8月1日

80年代の音楽革命、洋楽の黄金時代をつくった MTV の登場!

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1985年12月4日、私は NY にいました。日本の MTV との合同企画で、番組視聴者3名とジャーナリストを連れて、ビリー・ジョエルに会いに来たのです。『MEET BILLY JOEL IN NEW YORK』という企画を番組内で立ち上げ、3名の当選者を連れて来ています。初めてのベスト盤『ビリー・ザ・ベスト』が発売されて数か月経っていますが、彼は取材を受けてくれました。

ビリーは次作の創作準備のため、SOHO にある建物の広いワンフロアにピアノを持ち込んで、ひとり曲作りに励んでいるところでした。ちなみに、彼の創作準備はいつもこのパターンです。ある時は高級ホテルのペントハウスを貸切ったり、ある時は郊外のボートハウスを使ったりと、環境を変えて自分を追い込まないと曲が出てこない、というタイプらしいです。

“メロディがフト浮かぶ、とか天から降ってくる、という話をきくが、自分には全く考えられない” とコメントしたこともあります。

実は、親日家のビリーでも、取材には厳しく簡単には OK を出しません。やったとしても、新譜発売時に1本あればいいほうです。しかも今回は “視聴者が会いに行く” という特別な企画でした。が、あにはからんや、実は意外とすんなり受け入れてくれたのです。

理由は明らかです。番組名が MTV だったからです。実は、この時期の日本の MTV は、アメリカのケーブルによる24時間放送とは全く違って、大阪の ABCテレビが MTV とライセンス契約をし、素材提供などを得て週一回全国放送している洋楽番組でした。とは言え、MTV は MTV です。ビリー側には番組は MTV とだけしか伝えていません。これで十分でした。

この企画以前にも国内で MTV の力を感じる場面はいくつかありました。ABC も契約しておらず、日本に MTV が全く縁も所縁もない1983年。CBSソニーはスーパーグループ、エイジアを発売していました。担当は私ではありませんが、身近なところに MTV が来ていました。彼らのワールドツアーは12月の日本からスタートしますが、まさに本国の番組企画として 『ASIA FROM ASIA』と銘打って日本武道館公演をアメリカ MTV が生中継したのです。

ライブは NY タイム深夜に合わせていたのでこちらでは平日の昼間というやや微妙な時間帯にスタート。これはまるまる MTV ためのライブでしたが、当時のスーパーグループが自分達の興行までを MTV に合わせるというほど、この新しいメディアは勢いを持ってました。

こちらは自分の担当案件でしたが、こういう事もありました。1984年ビリー・ジョエルですが、日本武道館公演の楽屋にオーストラリア CBS のスタッフが MTV の視聴者数名を連れて来てましたし、「フットルース」の大成功をうけたケニー・ロギンスの武道館公演でも楽屋に同じチームがあらわれてました。MTV がスタート以降どこの国でも同じような事をやっていました。

我々なら、LA や NY に行くところでしょうが、彼等にしてみれば、東京でライブを観て楽屋で挨拶、という事が、オージーの視聴者にアピールできるポイントだったのですね。日本公演が実現しているということは、その前後にオーストラリア公演は大体決まっているはずです。それでも東京まで来るということは、日本旅行もついた豪華なものだったはずです。

実は、このアーティストと視聴者の距離を縮めた企画もアメリカ MTV が始めた事でした。例えば、当選者を一泊二日でコンサートに招待しバックステージでアーティストに会える、とか。はたまたツアークルーとして1週間働いたり、など、ロックファンには、なかなか画期的かつ魅力的な企画をやっていました。このツアースタッフ企画に至っては、番組がドキュメンタリィとして放送もしています。

またあるライブ企画では、その当選者のクラス全員がコンサートに招待される事もありました。当選者はクラスの人気者になるわけです。それまでの時代、楽屋に立ち入る事ができたのは関係者だけでしたが、この MTV をきっかけに大きく変わってきたようです。

この大盤振る舞い企画とて、アーティストサイドがどれだけ MTV に対して期待しているか、という事の証明です。レコード会社としても MTV に対して十分な宣伝予算を投下せざるを得なくなってました。ラジオなどの従来メディアに関してはレコード会社が窓口だったはずですが、この MTV に関しては、アーティストサイドとメディアの直ルートになってました。

