連続ドラマで他局と人気を競う日本テレビが一矢報いたドラマ「家なき子」 1990年代、テレビドラマの視聴率争いは、トレンディドラマで先行したフジテレビと、ポスト・ホームドラマで対抗するTBSの2局による占状態であったが、その中で唯一、最高37.2%という高視聴率を獲得して一矢報いたのが、日本テレビのドラマ『家なき子』だった。この数字は90年代を通してフジテレビ『ひとつ屋根の下』に次いで2番目に高い数値である。
それまでの日本テレビのドラマといえば、代表作を挙げれば『太陽にほえろ』『あぶない刑事』といった刑事ものや、『ゆうひが丘の総理大臣』『熱中時代』のように熱血教師が登場する学園ものなど、舞台設定としては定番の範疇に収まる無難なイメージが強かった。これらは底堅いファン層を獲得していくことにはなるのだが、決して爆発的に多くの視聴者を引き付けるような作品にはならなかった。
だが2000年代以降は、日本テレビも時折センセーショナルな作風で世間をザワつかせながら、高視聴率ドラマを生み出すケースが目立つようになる。記憶に新しいところでは『女王の教室』や 『家政婦のミタ』…『14歳の母』などもその類といってよいだろう。その主人公の過酷な運命や登場人物の振り切ったキャラクターの物言いが、大きな反響を呼び、その都度テレビ局としてコメントを出すなどの対応を迫られることにもなっているが、その系譜を辿っていくとどうやらこのドラマ『家なき子』に行き着くような気がしている。
このドラマでは、経済的に困難な境遇に置かれた主人公 “相沢すず” が周囲から憐みの目を向けられる度に口にする決め台詞「同情するなら金をくれ!」が、彼女の可憐な容姿に似つかわしくない厳しい口調で人々の心に強烈なインパクトを与え、物語の在り様を定義付けた。その後この台詞は1994年の『新語・流行語大賞』を獲得するなど社会現象となり、さらには放送から約20年を経た2013年、オリコンが実施した『歴代ドラマ最強の決め台詞』についてのアンケートでも堂々第1位に挙げられている。
過酷な役柄にぴったりとハマった国民的人気子役、安達祐実の魅力と意外性 不遇な主人公の少女を演じたのは安達祐実。2歳から芸能活動を始めたという彼女は、既に芸歴10年を数え、当時はドラマやCMに引っ張りだこ。歴代No.1ともいえる人気子役で、1993年に「日本アカデミー新人女優賞」を獲得するなど、連ドラの主演を託すに足る俳優となっていた。
このドラマがヒットした最大のポイントは主人公 “相沢すず” のキャラクター設定と、それを安達が演じたことにある。彼女は先のセリフ「同情するなら金をくれ!」にも象徴されるように子供らしからぬ毒を吐き、策謀を巡らせては周囲の大人たちを翻弄する。彼女にDVをはたらく父親どころか、教師や警官といった権威に対しても敢然と立ち向かい、決して怯む様子を見せない。その原動力はひとえに病気の母親を救いたいという切なる願いから来るものだが、そこに同情の余地がないほどの不道徳の数々… 盗み、放火、偽証、逃亡、泣き落とし… と、逞しいと言えばそれまでだが、窮地を乗り切るためにはどんな手段も厭わない。一見すればその行動は “天使の笑顔に悪魔の心” という言葉を彷彿とさせるものであった。
だが、彼女が悪事を重ねる度に陰惨な雰囲気が漂うかと思えばさにあらず、むしろ何気に不思議な爽快感に包まれることに気づく。彼女の前に立ちはだかる大人たちが、あまりにも感情的でクズ過ぎるのだ。子供と見れば恫喝や暴力で無理やり屈服させようとする大人たちが、彼女の機転の利いた反応に次々とやり込められていく姿があまりに滑稽で情けないからである。
ある場面では、慰問で訪れた老人ホームで入居者の居室の留守に忍び込み現金を漁っていたところを職員に見つかった “すず” は、警官に引き渡されて尋問を受ける。不真面目な態度に業を煮やした警官が恫喝すると、彼女はいきなり立ち上がって自ら下着を下げ「助けて!」と大声を上げて騒ぎだす。あわてて職員や引率の教師が駆け付けて騒然となり、窃盗疑惑はうやむやに… といった具合だ。
「そんなバカな・・・」と古典的な手口にかかる方もお粗末だが、彼女の肝の座った立ち振る舞いは、まさに子供らしからぬやり口だ。「子供のくせに・・・」という枕詞は、作中何度も主人公に対して叩きつけられる。
そして、それは役を演じる安達祐実・・・当時は役柄の設定と同じ12才。天才子役ともてはやされ続けた彼女自身に対しても向けられた言葉だったかもしれない。彼女が大人びた演技を見せる度に、彼女の才能やひたむきさを否定的にとらえる者も少なくなかったに違いない。だからこそ主人公の健気な逞しさはまさに俳優 安達祐実の姿と重なり、強く人々の印象に強く残ったのだ。
日本テレビに降臨したヒット請負人 野島伸司の新たな制作スタンスとは? 主人公の “相沢すず” 役として安達祐実を強く推したのは、このドラマに “企画” として参画した野島伸司である。この時期彼は93年1月スタートのTBS『高校教師』を皮切りに『ひとつ屋根の下』『この世の果て』『人間・失格』と
