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痛快!80's の立身出世物語「摩天楼はバラ色に」&「ワーキング・ガール」

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80年代後半、国内がバブル景気に沸いていたころ、アメリカでウォール街を舞台にして時代を象徴する3本の映画が製作された。87年の『摩天楼はバラ色に(The Secret Of My Success)』、88年の『ウォール街』、そして89年の『ワーキング・ガール』である。

この頃のアメリカは決して好景気とはいえないまでも、ジャパンマネーが不動産を買い支えたおかげでかろうじて低空飛行を保ち、一方では支配階級によるマネ-ゲームが繰り広げられていた。

当時の主役は不動産でも金融商品でもない。企業の M&A(合併と買収)なのだ。これらの映画は、そんなビジネスシーンを背景に描かれている。

社会派のオリバー・ストーンは、それをアメリカの病巣の一つであるかのようにとらえ映画『ウォール街』を撮ったが、マイケル・ダグラス演じる主人公の敵役があまりにも格好良く描かれていたせいで、逆にウォール街を目指す若者が増加するという皮肉な結果を招いた。やはり娯楽映画はハッピーな方がいいに決まっているのだ。

映画『摩天楼はバラ色に』の物語は、主人公フォスターが、内定した会社を M&A で失ってしまう不幸から始まる。主役を演じるマイケル・J・フォックスは、85年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を経て、アメリカを代表するコメディスターになっていた。この映画は、30歳を過ぎても平然と大学生を演じることができる彼を全面的にフィーチャーしたビジネス世界のサクセスストーリーで、いわばハリウッド版『無責任シリーズ』といっても差し支えない作品だ。

片田舎からちょっと誇大妄想癖のある青年が、大望を抱き大都会ニューヨークの地に立つ。そこから口八丁手八丁、持ち前の強心臓と悪運の強さでいつの間にやら大出世。高嶺の花まで射止めて、めでたくゴールイン! という筋書きは、まさに60年代高度成長期の日本のサラリーマンの夢物語… 植木等が演じた、かのストーリーそのものだ。バブル絶頂期にあったこの頃、日本人好みの立身出世物語に胸を躍らせた人は少なくなかったと思う。

また “元祖”『無責任シリーズ』はちょっとしたミュージカル映画の体をなしており、「スーダラ節」をはじめとする数々のヒット曲を生んだことでも知られているが、“ハリウッド版” の方も挿入歌には少々(だいぶ)力が入っている。タイトル曲は映画の原題そのまま「シークレット・オブ・マイ・サクセス」。演奏は何とアメリカンハードロックの雄、ナイト・レンジャーである。だが彼らのオリジナルとは思えないポップなメロディラインに耳を傾けていると、この映画の音楽を手掛けたのがデヴィッド・フォスターであることに気づく。このころの彼は『セント・エルモス・ファイアー』や『君がいた夏』などサントラに熱を上げて取り組んでいたのだ。

一方でナイト・レンジャーはボン・ジョヴィよりも先行してブレイクを果たし、ポスト “ヴァン・ヘイレン” の筆頭格として名前が挙がっていた。だが、意に反してバラードのヒット曲が続いたことで制作側との間にジレンマを抱え、これは彼らが音楽の方向性を模索していたところへのオファーであった。耳あたりがよく親しみやすいが、この軟化路線には、ふとハードロックバンドとしての行く末を案じてしまったのを覚えている。

さて最後発となった『ワーキング・ガール』は日本では89年春の公開となったが、本国アメリカでは88年末の公開であったので、近いテーマながら相次いで三者三様の映画が撮られたことは決して偶然ではないだろう。

日本国内では86年に男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、当時は(今でも)、女性エグゼクティブは非常に少なく、まだまだ女性版サクセスストーリーは新鮮さが感じられたように思う。

あらすじはというと、怪我をした上司に成りすまして大商いをまとめたり、ハリソン・フォード演じるイケメン彼氏を寝取ったりと、『摩天楼はバラ色に』と設定は似ているもののコメディ色はやや後退、よりスリリングな展開で観る者を引き込んでいく秀作であった。リーボックのスニーカーで通勤するヤッピースタイルや主人公が愛用するシュレジンジャーのブリーフケースなど、アイテム描写にリアリティがあり、クライマックスで主人公がプレゼンテーションの究極形 “エレベーターピッチ” を繰り出すなど、ビジネススクールで学ぶようなエッセンスが効いた洒落た映画に仕上がっていたから、意外な側面からも注目されていたはずである。

主人公・テスを演じたメラニー・グリフィスは、それまで『サムシング・ワイルド』など、ちょっとエロい、頭の弱そうな娘の役柄が多かったが、これを機に一気にブレイク。当時、『マイアミ・バイス』で人気沸騰中のドン・ジョンソンと2度の結婚などプライベートでも話題となった。

タイトル曲は女性シンガーソングライター、カーリー・サイモンが歌う「レット・ザ・リバー・ラン」。映画のラストシーンで効果的に使われたドラマチックな楽曲で、観た者に大きな余韻を残す佳曲である。彼女は60年代から活躍したフォークソングをバックグラウンドに持つシンガーソングライターで、既にキャロル・キングやジョニ・ミッチェルとともに並ぶビッグ3ともいえる大御所でもあった。

彼女らがブレイクした70年代初頭はウーマン・リブ運動の真っ只中、とりわけ彼女は女性らしさを強調した衣装を身につけ、自立した女性のアイコンとして唄い続けてきていた。映画の映像とシンクロするミュージックビデオでは、彼女の力強いボーカルと声を上げて立ち上がる多くの女性たちをイメージしたシーンが展開される。

この時女性によるサクセスストーリーの主題歌を任せるのに、これほど適任のミュージシャンはいなかっただろう。また同曲は88年のアカデミー歌曲賞においてオスカーを獲得した。

『摩天楼はバラ色に』と『ワーキング・ガール』、両作品とも当時のビジネスシーンを鮮やかに切り取っていたという点で娯楽映画のスケール感が飛躍的に向上した80年代にあって、とても印象に残るヒューマンドラマでもあった。

駆け出しの社会人であった私にとっても大いにアガる類の映画であったと言える。それからおよそ30年。格差社会などといわれて久しいが、映画に描かれた当時の企業社会の中にも “スーツ族” と呼ばれ組織の中心にいる人々と、同じ会社にいながら決して交わることのない雑用係との間には、歴然とした階層社会が存在していた。

フォスターとテスの二人が “成りすまし” という禁断の切り札を切って、上の階層に向かって敢然と切り込んでいく様は、今の時代にあっても決して色褪せることなく痛快さを感じさせてくれる。これらの主題歌たちはその時、サイレンのごとく頭の中に鳴り響くのだ。

2018.06.11
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  YouTube / MelodicRockAnthem


  YouTube / Carly Simon
 

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