松田聖子の魅力が詰まった宝石箱のような1枚
「瑠璃色の地球」が収録された1枚
松田聖子・通算13枚目のオリジナルアルバム『SUPREME』の解説には、この言葉が枕詞のように置かれることが多い。たしかにその通りだし、クロージング曲は「瑠璃色の地球」なのだが、それだけじゃないだろと言いたくなる。このアルバムは、シンガー・松田聖子のさまざまな魅力が詰まった宝石箱のような1枚だからだ。実際、《1980年代、聖子の最高傑作》と評する人も多い。
まずは『SUPREME』の時代背景に触れておこう。発売は1986年6月1日。当時、松田聖子はテレビの歌番組に出演していなかった。前年の1985年6月に神田正輝と結婚。同年暮れの『第36回NHK紅白歌合戦』出演を最後に、出産準備のため芸能活動を休止していたからである。レコーディングは産休中に行われた。また聖子自身の意向もあり、このアルバムからのシングルカットは行われなかった。にもかかわらず、本作はオリコン集計で70.2万枚のセールスを記録。松田聖子のオリジナルアルバムの中で最も売れた作品になった。
本人が露出していなかったのになぜこれだけ売れたのかというと、表に出なくなったことで “聖子ロス” が生じ、早く歌声が聴きたいと渇望するムードが生まれたこともあるだろう。私は当時このアルバムを聴いて、松田聖子の歌声がよりキュートになっていることに驚いた。透明感が増したというか、休養前よりもピュアに聴こえたのだ。新たな命を宿し、母親になったことも少なからず影響したように思う。本作はどの曲も、すべてを包み込んでくれるような愛を感じる作品になっている。
松田聖子と新しいポップスの地平を切り拓こう”という作家陣の意気込み
作詞は10曲すべて松本隆が手掛け、アルバム全体の世界観を構築する一方で、作曲者は全曲異なる。1曲目から順に、安藤まさひろ(T-SQUARE)、南佳孝、亀井登志夫、宮城伸一郎(チューリップ)、SEIKO(松田聖子本人)、来生たかお、久保田洋司(THE 東南西北)、大沢誉志幸、玉置浩二、平井夏美。SEIKO以外はすべて男性作曲家で、なんとも豪華な顔ぶれだ。アーティスト系の作家が多く参加しているのも特徴である。
不思議なのは、歌詞と曲はほとんど男性が書いているのに、アルバム全体が非常にフェミニンな雰囲気になっていることだ。これはますます魅力を増した聖子の声の力に依るところが大きいけれど、10曲中5曲を編曲した武部聡志、3曲を担当した井上鑑のアレンジもその柔らかい雰囲気作りにひと役買っている。そして作家陣の顔ぶれを見てもわかるように、このアルバムは “松田聖子と新しいポップスの地平を切り拓こう” という制作陣の意気込みを感じる。全曲について触れたいが、長くなるので、個人的に好きな何曲かに絞ってみたい。
静寂が聴こえる「チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス」
まずはオープニング曲「蛍の草原」。夏の夜、キャンプで訪れた川のほとりで蛍の光を見て、「♪きっと前世から結ばれる運命ね」と愛を確かめ合う2人。聖子の歌は歌うというより語りかけているようで、情景が浮かんでくる。
軽々と両手に抱いたままで
あなたは宙にすこしずつ浮かび上がるのよ
不思議だわ
ーー といった幻想的な松本隆の歌詞も、文字通り浮遊感があって異世界へ誘われた感覚になる。つかみは完璧だ。
4曲目、「チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス」は “沈黙” を歌った曲であり、松田聖子の表現力が存分に味わえる曲だ。日曜の午後、デートを楽しんだ後、最後にコーヒー・ハウスへ入った2人。まだ付き合ってはいないが、男性は “答え” を求めている。そんな彼に対してーー。
べつに今さら じらしてるんじゃない
答えを決めるまであと5分だけ
