フォーク系シンガーソングライターの後継者、長渕剛
60年代終わりから70年代にかけて、歌謡曲と一線を画した新しい音楽の流れが誕生した。その中心にあったのはアメリカのモダン・フォークソングに強い影響を受けたフォーク系アーティストたちだった。しかし、80年代に入る頃には、フォークを主なルーツとする “ニューミュージック” よりも、洗練されたサウンドやシャレたセンスを強調する “シティポップス” がクローズアップされるようになっていく。
そんな流れを考えると、80年代に長渕剛がクローズアップされていったことに不思議な気がしないでもない。
長渕剛は、ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)入賞曲「雨の嵐山」で、1977年にレコードデビューした。しかし、この時はうまくいかず一度アマチュアに戻り、翌78年に再びポプコンに挑戦、入賞となった「順恋歌」で再デビューした。
アコースティックギターの弾き語りという彼の演奏スタイルは、基本的に70年代のフォークに通じるもので、当然にも吉田拓郎、南こうせつといったフォーク系シンガーソングライターの後継者と受け止められた。おそらく当時の長渕剛自身にもそうした意識はあったと思う。
「順子」で認知された長渕剛の音楽性
しかし、1979年夏に行われた野外イベント「吉田拓郎 アイランド・コンサート in 篠島」にゲスト出演した時、彼は一部の拓郎ファンから “帰れコール” の洗礼を受ける。
フォークに限らず、ある音楽シーンに登場してくる “新しい世代” に対して、ファンが拒絶反応を示すということはけっして珍しいことではない。吉田拓郎だって、デビュー当初には当時のフォークファンに “帰れコール” を浴びせられていたのだから、それはそれまでそのシーンを支えてきたと自負するコアなファンなりの想いの反映でもあって、“この音楽をナメられちゃ困るぜ” という威嚇と、この若造がどれほどの者か見定めてやろうか、という意識とがないまぜになったものでもあったと思う。
しかし、自分が憧れ目指してきたシーンに飛び込んだアーティストにすれば、自分が拒否されるという体験は、十分にトラウマになり得るものだと思う。長渕剛にとっても篠島の体験はショックだったろう。しかし、同時にこの体験は彼の反骨精神を強く刺激することにもなったに違いない。
長渕剛が大きく脚光を浴びたのは1980年のことだ。前年発表したセカンドアルバム『逆流』に収録されていた「順子」がシングルカットされ、チャート1位となる大ヒットを記録。そこから長渕剛ならではの音楽性や表現スタイルも広く認知されていった。
独自の表現スタイルを確立したテレビドラマとの連動
長渕剛が独自の表現スタイルを確立していくポイントのひとつがテレビドラマとの連動だったのではないかと思う。彼は積極的に俳優としてドラマに出演するとともに、「Good-bye青春」(1983年、ドラマ『家族ゲーム』主題歌)、「ろくなもんじゃねえ」(1987年、ドラマ『親子ジグザグ』主題歌)などドラマと連動したヒット曲を次々と世に送り出していった。
そして、彼がドラマで演じるキャラクターと楽曲のキャラクターとが、それぞれのリスナーの中で強烈な個性をもつ魅力的な男のイメージを結実させていったのではないかという気がする。
これに加えて、1986年に30代となった長渕剛自身の大人への成長も大きな要素となっていたと思う。さらに翌1987年に結婚(再婚)し、1988年には長女が誕生と、彼はプライベートでも大人へのステップを踏んでいく。そうした生き方の変化に伴って、長渕剛の歌もそのニュアンスを変えていったのではないかと感じられる。
その典型的な例が、1988年にシングル化され大ヒットした「乾杯」だ。もともとは1980年のアルバム『乾杯』のタイトル曲。20代のみずみずしさにあふれた原曲が、シングルテイクでは濃厚な大人の情感あふれる曲に変身している。それだけでも長渕剛の表現の変化を感じてもらえると思う。
主演ドラマ「とんぼ」成熟した表現を強く打ち出した1988年
1988年は長渕剛が彼ならではの成熟した表現を強く打ち出した年だったと思う。この年、彼は「乾杯」に続くシングルとして、長女の誕生をテーマにした「NEVER CHANGE」をリリースした。夫として父親としての覚悟を歌うこの曲も素晴らしいが、そのカップリング曲は「STAY DREAM」、今も多くのファンに愛されている名曲だ。
そしてこの年、3枚目のシングルとして発表されたのが「とんぼ」だった。
「とんぼ」は長渕剛が主演したテレビドラマ『とんぼ』の主題歌だ。原案も長渕が手掛けたこのドラマも、彼の強い想いを反映してつくられたと言われる。そして、ミリオンセラーとなったこの大ヒット曲は、ドラマを大きく盛り上げるのに貢献すると同時に、ドラマを離れてもとても聴き応えがある作品だった。
