく BUCK-TICK と CDian は、僕の記憶の中では80年代における切っても切れない関係で、今となっては本当はどっちのファンだったのかわからないくらいなのである。 あれから30年を超えた今、高級 CD ラジカセはほぼ役目を終え、CD までもが市場から存在感を失いつつある。僕だって中学生から40代半ばになり、正直、妙な若者から目をそらすこともある。気がつけば TV-CM で見た空港のオッサン側に片足を突っ込んでる。 その間、BUCK-TICK はメンバー変更もなくずっとメジャーでロックし続けてきた。ヴォーカル櫻井敦司はあの頃の美貌をとどめたままだ。あらためて考えるとなんとスゴイ奴ら。なんたる働き者たち! 久しぶりに思い出して、中学の時はついに入手できなかったインディーズ時代の幻の CD『HURRY UP MODE』(87年)をネットで検索してみた。いやはやヤフオクで最高値は55,000円!? CDian より高いじゃないか… 双方そろえる夢はまだまだ持ち越しだ。 その日が来るまで、俺のバクチク現象よ、永遠に。※2018年11月22日に掲載された記事をアップデート
2019.10.26
Apple Music
Apple Music
VIDEO
YouTube / yuriyurimatsumatsu
Information