1986年、デビュー3年目の岡田有希子
渡辺「じゃ、佐藤さん、スタジオへ」
有希子「………」
渡辺「佳代さん、スタジオへ」
有希子「佐藤佳代は歌いません。岡田有希子が歌います」
「MAKING OF ヴィーナス誕生」“EPISODE” 1986年1月22日のスナップより
そして、有希子はレコーディング・ルームへ入っていった。
―― キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)のディレクターの渡辺有三は彼女にテーマを与えていた。1年目はシンデレラ、2年目の前半は妖精(フェアリー)、2年目の後半は人魚。そして3年目となる1986年は、もっとスペーシィに、サイエンシティに、と考えている、と語っている。
1983年、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で合格した少女・佐藤佳代は16歳の誕生日を迎えた3日後に上京し、翌年の1984年4月21日に岡田有希子として竹内まりやの作品でデビューした。 “六大学の野球を観に行く、山の手のお嬢さん” といったコンセプトで、楽曲の内容自体はそのイメージより幼いようにも思えたが、その歌唱に幼さはなく安定感さえ感じさせていた。
ともあれ岡田有希子が歌の中で演じる、山の手の女子高生が好きな彼氏と一歩一歩恋愛を進めていく歌は、まさにアイドルとしての王道であり、ビジュアル的にもふんわりした髪型とおっとりした雰囲気がとても似合っていた。
竹内まりや提供「ロンサム・シーズン」で感じた、女性の歌
そのイメージがデビュー2年目から一転する。17歳の彼女が急に大人になったのだ。確かにいつまでも、“山の手のお嬢さんが彼氏とゆっくり恋愛を進めていく” 路線というわけにもいかなかったのだろう。彼女がデビューした1984年は、王道アイドル路線がいささか古臭いものになっていたタイミングであり、実際に彼女自身髪を切りたがっていたという雑誌記事もある。
かくして彼女の髪型は、ふんわりしたセミロングから一気に松田聖子や小泉今日子のようなショートカットになり、当時流行の太眉を取り入れた大人びたメイクで、尾崎亜美や竹内まりやのペンによる、初恋ではない、2回目以降の恋を題材とする作品を歌いこなしていた。
そう、3枚目のアルバム『十月の人魚』に収録されている竹内まりや提供の「ロンサム・シーズン」を最初に聴いたとき、声こそ十代の少女だけれど、じゅうぶんに恋愛を知り尽くした女性の歌だということを切々と感じたものだ。
多彩な10曲のラブソングを収めた「ヴィーナス誕生」
そんな岡田有希子の4枚目のアルバム『ヴィーナス誕生』は多彩な10曲のラブソング集だ。アルバム発売直後の1986年4月4日に発行された同名の書籍『ヴィーナス誕生』(ポニカ出版)に目を通すと、彼女は歌の中でたくさんの恋をしてきたという。歌の中で恋をして、傷ついて、また恋をして。歌を歌っていることで、彼女は艶やかに成熟した。そして、メッセージの最後に次のように語っている。
「歌うことは、いまのユキコにとって生きると同じ意味なのだから…」
それが表現されたのが『ヴィーナス誕生』だ。アルムバジャケットはこれまでの彼女にはない、セクシーさを強調し、胸の谷間まで大胆に見せた衣装。これは先行した大ヒットシングル「くちびるNetwork」からの流れだろう。歌の内容もこれまでよりぐっと大人びて、18歳という実際の彼女の年齢以上に成熟した内容、具体的にはプラトニックな恋愛だけでなく、ヴィーナスのセクシャルな欲望、さらに肉体的な欲望を超えて、包み込むような愛情表現までが見えてくる。
サウンド面では、ポップでカラフルなものからぐっと落ち着いた音使いまで、多彩この上ない。編曲はすべて、かしぶち哲郎によるもの。プロデューサーは渡辺有三。参加ミュージシャンは以下のとおり。
▶ Drums:かしぶち哲郎
▶ Bass:奈良敏博
▶ Guitar:白井良明、岩倉健二、鈴木智文
▶ Keyboards:岡田徹、西平彰、丸尾めぐみ
▶ Synthesizer Prog.:森達彦、土岐幸男、深沢順
▶ Sax:矢口博康
▶ Chorus:桐ヶ谷仁、桐ヶ谷俊博、白鳥英美子、中山みさ、木下伸司、三井一正
アイドル作品にはある種の実験場的側面もある。ムーンライダーズ、坂本龍一をはじめ、ベースはシーナ&ロケッツの奈良敏博。そして、キャニオンレコード所属の若手デュオだったFANTIのメンバーが参加している。作家陣もかしぶち哲郎、坂本龍一の他、大貫妙子やEPOといったMIDI所属のアーティストが目立つ。1曲ずつ簡単に紹介しよう。