「とんぼ」の主人公は、大きな夢を抱いて上京したけれど、挫折に直面している一人の男だ。自分を貫いて正直に生きようと思っても、立ちふさがる大きな壁に打ちのめされるばかり。その悔しさ、やるせなさを抱いてふと見上げた空に羽ばたくとんぼが、自分がつかめない幸せそのもののように見えてくる。
進化した表現技術、歌を通じて伝わるメッセージのリアリティ
もちろんそこには、鹿児島から大志を抱いて上京しながら、なかなか歌を受け入れてもらえなかった長渕剛自身の想いも託されているだろう。そして同時に、同じ70年代にそれぞれの志を持って大都会にやってきた、けれどいまだにその夢を果たせずにそれぞれの場所で格闘しているかつての少年少女たちへのエールでもあったろう。
そんな人生でなかなか勝ち上がれずにいる者の心情に寄り添う歌が、長渕剛には少なくない。しかし「とんぼ」を聴いて強く感じるのは、曲から感じられる切実さ、切なさ、悔しさ、哀しさ、などの情感が一段と豊かになり、歌を通じて伝わるメッセージのリアリティが、20代の歌唱と比べていちだんと深くなっていることだ。
歌唱スタイルも、ささやきから叫びまで、声のアクセントの強弱のアクセントを強調したメリハリのきいたものになり、歌の世界をドラマチックに感じさせるようになっている。
こうした歌唱における表現技術の進化にも、この間の役者としての演技経験が生かされていったのではないだろうか。
多くの人の心を打った背景、1988年という時代の空気
もうひとつ、この曲で気づくのがイントロから歌が入っていることだ。「ろくなもんじゃねえ」でも同じ手法が使われているが、曲の最初から肉声が聴こえてくることで、“歌を届けようとする” 切実な思いをより強く感じ取ることができる。
演劇経験を生かしたドラマティックな表現と、ピュアでストレートな想いが一体となって生み出されるインパクトとリアリティが「とんぼ」をより印象的にしていると思う。
「とんぼ」が多くの人の心を打った背景には、1988年という時代の空気もあったのではないだろうか。
この頃、日本はバブル景気に沸き立っていた。土地の値上がりが続き地上げ屋の横行も話題となった。株価上昇、財テクブームなどの恩恵にあずかった者も少なくなく、夜な夜なマハラジャなどのディスコもにぎわうなど、80年代末の日本は、一種異様なうかれ状態にあった。
しかし、当然だけれど誰もがこうしたブームに乗ることができたわけではない。うまく立ち回った目端が利き上手に立ち回れた人たちはおいしい目を見ることができたが、バブルの恩恵とは無縁で苦しい日々を送らざるを得なかった人たちも数多くいた。こうした時代の “うまい汁” にありつけない人たちに「とんぼ」はとくに響いたのではないかと思う。
長渕剛が「とんぼ」に託した情熱
「とんぼ」はドラマの主題歌だけれど、それ以上にこの時点での長渕剛のリアルな想いが託されている曲だ。
長渕剛がデビュー以来、正直な自分の想いを歌うシンガー・ソングライターであり続けていることは、「とんぼ」の前のシングルとして、父親になった自分の想いを託した「NEVER CHANGE」を聴けば納得できるだろう。
その長渕剛が、時代の光を浴びることが出来ずにいる人々への共感を込めた曲が「とんぼ」だ。そしてそのメッセージは、バブル景気に違和感を覚えざるを得なかった同時代の人々に鋭く刺さるものだった。
もうひとつ感じたのは、「とんぼ」から伝わる哀しさ、切なさは、バブルに乗り遅れた人たちの想いだけではないということだろ。この年、昭和天皇のご容体が重篤化していることが伝えられ、人々は “昭和” という時代の終焉が近いことを感じていた。とくに60年代、70年代に青春を過ごした世代にとって、自分がこれまで真剣に生きてきた “昭和” が終わることに大きな喪失感を抱かずにはいられなかったはずだ。
長渕剛は、1989年3月に「とんぼ」を収録したニューアルバムを発表したが、そのアルバムに『昭和』というタイトルを付けたのも、彼の想いの反映だったのだと思う。
“昭和” という時代の鎮魂歌でもあった「とんぼ」が、今も時代を越えて愛されているのは、あの時代にあった課題が今も変わらずに私たちの前に立ちはだかっているからなのかもしれない。
しかし、「とんぼ」は決して、哀しみや恨みを訴えようとしているだけの歌ではないと思う。聴いていると、哀しさや怒りの奥に、力強さ、けっしてあきらめない情熱があることが感じられてくる。
想いのままにならない現状にあきらめるのではなく、最後まで立ち向かう強い想いを人にはあるということを長渕剛は信じている。その情熱が伝わってくるからこそ、僕たちは「とんぼ」により深く共感できるのだと思う。
2021.09.07