「いや、しのぶだって」
「何言ってんの。ラムちゃんだって」
かつて、少年サンデーの時代があった。
と言っても、藤子不二雄先生(当時)や赤塚不二夫先生らが『オバケのQ太郎』や『おそ松くん』を連載していた伝説の60年代の話じゃない。そっちはリアルタイムで僕は知らない。僕の言う少年サンデーの時代は、1981、1982年ごろの話である。
当時、同誌の2大人気連載が、高橋留美子先生の『うる星やつら』と、あだち充先生の『タッチ』。2つの漫画はどちらも高校生が主役のラブコメ路線。僕ら中学生がドはまりする世界だった。
ちなみに、翌83年に少年ジャンプで『北斗の拳』が始まると、以後、少年誌はジャンプの長期政権となる。サンデーの時代は、嵐の前のささやかな宴であった。
さて、今回取り上げるのは、36年前の今日―― 1981年10月21日にアニメ『うる星やつら』の主題歌としてリリースされた「ラムのラブソング」である。
当時、それはちょっとした事件だった。それまでアニメの主題歌、いわゆるアニソンというと、作品の中でしか存在しないものだった。誰もが知る歌でも、人前で歌う代物ではなかった。小さな子供を除いて――。
しかし、その曲は違った。
忘れもしない、それは1981年10月下旬の修学旅行のバスの中だった。2泊3日の旅の帰り、僕らは退屈な時間を紛らわすため、ガイドさんから借りたマイクを車内で回して、即席のカラオケ大会を催していた。
と言ってもオケがないからアカペラである。松田聖子、田原俊彦、近藤真彦、イモ欽トリオ―― 馴染みのヒットソングが続いた。
クラス一の美少女のHさんの番になった。
「えっと、ラムのラブソングを歌います」
お~とクラスの男子が低いうなり声を上げる。アニメ『うる星やつら』は2週間ほど前に始まったばかりだったが、僕を含めてクラスのほとんどが見ていた。僕は主題歌を一聴して、そのテクノ風メロディとファンシーな歌声の虜になっていた。
あんまりソワソワしないで
あなたはいつでもキョロキョロ
よそ見をするのはやめてよ
私が誰よりいちばん
Hさんは少しハスキーがかった声で、キュートに、リズミカルに歌う。アカペラだけど、その可愛い歌声に、たちまち僕は引き込まれた。
ああ 男の人って
いくつも愛をもっているのね
ああ あちこちにバラまいて
私を悩ませるわ
曲の途中だったが、Hさんは照れながら、そこでフェードアウトした。女子の誰かが声をかける。
「上手いわ~」
「そんな、全然」謙遜するHさん。
「いや、しのぶが今までで一番だって」
そう、Hさんは下の名を「しのぶ」と言った。奇しくも、『うる星やつら』に登場するキャラクターと同じ名前だった。
当時、クラスの男子はラム派としのぶ派に分かれていた。もちろん、『うる星やつら』の話だ。冒頭の会話はそれである。ラムは、「だっちゃ」が口癖のビキニ姿の宇宙人のヒロイン。一方、しのぶは主人公・諸星あたるの幼馴染みのクラスメートで、ボブカットの美少女だ。8割がラム派で、2割がしのぶ派。僕は後者だった。
実は、僕は当時、密かにHさんに思いを寄せていた。ボブカットで少し小柄なHさんを、僕は名前同様、『うる星やつら』のしのぶに重ねていた。しのぶ派というのは隠れ蓑だった。本当はHさん派だった。
残念ながら、この話にこれ以上の進展はない。
翌年、3年生に進級すると、僕はHさんとは違うクラスになった。
アニメ『うる星やつら』は4年半も続き、チーフディレクターを務めた押井守監督は大出世した。しかし、僕はHさんと離れたと同時に、同アニメに対する興味を急速に失った。
代わって、僕の心を捉えたのは、「ラムのラブソング」の作曲者である小林泉美サンが翌82年に手掛けた
アニメ『さすがの猿飛』の主題歌「恋の呪文はスキトキメキトキス」だった。奇しくも、それを歌ったのは、ドラマ『陽あたり良好!』でヒロインを務めた伊藤さやかサンだった。当時、僕は彼女の大ファンだったのだ。
むろん、こちらの話も、特にこれ以上の進展はないことを付け加えておく。
2017.10.21