外の景色をぼんやり見させて
この5分間、2人の間にあるのは静寂だ。だが松田聖子の歌にはその “静寂が聴こえる” のである。答えを決める5分間を噛みしめたい、という主人公の気持ちも含んだ静寂だ。そう、彼女の心はもう決まっている。最後のフレーズは
、本人が新婚間もない時期だったので実感がこもり、怖いくらいの説得力である。
テーブルで重ねた指に
あなたから力こめた
黙ってうなずいたの
怖いくらい幸福よ
アーティスト性も両立させた聖子の記念碑的作品「時間旅行」
そして、名曲ぞろいの本アルバムの中でも白眉の名曲が、松田聖子自身が作曲した5曲目「時間旅行」だ。空港の出発ロビーで、元カレが新しい彼女と一緒にいるところを偶然見掛けるという設定。元カレは西海岸へ。一方の自分はパリへ一人旅だ。主人公には、元カレへの思いがまだ残っている。
もしあの日に別れなければ
同じ翼で旅してた
時計の針は戻せないのね
二度とあなたの腕には帰れない
この感情の揺れを、松田聖子はごく自然に表現している。先述の「チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス」では声の表情だけで沈黙を表現していたが、この曲では抑制した歌い方の中で、主人公の胸に去来するさまざまな感情を見事に伝えてみせた。自ら手掛けたメロディもナチュラルに展開。これは歌だけで十分、心の揺らぎを表現できる、という自信があってこそ。こんなハイレベルなことを、作曲も含めてできるようになったのだ。以後、アイドルでありつつ曲作りにも関わり、アーティスト性も両立させていった松田聖子の記念碑的作品といえる。
男性視点で描かれた「マリオネットの涙」
レコードでは、Side-Bとなる後半5曲も聴き応えのある曲が並ぶ。注目は7曲目、久保田洋司作曲の「マリオネットの涙」。この曲、歌詞が男性視点なのだ。自分の意思では動くことができない操り人形。それは自分の思いだけではどうにもならない恋愛の喩えでもある。これも声がいいんだよなぁ。特に「♪まるで幸福は失くしたボタン 失って気付く大事なもの」のあたりはとても切なく儚い。この曲の中には純粋な少年がいるが、それはピュアな女性心理とも一致する。このアルバム全体に通底する “純な部分” を象徴する曲だ。
松本隆は、松田聖子に “先生は大人の男性でいらっしゃるのに、なぜこんなに女の子の気持ちがわかる詞が書けるんですか?” と訊かれ、こう答えたそうだ。“それは、僕が少年の心を失っていないからだよ。ピュアな心に男女の差はないんだ” ーー こんなこと、一度はサラッと言ってみたいものだ(笑)。久保田洋司もこの曲は気に入っているようで、自分のバンド、THE 東南西北でもセルフカバーしている。
タイトル通り“SUPREME”(最高)の輝きを放つ1枚
最後に後半からもう1曲、玉置浩二が書いた9曲目「ローゼ・ワインより甘く」。歌詞だけ読むと本アルバム中、最も艶っぽさを感じる内容だが、ポップな曲調と松田聖子の爽やかな歌声で中和され、大人の恋を知った女性のときめきが伝わってくる。サビで同じく玉置が書いた斉藤由貴「悲しみよこんにちは」を想起させるフレーズが出てくるのはご愛嬌。
この曲から、本アルバムの掉尾を飾る「瑠璃色の地球」へつながっていくわけだが、あらためて本作を聴いて思うのは、さまざまな愛の形を、松田聖子自身が “声” の表情だけでみごとに歌い分けていることだ。結婚して家庭を持ち、母となったことで、男女間の恋だけでなく、広く人間愛を歌えるようになった松田聖子。だからこそ締めの「瑠璃色の地球」が光る。10曲目だけでなく、ぜひ1曲目から、通して聴いてほしい。アルバムタイトル通り“SUPREME”(最高)の輝きを放つ1枚だ。
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2026.06.01