松田聖子や小泉今日子の成功例に倣った(?)岡田有希子の髪形の変化
「あ、髪切ってる!」
忘れもしない、1985年4月5日午後3時――。その日、福岡郵便貯金会館ホールで行われる岡田有希子コンサート『ハートにキッス』に、僕ら“ユッコ同盟”は参戦した。有希子ファンの同級生男子3人で結成されたチームである。平日の金曜日だったが、高校3年に上がる前の春休み中だった。
開演時間の午後3時を少し過ぎたころ、突如ダンサブルなイントロが始まった。彼女のセカンドアルバム『FAIRY』の収録曲「目をさまして、Darling」だ。ステージ上手から元気よく飛び出してくるユッコ。その瞬間、僕らの誰かが思わず叫んだのが、冒頭の言葉である。
後から知ったが、岡田有希子がそれまでのミディアムヘアーをショートにしたのは、全国ツアーが始まる直前の3月下旬である。当時、アイドルが髪を切るのは、ちょっとした事件だった。松田聖子は3年目の「赤いスイートピー」で、例の聖子ちゃんカットからショートに変えて大騒ぎになるも、それを機に “ぶりっ子” 路線から転じ、新たに女性ファンを獲得した。小泉今日子は2年目の春、事務所に無断で髪を切るも、その直後に出した5枚目のシングル「まっ赤な女の子」のイメージと合致してブレイクした。
恐らく―― ユッコもそんな先輩たちの “成功例” を見て、ほんの軽い気持ちで髪を切ったのだろう。聴くところによると、1年目の夏あたりからショートにしたい願望はあったものの、事務所から「岡田有希子のイメージがある」と反対され続けたらしい。それが2年目を迎え、5thシングル「Summer Beach」をリリースするにあたり、「夏曲だし、ショートもいいだろう」と、許しが出たという。同曲のリリースは4月17日。その一足先に、ツアーを通じてファンに新しい髪形を見せようとしたのが、義理堅い彼女っぽい。
物議を醸したユッコのイメチェン
ところが―― このイメージチェンジは思いのほか、ファンの間で物議を醸す。ショートとはいえ、それは襟足を短く、前髪を七三に立ち上げた、かなりボーイッシュなもの。かつての聖子サンやキョンキョン(初期)のソフトショートに比べ、“攻めた” ものだった。正直、僕も言葉が見つからなかった。眉メイクも眉尻が上げられ、全体的に80年代っぽい活発な女性像に寄せようとしているのが分かった。1年目のふんわりとしたシンデレラ路線からの大胆なイメチェンだった。
もちろん、ファンの中にも、このショートを似合うと評する人もいる。そして、恐らくユッコの周りにいた女性のメイクさんやスタイリストさんたちも、髪をショートにした同性に対するありがちな反応――「カワイイ!」を連発したに違いない(どうして女性同士って、明らかに似合ってないショートにも「カワイイ」と言うんでしょうね)。
でも―― 結果的に、この “ショート” へのイメチェンが、2年目の岡田有希子に暗い影を落とすことになる。これは歴史の事実である。そして僕は、このショート事件は、彼女の “終曲” へ向けた始まりにすぎないと思っている。
奇しくも今日、11月5日は、今から37年前の1985年に、彼女が生涯唯一の主演を務めた連続ドラマ『禁じられたマリコ』(TBS系)がスタートした日にあたる。そして、このドラマもまた、彼女の運命に暗い影を落とすことになる。
今回、僕は、「if もしも…… 2年目の岡田有希子」と銘打って、あえてファンとして、2年目以降のユッコに “ダメ出し” をしたいと思う。願いは1つ。どうしたら、あの悲劇を止めることができたか――。過ぎた時計を巻き戻せないことは分かっている。それでもなお、僕は「やり直せる分岐点はいくつかあった」と妄想する。ファンゆえの、僕なりの鎮魂歌(レクイエム)である。
岡田有希子と相性の良いソングライターは?