A-1:WONDER TRIP LOVER
作詞:EPO / 作曲:坂本龍一
アルバムの最初は元気な、でも不思議なポップチューン。岡田有希子自身、レコーディングする前から気に入っていた楽曲だったが、歌ってみるとなかなか難しかったとか。作曲の坂本龍一が『ヴィーナス誕生』リリースの1か月後、1986年4月に「Ballet Mécanique」として、矢野顕子の歌詞をつけてセルフカバーした。この坂本龍一バージョンを1999年に中谷美紀が「クロニック・ラヴ」としてカバーしている。メロディこそ同じだがまったく違う作品となっている。
A-2:愛…illusion
作詞:Seiko / 作曲:飛澤宏元
夢で見たまぼろし。マイナーのメロディにのった歌の内容はかなり大人びている。スカのリズムと随所で響くサックスが印象的。岡田有希子はこの曲についても、書籍『ヴィーナス誕生』の中で “早く歌いたい” と語っている。大人の男性との恋愛に憧れていたのかもしれない、18歳の素顔が垣間見える。
A-3:ヴィーナス誕生
作詞:前川由佳 / 作曲:木下伸司
好きな男の子と初めて肌を合わせる前のことを想像する女の子。ヴィーナスはローマ神話の愛と美の女神。歌の世界に入りやすかったのか、岡田有希子がいちばん “なりきってる感” が強い。FANTIのメンバー、ライター陣によるポップな作品。
A-4:Spring Accident
作詞:EPO / 作曲:大貫妙子
“曲や詞はすごく好きなんだけど、(歌の中のわたしは)ユキコ自身の気持ちとはちょっと違う” と本人は語る。転調の多さと矢口博康のサックスが印象に残る。
A-5:銀河のバカンス
作詞:高橋修 / 作曲:三井一正
ロマンティックなミディアムナンバー。そのボーカルは、松田聖子の「秘密の花園」(1983年)を思わせる。初期からのファンにとっては、『ヴィーナス誕生』の中でも比較的馴染みやすい作品だったかもしれない。
B-1:ジュピター
作詞・作曲:かしぶち哲郎
ロック色の強いナンバー。本人も相当ノッて歌っている様子。何度かのリテイクの後、最後に岡田有希子本人が歌い直したというエピソードが『MAKING OF ヴィーナス誕生』に掲載されている。路線変更をするのだったら、ロック系に行ってもよかったかもしれない… と今聴くと思うのだ。
B-2:くちびるNetwork
作詞:Seiko / 作曲:坂本龍一
カネボウ化粧品のCMソングのタイアップもあって、アルバムに先駆け1月にシングルリリースされたこの曲は大ヒットした。作詞した “Seiko” こと松田聖子が乗り移ったようなボーカルスタイル。その歌詞は、男性を翻弄し、自ら誘うコケティッシュでセクシーな女性を体現している。その言葉を一生懸命に表現する姿が愛おしい。
B-3:眠れぬ夜のAQUARIUS
作詞:麻生圭子 / 作曲:坂本龍一
AQUARIUS、水瓶座。松田聖子もアルバム『Tinker Bell』で同じく「AQUARIUS」という曲を歌っている。みずがめ座を目指すというところは同じだが、まっすぐ力強く飛んでいくような松田聖子の歌とはまた違う。障害のある恋を成就させるため、たおやかに三日月に乗って飛んでいくTWINKLE GIRLを演じられるのは岡田有希子が唯一無二のように思える。
B-4:水晶の家
作詞:高橋修 / 作曲:かしぶち哲郎
イントロからドラムが主役。メン・アット・ワークの「ダウン・アンダー」(1982年)をどこか思わせるリズムに、そこはかとないエロティシズムを内包した言葉。しっとりとしたメロディを歌いこなす岡田有希子のボーカルが艶やかだ。
B-5:愛のコロニー
作詞・作曲:かしぶち哲郎
歌詞を読み解きながら聴くと、とてもセクシーなワルツである。18歳の彼女が、いつかこういった場面に好きな人と身を置くことを想像しながら歌っていたのかと思うと涙がこぼれてくる。
―― 繰り返しになるが、彼女は岡田有希子として作品を歌うとき、歌詞の中に存在する女の子、女性の気持ちになりきっていた。頭の中で恋愛は十二分にしていたのだろう。そんな彼女は永遠の18歳として、ずっと変わらずに、リスナーの心のなかで今も生き続けている。
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2026.03.21