80年代の洋楽ブームに大きく貢献した番組が、テレビ朝日の「ベストヒットUSA」であったことを疑う余地はないだろう。覚えている方も多いと思うが、この番組はタイヤメーカーの「ブリヂストン」の1社提供番組であった。つまりこの45分ぐらいの番組の合間に流れるCMはすべてブリヂストンのCMということになるのだが、若年層のクルマの所有率の伸びを意識して始められたこの番組では、楽曲に凝ったCMが多く流れ、そのいくつかは視聴者の記憶に刻まれたことと思う。
中でもひときわ印象に残ったのは、レーシングタイヤのブランド「POTENZA」のCMで使われていた日本を代表するハードロックバンド VOW WOWの「Don't Leave Me Now」である。
CMの映像は世界的な自動車レース、ルマン24時間レースに挑む日本の自動車メーカーと、まさにグッドイヤーやミシュランといった欧米のタイヤメーカーに追いつかんとしていたブリヂストンタイヤの闘いを描いている。まさに日本全体が調子付いていた時代のひとつの象徴といっていい。
この曲を初めて聴いて日本のアーティストの楽曲だと認識できた人は、ほとんどいなかったのではないか。それほどまでに当時のVOW WOWの実力は日本人離れしており、超絶テクの山本恭司のギターに、厚見玲衣のキーボードを交えたメジャー志向のメロディーラインは、まさにハードロックの王道、ホワイトスネイクやヨーロッパを彷彿とさせた。そして何といっても人見元基のボーカルを擁して、その表現力はワールドクラスに高められていたと思う。
日本のハードロックバンドが最も世界に近づいたといえるなら、この頃のVOW WOWをおいて他にないだろう。元ホワイトスネイクのニール・マーレイや元エイジアのジョン・ウェットンなどビッグネームが参加するに至っては、まるでロック界のメジャーリーグに加わったかのようなインパクトがあった。当時、活動の拠点をロンドンに置いていた彼らを評して、帰国の際にはあえて「来日」という言葉をメディアは贈ったものである。
彼らに重なるように、この頃の国内のモータースポーツ界は非常に活気があった。バブル景気に沸いた当時、あらゆる業種の企業がスポンサーとして名乗りを上げ、自動車産業あげてレース活動に躍起になっていたのだ。そしてちょうどこの1987年には、10年もの間日本から遠ざかっていた4輪レースの頂点「F1グランプリ」が再び開催されるにあたり、その熱気はピークにさしかかろうとしていた。
残念なことに、我々が胸を躍らせたVOW WOWの世界進出は長くは続かなかった。アメリカでのメジャー契約の失敗がきっかけといわれているが、メンバーの離脱が相次ぎ、その後わずか3年であっさりと解散してしまう。しかしそれは頓挫したというよりは、やりつくしたという印象を受けた。中でも東京外大卒という経歴を持ち、海外でも評価が高かったボーカリストの人見元基は音楽活動からも引退し、現在は高校の英語教師を務めているということは多くの人が知る事実である。VOW WOWも結成当時の名称BOWWOWに戻し、2000年頃まで活動が続いたが、現在は山本恭司個人のプロジェクト的な存在となっている。
日本のモータースポーツも紆余曲折を経て現在に至る。F1やルマンへの挑戦は今も続いているが、所詮、自動車メーカー頼みでは、景気や環境問題への対応などに翻弄されて長期間継続することができない。ハードロックもモータースポーツも本場に挑み続けるのは、いつだって難事業なのである。
2016.12.28
YouTube / thomast111
YouTube / nv850hd3
YouTube / over7colors