2年目の岡田有希子―― それは、ビッグなアドバンテージから始まった。前年の大晦日、TBSの『日本レコード大賞』で、彼女は最優秀新人賞に輝いた。つまり、1984年のデビュー組のトップに。芥川賞を受賞した新人作家の「芥川賞受賞第1作」じゃないが、次に出す4thシングルは注目され、半ばヒットが約束されたようなものだった。
それに先立って、所属元のキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)の渡辺有三プロデューサーは、2年目を迎える岡田有希子の新たなコンセプトを “フェアリー(妖精)” と決めた。そして、自身が担当する尾崎亜美サンに4thシングルの制作を依頼する。前年、デビュー3部作を書いた竹内まりやから尾崎亜美へ―― 傍から見れば、絵に描いたような王道路線の継承だった。
だが、そこに大きな落とし穴が潜んでいた。
後に尾崎サンがユッコに提供する「二人だけのセレモニー」も、5thシングル「Summer Beach」も、普通に良曲には違いなかった。リード曲「風の魔法で…」で参加したセカンドアルバム『FAIRY』も、確かに高いクオリティだった。でも―― 正直、僕は1年目に竹内まりやサンが書いた“ティーンエイジ・ラブ”路線に抱いたドキドキする思いをあまり感じなかった。実体のない “フェアリー(妖精)” がコンセプトだからだろうか。
いや、その答えは、アイドルとソングライターの相性にありそうだ。
思えば、山口百恵と宇崎竜童・阿木燿子夫妻、松田聖子とユーミン、中森明菜と来生えつこ・たかお姉弟等々、売れるアイドルにとって、相性のよいソングライターの存在は不可欠である。となると、岡田有希子にとってはやはり、竹内まりやという存在になる。先輩たちに習えば、ユッコは2年目以降も、もっとまりやサンと組んでもよかったのではないか。
そもそも、まりやサンがユッコのデビュー曲に起用された経緯が、渡辺有三プロデューサーが最初に決めた岡田有希子のコンセプト「六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん」に起因する。慶応大学繋がり(有三サンは幼稚舎からの生粋の慶応ボーイ)で、後輩にあたる竹内まりやサンに声がかかったのだ。そして書いた “ティーンエイジ・ラブ” のシングル3部作は、まるで短編小説のような世界観と、耳馴染みの良いメロディに包まれた秀作揃いだった。
ユッコは密かに大学受験を考えていた? 志望校は慶應義塾大学?
if もしも―― 2年目以降もまりやサンが継続してメインのソングライターとして起用されていたら、前年から成長して、少し大人びた少女を主人公に、僕らは珠玉の “ティーンエイジ・ラブ第二章” を聴けたかもしれない。それこそ、まりやサンがまだ慶応に在籍していたころ、キャンパスライフをテーマにリリースしたアルバム『UNIVERSITY STREET』あたりを彷彿とさせる―― それこそ、渡辺Pが最初に唱えた「六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん」の世界が垣間見られたかもしれない。
となると、山の手のお嬢さんの物語になり、大胆なショートへのイメチェンも回避できただろう。髪形がキッカケで「Summer Beach」で起きたファン離れも起きず、加えて、まりやサンが書いた6thシングル「哀しい予感」も、明るい曲調のナンバーに差し替えられていただろう。何より、当時高校3年のユッコに、キャンパスライフの楽しさを歌わせることに意味がある。そう、その先にあるのは、彼女の大学受験である。狙うは―― 渡辺有三Pが卒業し、竹内まりやサンも在籍した慶應義塾大学だ。
岡田有希子は勉強家である。ファンには有名な話だが、中学3年の時、日本テレビの『スター誕生!』の決選大会の出場を認めてもらう条件として、母親から提示された、
「学内テストで学年1位になること」
「中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること」
「第1志望の名古屋市立向陽高等学校に合格すること」
―― の3つの条件全てをクリアし、見事にアイドルになった逸話を持つ。
そんな彼女はアイドルになってからも、密かに大学進学を考えた時期があったという。実際、事務所の先輩の早見優サンは一浪して上智大学に入り、同期の菊池桃子サンも戸板女子短期大学に進学している。アイドルをやりながら大学生活を送る選択も十分あった。頭脳明晰なユッコなら、芸能活動を一時休止して、それなりの受験勉強を積めば、現役で合格できたのではないか。
if もしも―― 岡田有希子が大学受験するなら、志望校は先にも書いた、渡辺Pとまりやサン繋がりで、慶應義塾大学が有望だったろう。夏休みは全国ツアーに充てるとして、9月から芸能活動を休止して、本格的な受験勉強に入ったかも――。そうなると、10月リリースの7thシングル「Love Fair」は見送られ、あの妙な振り付けもしなくて済む(作詞・作曲の元ムーンライダーズのかしぶち哲郎サン、ごめんなさい!)。
岡田有希子主演ドラマ「禁じられたマリコ」の一件とは?
