向田邦子の転機、コミカルなホームドラマからシリアスな人間ドラマへ
朝と昼の民放BS番組といえば、平成の2時間サスペンスドラマ再放送やテレビショッピングがほとんど。だが、たまに配信でも観られない名作ドラマをぽろっと放送することがあるので侮れない。向田邦子脚本、1977年放送の連続ドラマ『冬の運動会』の再放送が朝7時からあると知ったときは、BS-TBSに感謝した。
この『冬の運動会』は、それまで『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』など、コミカルなホームドラマを得意としてきた向田邦子の転機となった作品だ。以降向田は、『阿修羅のごとく』『あ・うん』など、シリアスな人間ドラマを手掛けるようになっていく。
ドラマの中心となるのは、いわゆるエリート家庭。大企業の会長である祖父(志村喬)、上場企業の部長である父(木村功)、いかにも上流家庭風な専業主婦の母(加藤治子)、大学生の妹。その中で、やや屈折しながら育った青年・菊男(根津甚八)が主人公。高校時代に万引きしたことが原因で、父親との折り合いが悪い。万引きのせいで就職も上手くいかず、祖父のコネで決まった大手建設会社の就職も土壇場で蹴ってしまう。だがそんな菊男には、実は心休まる “別宅” があるのだ。
祖父、父、息子。3人の男たちの別宅とは
菊男のもう1つの家は、線路沿いにある修理専門の小さな靴屋。そこの夫婦(大滝秀治と赤木春恵)に息子同然にかわいがられ、菊男も親のように彼らを慕っている。
“別宅” があるのは菊男だけではない。
会社や碁会所に行く振りをしながら、祖父が足繫く通うのは若い女(藤田弓子)が暮らす長屋。“本宅” ではビシッと着物姿で安楽椅子に座っている祖父が、“別宅” ではドテラを羽織ってこたつでゴロゴロ。ダジャレを飛ばしたり、腕をぐるぐるして毛糸玉を巻くのを手伝ったり、都はるみの「北の宿から」を鼻歌で歌ったり。“本宅” での厳格な祖父とは別人だ。
父親の “別宅” は、亡き友人の妻(市原悦子)とその息子が暮らすアパート。未亡人は大変だから、友人として気にかけてあげないとを言い訳に、何かとそのアパートへ手土産を持って訪ねていく。未亡人もいそいそと彼を迎え、まんざらでもない様子。その息子とも和気あいあいで、菊男と一緒にいるときのピリッとした空気とは対照的だ。
『冬の運動会』『岸辺のアルバム』、ドラマのエポックメイキングが続いた1977年
最終的には、男たちは思いがけない手痛いかたちで “別宅” を失い、居場所は “本宅” だけとなる。エリート一家の秘密、家族の崩壊と再生。『冬の運動会』を観て私が思い出したのが、同じ1977年に放送されたあのドラマだ。
ドラマ好きの中高年の方なら、すぐわかるだろう。そう、山田太一作『岸辺のアルバム』だ。『冬の運動会』が放送されたのは、1977年1月から3月。『岸辺のアルバム』が放送されたのは、1977年6月から9月。1977年は、向田邦子と山田太一というドラマ脚本の両巨頭がホームドラマの概念をぶっ壊した、ドラマ史的にエポックメイキングな年だったといえるだろう。『冬の運動会』と『岸辺のアルバム』、どちらも最終回でタイトルの意味が明かされるのも同じ。だが、2つの作品には決定的な違いがある。母親の在り方だ。
どちらも専業主婦なのだが、『岸辺のアルバム』の八千草薫は心の隙をつかれ、あやしい電話をかけてきた男と不倫に走る。それに対して、『冬の運動会』の加藤治子はまったく揺るがない。男たちの “別宅” を知っても彼女は動じない(もちろん、息子の就職は心配するが)。夫の気持ちに素知らぬ振りをしながら、ちゃっかり未亡人のお見合いをセッティングして、再婚を促す。
母親が動じないことで、『冬の運動会』の家族は壊れそうで壊れない。季節外れの運動会をしていたのは、男たちだけなのだ。何があっても家族は壊れない。それは、向田邦子の願望でもあったように思うのだが、考えすぎだろうか。
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2026.05.13