9月10日

アーバンサウンドにウィスパーボイス!菊池桃子は唯一無二のアイドル・シティポップ

15
0
 
 この日何の日? 
菊池桃子のアルバム「OCEAN SIDE」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1984年のコラム 
まぶしいばかりのシンデレラ♪ 岡田有希子ファーストは80年代の名盤!

岡田有希子をめぐる3つの四月物語(後篇)

心の愛、80年代のスティーヴィー・ワンダーが目指したもの

80年代のミックスメディア、君は「カセットブック」を知っているか?

林哲司とシティポップ、新しいアイドル・ポップスの世界を開拓したヒットメーカー

奇跡の年【1984】第1回 MTV アワードを揺るがせたマドンナの媚態

もっとみる≫




正統派を超える正統派アイドル、菊池桃子


「桃子、うさぎの耳に、なりたい……な」
1985年に放送された「日立ビデオ マスタックス」のCMは、アイドル史に残る名作中の名作だと個人的には思っている。セリフのインパクトはさる事ながら、当時アイドルとして絶頂を迎えていた桃子の可憐なルックスには誰もが目を奪われるはずだ。

当時といえば小泉今日子が「なんてったってアイドル」で、アイドルという職種をメタ的に皮肉るなど、アイドルが纏う “ウソっぽさ” が通用しづらくなっていた時期でもある。

そんな時代に人気の絶頂を迎えた、正統派を超える正統派アイドル。それが菊池桃子だった。

中国の故事成語に由来するという「桃子」の名は、芸名ではなく本名だ。中学2年生のときに叔母が経営する食堂に飾られていた家族写真を見た音楽プロデューサーの藤田浩一にスカウトされて芸能界入り。藤田が社長を務めるトライアングルプロダクションに所属した。

アイドルとしては異質? 専任作曲家・林哲司の存在


当時のトライアングルプロは杉山清貴&オメガトライブの大ヒットで勢いづいていたものの、設立当初からロックアーティスト中心の事務所だったためアイドル売り出しのノウハウは皆無だった。大手のナベプロやホリプロと異なり、音楽嗜好の強い新興事務所の中で、桃子は他のアイドルとは一線を画した路線を歩むことになる。

1983年11月、学研より発刊されたアイドル誌『Momoco』のイメージガールとして創刊号の表紙を飾りデビューを果たすと、翌1984年3月公開の映画『パンツの穴』では主演に抜擢。さらに4月にはシングル「青春のいじわる」で歌手デビューと順調にステップを踏み、1985年2月リリースのシングル4枚目「卒業-GRADUATION-」では早くもオリコンチャート1位を獲得した。

まさに順風満帆。名実ともにトップアイドルの仲間入りを果たした桃子だったが、アイドルとしては異質だったのが、専任作曲家・林哲司の存在だった。

洋楽志向を強く意識 “アイドル菊池桃子” への楽曲制作を林哲司に一任


もはや林についてあらためて説明する必要はあるまい。オメガトライブの一連の楽曲を担当し、また中森明菜への提供曲「北ウイング」の大ヒットで作曲家として全盛を迎えていた林だが、氏が得意とするマイナー調のアーバンなサウンドは、溌剌とした桃子のイメージとはかけ離れているように思える。

だが、プロデューサー藤田は “アイドル菊池桃子” への楽曲制作を林に一任。しかも数曲の提供ではなく、アルバム曲も含めて全曲を担当した。また藤田自身の「大学生が持っていてもおかしくないようなジャケットとサウンドにしたい」という意向により、4枚リリースしたアルバムはすべて風景が中心の、アイドル作品らしからぬジャケットが採用された。

林曰く「既にオメガでやっていた洋楽志向を強く意識して、本人が歌える音域の範囲の中で、サウンドだけは洋楽志向のものをあてがっても良いんじゃないか、ということで作品を出していきました」とのこと。

とりわけファーストアルバム『OCEAN SIDE』にはそうした志しが強く反映された。1曲目の表題曲のイントロを聴いたとき、これが新人アイドルの作品だとは誰も思わないはずだ。

海と太陽、そしてサングラス姿の杉山清貴がこの上なく似合いそうな演奏は、そのままオメガのアルバムだと言っても何ら違和感はない。しかし、実際にスピーカーから流れてくるのはまだあどけなさの残る少女の声だ。

誕生、唯一無二のアイドル・シティポップ


大人の世界観を描いたシティポップの特徴は、サウンドだけではなく歌詞にも滲み出ている。

 去年よく 夕闇の中
 Twilight time
 「Aqua City」聴きながら
 Driving Feel so eyes
 友達と週末
 海へ行くあなたを
 A few to the time 淋しく
 All the time ひとりでみてた

これをデビューしたての10代半ばのアイドルに歌わせるという発想がすごい。おそらく大手事務所なら企画会議の段階でNGが出たのではないか。

ちなみに本アルバムのジャケットは、遥かな海の波間に水着姿の桃子が目を閉じて浮かんでいるという構図。顔は左半分しか映っておらず、それが菊池桃子だと一発で当てるのは極めて困難だ。こうした事からも、トライアングルプロがあくまで桃子をアイドルではなくアーティストとして育てようとしたのがよく分かる。

こうした意図は見事にハマり、『OCEAN SIDE』はドライブのBGMとして流していても違和感のない良質な音楽作品に仕上がっている。オメガ的なアーバンサウンドに桃子のウィスパーボイスが乗っかることにより、唯一無二の “アイドル・シティポップ” が誕生したのである。

絶妙なアンバランスさこそが菊池桃子最大の魅力


こう言うと語弊があるかもしれないが、菊池桃子は極めてアンバランスなアイドルだったように思える。冒頭で触れた “うさぎの耳” の彼女は正統派アイドルそのものであるし、トーク等でみせる彼女のキャラクターもまた、鈴を鳴らすような声を含めて過剰なまでに “This is アイドル” だ。

一方で、振り付けらしい振り付けもなく、割と淡々とした林サウンドをこぼれそうなほど大きな瞳を潤ませながら歌う姿は、まるで都会に迷い込んだうさぎのようで、不自然ながらも独特の存在感を放っている。この絶妙なアンバランスさこそが桃子の最大の魅力だったように思う。

まさかこの桃子が時を経て、うさぎではなく内閣府男女共同参画局や出身大学の客員教授になるとは驚きだったが、今もなおルックスの愛らしさは健在。是非とも “うさぎの耳” のセルフリメイクを見てみたいものである。

林哲司コメント引用:
日本テレビ音楽株式会社 / 林哲司さんインタビュー

※2021年5月4日に掲載された記事をアップデート

2021.07.16
15
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1985年生まれ
広瀬いくと
コラムリスト≫
110
1
9
8
4
菊池桃子の「青春のいじわる」囁きボイスは天使の歌声
カタリベ / 藤澤 一雅
102
1
9
8
5
菊池桃子「卒業-GRADUATION-」80年代に誕生した昭和の卒業ソング
カタリベ / 藤澤 一雅
50
1
9
8
4
菊池桃子が表紙を飾った「BOMB」アイドル雑誌が仕事に役立った話!
カタリベ / 時の旅人
55
1
9
8
4
林哲司とシティポップ、新しいアイドル・ポップスの世界を開拓したヒットメーカー
カタリベ / 鈴木 啓之
46
1
9
8
8
早すぎたシティポップの歌姫「ラ・ムー」菊池桃子
カタリベ / ケモノディスク 中村
53
1
9
8
4
中森明菜「北ウイング」林哲司がイメージした “やさしくても芯の強い女” とは?
カタリベ / 彩