さて―― ここまで来れば、何が言いたいのか、もうお分かりですね。そう、37年前の今日、スタートした岡田有希子主演ドラマ『禁じられたマリコ』の扱いである。上記の通り、大学受験を目指して、芸能活動を休んで受験勉強に勤しんでいれば―― 同ドラマは代役を立てるか、お蔵入りになっていたはず。となると、ユッコは某俳優と出会うことなく、失恋しないで済んだ。
ちなみに、同ドラマ、幼少期のトラウマから超能力を身に着けた少女が、亡き父の無実を晴らすために悪の組織と戦うトンデモドラマだったが(当時、一応全話見ました)、大映ドラマっぽいものの、意外にも東宝の制作。今ひとつ針を振り切れないところなど、逆に残念なドラマだったのを覚えている。
ただ、一点だけ長所を挙げれば、ユッコ演ずる麻里子は高校生の役なので、比較的メイクが薄かった。当時、歌番組などで見る彼女はメイクが濃い印象だったので、ナチュラルメイクのユッコが見られたのは怪我の功名だった。
カネボウの春のキャンペーンのCMソングが、岡田有希子の「くちびるNetwork」
さて―― 年が明けて、1986年2月5日。この日、資生堂の春のキャンペーンのCMソングがリリースされる。中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(作詞・作曲:竹内まりや)である。ちなみに、ライバルのカネボウの春のキャンペーンのCMソングが、岡田有希子の「くちびるNetwork」(作詞:Seiko、作曲:坂本龍一)なのは言うまでもない。
if もしも―― 先にも記したように、2年目の岡田有希子のメインソングライターに、前年に続いて竹内まりやサンが起用されていたら、大学受験を経て、3年目の活動再開のタイミングでユッコが歌う楽曲も、当然、まりやサンの提供になっていた可能性が高い。となると、タイミング的に、ユッコが「色・ホワイトブレンド」を歌っていたのではないか。ちなみに、岡田有希子の好きな色は、白である。
リアルなことを言えば、僕はこの翌月の3月2日、福岡明治生命ホールで行われた岡田有希子「くちびるときめきネットワーク」の握手会に参加している。当日の彼女の衣装は、白のフワッとしたタートルネックのセーター。メイクは薄く、笑顔も自然で、なんだか昔のユッコに戻ったようだった。握手したその手はとてもやわらかく、小さかったのを覚えている。
そして、4月3日――。この日、慶應義塾大学の日吉キャンパスの日吉記念館で、同大学の入学式が行われた。if もしも―― ユッコが合格していたら、そこに、彼女の姿があったはず。
僕は、今でもユッコは大学に行くべきだったと、割と真剣に思っている。人間、居場所は多いほどいい。芸能界がちょっとツラくなったら、大学で過ごす時間を増やせばいいし、そこには、悩みを語り合える同年代の若者たちが大勢いる。それこそ、かつてまりやサンも満喫したキャンパスライフを楽しめたはず――。
慶應義塾大学の授業が始まるのは、入学式から5日後の4月8日である。
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2022.11.05