6月6日

壁崩壊の転機となった「デヴィッド・ボウイ」と「ベルリン・天使の詩」

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デヴィッド・ボウイのコンサートがベルリンの壁の前で開催された日
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デヴィッド・ボウイによる伝説のベルリンの壁でのコンサート


「壁崩壊」などと書くと、「『進撃の巨人』第一話ですか?」と10代、20代の若い読者は真顔で問うかもしれない。しかし今回のコラムで取り上げるのは、資本主義陣営と共産主義陣営を東西に分けていたベルリンの壁崩壊(1989年)にまつわる話である。

1987年6月6日、デヴィッド・ボウイが西ベルリンのライヒスターク(国会議事堂)前広場で行ったライヴは今では “伝説” になっている。そこはベルリンの壁に隣接した場所であったため、ボウイは西ベルリンの観客を見据えつつも、あえて壁側(東ベルリン側)に全スピーカーの四分の一を向けた。そして、ドイツ語で以下のメッセージを言い放つことになる。

「この壁の反対側にいる我々の友人たちのために幸せを祈ろう」

ボウイの意識は、西ベルリンの8万人の観衆だけでなく、壁の向こうに集まった5,000人の東ベルリンの人々にも向けられていたのだ。許可なく集会を開いただけで捕まる東ベルリンの情勢にあって、この盛り上がりは異様な出来事であった。退去命令が出されても、皆一向に引かなかったという。2年後のベルリンの壁崩壊の予兆というか、実際かなりの影響があったとされている。

ボウイが亡くなった2016年には、ドイツの外務省が「さよなら、デヴィッド・ボウイ。あなたは英雄たちの仲間入りを果たした。壁を壊してくれてありがとう」とツイートしたほどだから、当時のドイツ人たちの精神をいかに奮い立たせたライヴであったか分かる。

とりわけ、このライブで歌われた「ヒーローズ」が多大な意味を持った。ベルリンの壁近くで会う恋人を描いたもので、その逢瀬を警備兵が銃撃で阻止しようとする描写さえあり、ベルリンの壁崩壊のアンセムになった。

1987年に公開された映画「ベルリン・天使の詩」




とはいえ、2020年にNHK BSプレミアムで『アナザーストーリーズ「ロックが壊したベルリンの壁」』が放送され、広く認知された出来事ではあるので、これ以上基本的な内容には突っ込まない。

むしろ僕が気になっているのは、ボウイが西ベルリンでライブを行った1987年に、ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』が公開されている年号的一致だ。日本でもミニシアター・ブームに火をつけた名作として語り継がれているが、難解なアート作品ゆえ予備知識がないとちょっと厳しい内容ではある。

空中ブランコ乗りの美女マリオンと、彼女に恋する守護天使ダミエルのラブストーリーが描かれつつも、ヴェンダース監督が本当に描きたかったのはベルリンという都市の歴史だった。ナチス独裁から戦後の東西分断まで、深く傷つけられ陰翳を負ったこの街を、天使たちは慈愛の心で包み込む。実際に壁に対する言及もあるため、ボウイのライヴとヴェンダースの映画は明らかに1987年の時代精神で通じている。つまり両者とも直接的には言わないが、「(非人間的な分断の象徴としての)壁を壊せ!」と暗にメッセージしているのだ。

着想源となった「歴史の天使」と重なるデヴィッド・ボウイ


さて、この映画が着想源にしたのが、思想家ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の天使」という有名な概念であることも、今ではよく知られている。画家パウル・クレーの「新しい天使」という、子供が描いたような不格好な天使の絵に対して、ベンヤミンが独自の解釈を加えることで生まれたものだ。概ね、以下のような記述である。

「天使は過去に目を向けている。散らばった廃墟の残骸を拾い集め、組み合わせようとするも、楽園から吹く強烈な風によって広げた翼をたたむことができず、その場にとどまることなく未来へと吹き飛ばされてしまう。」

よく見ると、クレーの「新しい天使」は目線がやや後ろを気にかけている描かれ方をしている。未来に向かって吹き飛ばされながらも、過去の残骸に目を向けていく引き裂かれた態度がここにはある。取り残された残骸を、取り残したまま先に進むことを諫めるかのようにその目は後ろを見ようとする。ボウイもまた、西ベルリンの8万人の聴衆を前にしながら、壁の向こうにいる東ベルリンの5000人のためにスピーカーを向けた。

これはボウイが「歴史の天使」のように、後ろを気にしているからである。彼らを残して先には進めないんだと。つまり「前に向かう前提として、先に後ろを見ること、つまり過去に向き合ってこそ未来に向えるのである」(陳光興)。

大島渚も “天使” と評したデヴィッド・ボウイは神からのメッセンジャー?


ボウイがベンヤミンのいう「歴史の天使」なのかどうかはさておき、少なくとも天使であることは間違いないようだ。『デヴィッド・ボウイ集成Ⅱ 絶望王(人物)編』(紐育春秋、2016年)という奇跡的にハイクオリティーな同人誌があるのだが、この中に岩井卓巳が「天使論 5:15 train overdue angels have gone」というテクストを寄稿している。

西洋の天使学の知識を散りばめつつ、大島渚が『戦場のメリークリスマス』でいっしょに仕事したボウイを「彼は天使です」と言ったエピソードを皮切りに、ボウイ=天使説が開陳される。しかしこの文章で、グラス・スパイダー・ツアーに言及がないのは気がかりだ。

そもそも西ベルリン・コンサートは、グラス・スパイダー・ツアーの一環だった。「Time」という曲で、ボウイは巨大な蜘蛛の上で、「背中に翼を生やして」たたずむパフォーマンスを見せる。これは明らかに天使であり、このツアーのライヴ盤のジャケットにもこのシーンが使われているほどだから、ボウイにとって天使はよほど重要なイメージだったようだ。

天使とは古来、神のメッセージを人間に伝えるメッセンジャーであった。媒介(メディア)なのである。ボウイもまた、「東西ベルリンを統一せよ」という神のメッセージを運ぶ天使だったのではなかろうか。

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2022.06.06
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カタリベ
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