橋田壽賀子初の大河ドラマ、女性の視点から戦国を描いた「おんな太閤記」
それまでの大河ドラマの常識を打ち破り、戦う男性ではなく、それを支える女性の視点から描いたのが、1981年に放送された『おんな太閤記』だ。脚本は、橋田壽賀子。
豊臣秀吉(西田敏行)の正室ねね(佐久間良子)を主役に、秀吉&ねね夫婦の “家庭” での様子を描き、“戦国ホームドラマ” といわれた新機軸の大河は、30%を超える平均視聴率を記録。壮大な歴史ドラマも身近なホームドラマにする橋田マジックは大成功。秀吉がねねを呼ぶときの「おかか」は流行語にもなった。
高視聴率に気をよくしたNHK、1986年に『いのち』、1989年に『春日局』と、なんと80年代だけで3本もの大河ドラマを橋田に任せている。しかも、いずれもオリジナル。橋田脚本に寄せる信頼がいかに大きかったかが、うかがえる。ついでに1983年には、朝ドラ『おしん』もあるのだから、橋田壽賀子おそるべしだ。
3本の大河ドラマと1本の朝ドラ、すべて “劇伴の達人” といわれる坂田晃一がテーマ曲を手がけている。いずれも、女性たちの流転の人生を想像させるドラマティックかつ繊細な曲調。
2013年、歴代大河ドラマのテーマ曲から坂本龍一が厳選した、全16曲のコンピレーションアルバムがリリースされた。さすが教授わかってる。橋田大河のテーマ曲がすべて収録されていた。
印象深い長い説明ゼリフ「橋田ドラマが好き」と言えなかった
橋田ドラマといえば、長い説明ゼリフも印象深い。20代の頃に私が通っていた脚本家スクールでよく言われたのが、長ゼリフがいかに禁忌であるかということ。授業で登壇した大物脚本家やプロデューサーの中には、『渡る世間は鬼ばかり』(以下、『渡鬼』)の長ゼリフをはっきり批判した講師も何人かいた。
私自身も、登場人物がセリフで心情をさらけ出し、くどいくらいに経緯や現状を説明する橋田ドラマを以前はちょっと侮っていた。もう少し、視聴者に想像させる余地を与えたっていいんじゃ? そこまでわかりやすくする必要ってあるの? と。
多くのヒット作を世に送り出し、押しも押されもせぬ大物脚本家であった橋田だが、その作風ゆえにドラマ通にはあまり評価されなかったように思う。向田邦子や倉本聰、山田太一のドラマのように、胸を張って「橋田ドラマが好き」とは正直言えなかった。
貫いた共感性とわかりやすさ、徹底的に大衆に寄り添った橋田寿賀子
でも、ドラマ好きの母が最も夢中になって観ていたのが『渡鬼』である。姑と同居し、義妹たちとのいざこざを経験した母。似たような立場の五月(泉ピン子)に感情移入しまくり、テレビを観ながら「わかる、わかる」とうなずいていたっけ。
橋田がこだわったのが、視聴者にとって身近な題材であること。『渡鬼』の長ゼリフについては、「主婦が夕食の後片付けをしている時間帯に重なるので、テレビを見ていなくても台所でセリフを聴いていれば、話の筋がわかるように」と、日経新聞「私の履歴書」に書いていた。
自身を「一流にはなれない、ずっと二流」と語っていた橋田。芸術性や革新性よりも、共感性やわかりやすさを重んじ、市井の人々の目線で、徹底的に大衆に寄り添って書く。それを貫いた脚本家って、他にいないのでは。
ついに幻? コロナウイルス禍の「渡る世間は鬼ばかり」
2021年4月4日、橋田壽賀子が95歳で亡くなった。あぁ、ついにこの日が来てしまったかという思いだ。
『渡鬼』の続きはもうつくられないのだろうか。橋田とプロデューサー石井ふく子は『渡鬼』次作の構想を練っていたという。すると、ちょっとショックな情報が飛び込んできた。
『現代ビジネス』のサイトに掲載された石井のインタビュー記事に、「もう終わりにします」とはっきり書かれているではないか。
「(脚本家の後任を立てるのは)橋田さんが嫌がっていたことですので。なにより、2人でつくり上げたドラマですから」
そう、たしかにその通り。視聴率は稼げるだろうに、きっぱり言い切る石井ふく子の潔さ、見事。でも、私は思う。
『渡鬼』の登場人物たちは、コロナウイルス禍をどう乗り越えようとしているのか、目撃したかった。幸楽やおかくらはどうなるのか。テイクアウトは始めたのか。文子の旅行会社は、長子と英作の訪問医療は…… などなど、気になることがいっぱいだ。
登場人物たちも、私たちと地続きに生きているように、ときどき錯覚することがある。世の中が大変な今こそ、『渡鬼』なのである。あらためて、徹底的に大衆に寄り添った作風を貫いた橋田壽賀子のすごさを実感するのだった。
2021.05.26