レコード会社的にはコントロールが大変ですが、アーティスト&マネージメントサイドからは、やっと現れた自分たちのメディア、MTV 万歳、と言った歓迎ぶりだったのではないでしょうか。だからこそ、楽屋へ案内するとか、ツアークルーとして体験させるなどのライブの現場企画が成立しています。しかも MTV は24時間放送ですから、いくらでも電波は使えます。お金もあって放送枠もあれば、エキサイティングな番組企画が生まれると言う事です。

もっとも、その MTV と言えでもスタート当初は、全てのアーティストがウェルカムというわけでもなかったのです。私の担当アーティストでは、まずはピンク・フロイド。メンバーのデヴィッド・ギルモアは MTV に対して否定的な立場でした。聴くものにイメージさせることで、その無限の世界観をつくりあげてきた彼らにすれば、音楽を映像で固定することは歓迎すべき事ではない、とコメントを残していました。

同じく、アメリカンロックの典型的なヒットパターン、ラジオ&ツアーで大成功したバンドのジャーニーは、アルバム『フロンティアーズ』発売時、“クリップは絶対作らない”、と宣言していたものの、CBS レコードからの説得に負けて、義務的な「セパレイト・ウェイズ」の映像を作っています。

自分の担当アーティストながら、あの映像のチープさには参りました。曲のテーマも何も関係なく倉庫街のカタスミで歌っていましたが、それまでの経緯を知ってるだけに、観ているこちらも微妙な気持ちになりました。彼等は1986年に『RAISED ON RADIO ~ 時を駆けて』というアルバムまで作って暗にアンチ MTV の姿勢を出していたが、結果 MTV の勢いに身を任せるしかなかったのです。

MTV の誕生以降、ほとんどの新譜には、必ずビデオクリップが作られるようになりました。それまでもクリップはありましたが、それとて予算がある一部のプライオリティアーティストのみです。このクリップが日本のレコード会社に安定的に供給される、という事で TV 側に動きがありました。分かり易い図式ですが、TV 局側の論理でいくと、こういうことだと思います。

質の高いビデオクリップが沢山ある。宣伝用なのでタダで使える。DJ ひとり分のギャラで済む。ラジオの構成家でいい。つまり洋楽番組は制作コストがかからない。深夜なのでレイティングも気にしない。作っちゃえ。

玉石混交でしたが、洋楽が流れる番組が沢山誕生しました。まさに TV がお茶の間に向けて洋楽を沢山流してくれたからこそ、洋楽黄金の80年代がうまれ、洋楽マーケットが拡大したのです。

各主要エリアのローカル局にも洋楽クリップが流れる番組いくつもありました。TBS でも全国ネットで『ポッパーズ MTV』が始まり、先行の『ベストヒット USA』の小林克也さん共々、ピーター・バラカンさんも独特の切り口に人気を博していました。多くの人々に生まれて初めて洋楽を知る機会を作ってくれたのは TV での洋楽番組でした。

宣伝する我々にも少し動きの変化がありました。このクリップの日本到着がいつになるのか、という事は宣伝プランの中でも重要な情報でした。

特にまだ24時間放送はまだ登場してない頃ですし、地上波の TV 番組で紹介するという事は、1回エアプレイされると、もうその番組では使われないという事を意味しています。プロモーション的には、マーケットに油が十分浸った時に、ビデオを回したいものです。音メディアに関しては、ラジオ中心の動きに TV が大事な役回りをすることになってきた、という事も、MTV 誕生以降の変化だと思います。

ちなみにこの頃の私のアメリカ出張の際、ホテルの TV で MTV を見る事が、楽しみのひとつになっていました。なにしろ24時間次から次へと流れる映像、それがとても新鮮で刺激的。延々観続けても全然飽きなかったです。CBS スタッフのデスクの上にあった MTV のロゴがはいったステッカーすら大興奮。仲間への土産に MTV グッズを購入するほど、大人気でした。

アメリカの関係者のみならず日本にいた我々にとっても、この MTV の登場はインパクトがあったし、突如現れたメディアのスーパースターに眩しい視線を送っていました。

実際日本で24時間放送の MTV が始まるのは随分後になりますが、アメリカの音楽を日本に持ち込んでくる自分達の仕事です。今回整理してみて、MTV がアメリカでスタートして以降、洋楽の我々が享受してきた恩恵の大きさについて、あらためて認識、MTV に感謝です。


2019.08.01
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