1995年 9月8日

華原朋美「keep yourself alive」歌詞に込められた10代の不安や苛立ち、そして希望

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華原朋美のデビューシングル「keep yourself alive」がリリースされた日
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重ね合わさる二人の歌姫、華原朋美とマライア・キャリー


華原朋美(以下、朋ちゃん)の歌手デビュー時のことを振り返る時、僕は何故かマライア・キャリーのことを思い出します。

マライアはハイスクール卒業後マンハッタンへ移り、ウェイトレスなどをしながら歌手デビューのチャンスを待ち、ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなりました。

その後、パーティー会場でCBSレコードのトミー・モトーラ社長へデモテープを渡したことがきっかけとなり、デビューへの切符を掴むことになります。

パーティー会場を後にしたトミー・モトーラは車の中でそのデモテープを聴き、会場に戻りパーティー客の前でマライアに歌を披露させ、即契約した―― という話をどこかで読んだことがあります。

この話がどこまで真実かわかりませんが、90年代のシンデレラ・ストーリーとして有名なエピソードです。マライアはその後社長と結婚し、やがて破局を迎えます。その先もスターとして波乱万丈な人生を送るわけですが、朋ちゃんのこれまでの人生も実に波乱万丈だったと思います。そんなこともあり、90年代に華々しくデビューを飾った、二人の歌姫の人生を何故か重ね合わせてしまうんですよね。

小室哲哉が絶賛した “涙腺を刺激する歌声”


華原朋美は高校3年生の時、渋谷の吉野家でスカウトされ芸能界入りし、当時は三浦彩香名義でモデル活動をしています(のちに遠峯ありさに改名)。遠峯ありさ時代に深夜のバラエティ番組『天使のU・B・U・G』にレギュラー出演していた朋ちゃんでしたが、たまたまこの番組を見ていた小室哲哉に見初められ、ほどなく二人は恋人関係になります。その経緯は定かではありませんが、朋ちゃんは同世代の女性から憧れの的になったのは間違いありません。

その後、カラオケで朋ちゃんの歌声を聴いた小室さんは「涙腺を刺激する歌声」と絶賛したそうです(朋ちゃんはtrfの歌を歌ったそうです)。

そこから朋ちゃんのシンデレラ・ストーリーが本格的に始まるわけですが、すでに二人の関係は写真週刊誌にマークされていました。

小室さんは「アーティストに手をつけたのではなく、プライベートの恋人に曲を書いてデビューさせただけです」と語っているのですが、真実を包み隠さず公表するその関係性に、やがて若者たちは共感するようになります。

デビューシングル「Keep Yourself Alive」


1995年6月、朋ちゃんは事務所を移籍し、芸名を華原朋美に改名。これで二人のイニシャルはお揃いの “T.K.” になるわけですが、1995年9月8日、パイオニアLDC内の新レーベル・ORUMOK RECORDSの第一弾アーティストとして華原朋美は本格的な歌手活動を始動させることになります(ちなみに “ORUMOK” は逆から読むと “KOMURO” になります)。

そのデビュー曲が今回ご紹介する「keep yourself alive」です。まだ二人が知り合った頃、朋ちゃんは相手が天下の小室哲哉だろうが関係なくタメ口で接していて、ケンカも絶えなかったそうですが、そんな歳の離れた彼女のことがとても愛おしかったんでしょう。彼女のためにレーベルを立ち上げ、本人のプロデュースでデビューをさせるなんて、まさに男のロマンですよね(笑)。

朋ちゃんは小室さんにそれまでの20年間の自分の人生を一生懸命、包み隠さずに話したのではないでしょうか? それが「Keep Yourself Alive」の歌詞の中に込められているように思います。

当時のティーンたちの不安や苛立ち、それでも将来に希望を持ちたいという若者の叫びを代弁したかのような歌詞が胸に響いてきます。

当時はまだそこまで大きな露出がなかったにもかかわらず、話題になったこのデビューシングルは、見事TOP10入りを果たし最高位8位をマークしています。売り上げも40万枚近く売り上げる大ヒットになりました。

朋ちゃんの歌声はキーが高く、誰も真似できないからこそ、真似をしたくなる存在になり、当時のカラオケブームも相まって朋ちゃん楽曲はカラオケの人気曲になっていきました。

200万枚以上のメガヒット、ファーストアルバム「LOVE BRACE」


デビュー曲「keep yourself alive」はじめ、多くのヒットシングルが収録された華原朋美のファーストアルバム『LOVE BRACE』がデビューの翌年1996年6月3日に発売されています。



200万枚以上売り上げるメガヒットアルバムになったこのアルバムですが、タイトルの『LOVE BRACE』はカルティエのスレッドと呼ばれるバングルからモチーフを得たタイトルで、自分一人では腕にはめることが出来ず、恋人につけてもらうための憧れのアクセサリーでした。

「小室さんからバングルをもらった時に、ファーストアルバムの名前になったらいいなあと小室さんに呟いたら、本当にそうなった」

―― とのことですが、そういうエピソードを含めて、朋ちゃんは同世代の女性たちの憧れの的でした(このバングルは高価なアクセサリーだったにも関わらず当時バカ売れしました)。

バブルが弾けた90年代とは言え、音楽業界はまだ売り上げがうなぎ昇りの時代で、世の中は今ほど暗くはなかったように思います。90年代を総括するときに、“小室哲哉”というクリエーターの存在をなくしては決して語れないのと同時に、華原朋美も忘れられない存在になったわけです。

華原朋美がもつ “スターの条件”


本日9月8日は、華原朋美が歌手としてCDデビューした記念すべき日ですが、朋ちゃんがデビューしてから27年もの月日が流れてしまったわけです。

時の流れの速さに何だかしみじみしてしまいますね。

その後の朋ちゃんの活躍は40代以上の方ならきっとご存じだと思いますが、すでに48歳を迎えた朋ちゃんは現在もいろいろな意味で話題が絶えない方です。そういう部分も含めて彼女は根っからのスターなんだと思います。

どこか憎めないというか、思わず応援したくなってしまう危うさも含めて、スターの条件なんだと思います。松田聖子が還暦を越えても “聖子ちゃん” と呼ばれ続けるように、華原朋美にも、いくつになっても “朋ちゃん” と呼ばれるような愛らしい存在で居てほしいな…… と思っています。

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2022.09.08
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カタリベ
1967年生まれ
長井英治
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