年2本の連続ドラマの他、映画の脚本の執筆も抱える多忙の身でありながら、どれも大ヒットさせるという離れ業を演じ、ヒットメーカーとしての地位を確立しようとしていた。その間隙を縫うように舞い込んだ『家なき子』のオファー。他の仕事への配慮もあったかも知れないが、野島はそこで “企画” という従来とは異なる立場で関わることを了承する。登場人物への思い入れを強く持ちながらシリアスなストーリーを組み上げていく脚本の執筆に比べ、プロデューサー的な視点で取り組める “企画” というスタンスは負荷が軽減されても、シンプルに、強いメッセージを発していくには、彼にとって都合が良かった。
例えば「同情するなら…」という例のセリフについても、野島自身がひねり出した言葉ではない。プロデューサーを務めた佐藤敦が自身、過去に苦境にあった頃の話で、知人にかけられた同情の言葉に対して思わず口にしたフレーズを野島に告げたところ、それを面白がって取り入れることにしたというものである。
野島が作品と距離をおいたことで、荒唐無稽な展開… 街頭で似顔絵を描いていた女性が大企業のオーナーの令嬢だったり、どこかで既視感のある闇のスーパードクターが現れたり… 何かと予定調和でラフなつくりのように思えるが、結果的には、やや大げさで過剰なまでのエンタメ感が、彼の作品で陥りがちな陰鬱な世界観を和らげるという効果をもたらした。この事で野島は表現手法に新たな落としどころを見出したともいえる。
主題歌「空と君のあいだに」は犬の目線で書かれた応援歌 VIDEO 野島がタイアップを好まないことは周知の事実ではあったから、この時は彼が自らペンを執らなかったことで、新たな楽曲依頼の道が開けたともいえる。そこで佐藤プロデューサーは主人公の生きる逞しさを表現すべく、中島みゆきの楽曲にそれを託そうと考えた。当時彼女は4月にシングルコレクションアルバム 『SinglesⅡ』のリリースを控えており、また『夜会』のプロジェクトが初のオリジナル・ストーリーで本格化しようとするタイミングでもあった。佐藤は多忙な彼女に対し諦め半分「せめて既存曲の使用許可だけでも」との思いで依頼の話を持ち掛けたという。
だが彼女の回答はオリジナルを書き下ろすという期待を超えるものであった。佐藤によれば主人公とともに、そのバディとして犬が登場するという設定が中島の興味を引いたということだが、彼女には主人公の12歳の少女の心情を描くことがどうしてもできなかった。そこで視点を犬の目線に置くという発想に思い至ったのである。タイトル「空と君のあいだに」とはつまり愛犬 “リュウ” が “すず” を見上げ、空を背負って立つ彼女の姿を表現している。容赦なく降りつける雨風に耐え、それでも前に進もうとする彼女を支えたい、力になりたいと願う気持ちがこの歌詞には表現されている。
主題歌「空と君のあいだに」はドラマ放送開始後の5月14日にリリースされると146万枚を売り上げ、中島みゆきにとって最大のヒットシングルとなった。また秋に発売したアルバム「LOVE OR NOTHING」も勢いそのままにヒットチャートの1位を獲得する。プロモーションについてはなかなかシビアな彼女のこと、果たしてこれらをすべてが計算づくでオファーを受けたのかはわからない。だがドラマのストーリー自体は彼女にも全く予想もつかないものであったらしい。
“主題歌とのいい関係” が築いた総合エンタテインメントとしてのテレビドラマ この頃、多くのドラマをヒットさせてきたTBSプロデューサーの貴島誠一郎は「90年代はテレビドラマと主題歌がいい関係性を築いていた時代だった」と語っている。中にはタイアップをよしとしない野島のような制作者もいたが、彼の意向を組んで採用した数々の旧譜もまたリバイバルヒットを記録するなど、多くのベテランアーティストも無視できないプロモーション効果を発揮した。
今のような衛星デジタル放送や細分化された多チャンネルが浸透する以前は、皆が同じものを見て、同じように感動していた時代だった。テレビドラマがエンタテインメントとして絶大な影響力を誇っていたからこそ、それは可能だった。自ずと実績のある一流アーティストたちの参加の必然性が生まれ、その結果多くのミリオンヒットが誕生するようになっていった。
希代のヒットメーカーとなった野島にとっても制作者の立場から時として論議を巻き起こすような題材を扱いながら「人品が卑しい人間は書かない」というポリシーで “清貧” を描き、人々の共感を獲得していった。
だが昨今、コンプライアンスの締め付けが厳しく、テレビは自粛や様々な制約を受けるケースが増えている。この「家なき子」のような作品でも現代の基準に照らせば放映が難しくなる箇所も少なくないだろう。このような当時の人々の記憶に刻まれた作品たちは、まだ現場に裁量があって自由闊達であらゆるリソースが結集できたテレビという総合エンタテインメントの結晶なのである。
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2023.12.13