中森明菜でなければ歌えない!アーティストパワーを見せた「BLONDE」
中森明菜18枚目のシングル「BLONDE」は、1987年6月にリリースされた。1984年の「サザン・ウインド」以来、連続11作目となる1位獲得曲。まさしく女王の風格が漂っている。当時の風潮として洋楽っぽさが追求され、従来の歌謡ポップスの枠を超越した楽曲でありながら、妖艶でアクの強い表現は紛れもなく歌謡曲。複雑な構造で決して万人に受け入れられるタイプの曲ではなかったと思うが、並外れたアーティストパワーで1位を獲得した。
絶対に中森明菜でなければ歌えないし、彼女が歌っていなければそこまでのヒットには至らなかった曲ではないだろうか。なにしろ、オリコンの週間チャートでも『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、1987年の年間7位に輝く大ヒットだったのだ。
原曲はアルバム「Cross My Palm」からシングル用にアレンジ
原曲は、ビドゥーとウィンストン・セラの共作による「THE LOOK THAT KILLS」で、このあと8月にリリースされた全曲英語詞のアルバム『Cross My Palm』に収録される。
「BLONDE」は、アルバムとは異なるシングル用アレンジを中村哲が手がけ、麻生圭子による日本語詞が付けられており、随分と印象が違う。何より中森明菜の歌唱法が変えられている。高音が特徴的でドライな原曲よりも感情表現が重んじられた、艶っぽいヴォーカルが堪能できるのだ。
「BLONDE」の重要ポイント、エルメスのスカーフをあしらった衣装
歌番組ではエルメスのスカーフをあしらったボディコン風の衣裳が披露された。ジャケット写真の挑発的な表情は、数あるシングルの中でもベストの輝きを放っている。
そしてその衣裳のエルメスこそが、「BLONDE」の重要なポイントとなっている。曲が世に出された1987年6月といえば、バブル景気へ一直線の頃。後に起きるブラックマンデーの影響で、日本経済の好景気にはさらに拍車がかかる。そんなバブル期には、企業が文化や芸術に資金援助する、いわゆる “メセナ活動” が盛んになった。テレビ番組にも多数のスポンサーが付き、“トレンディドラマ” がブームとなる。後に中森明菜も『素顔のままで』で安田成美とダブル主演することになる、フジテレビの “月9ドラマ” 枠がスタートしたのも、1987年の4月であった。
各番組のタイトルバックには、衣裳タイアップとして、数々のブランドロゴが並んだものだった。経緯は不明だが、中森明菜のエルメスにもそんな時代背景が影響していることは間違いないだろう。毎回、斬新なアイデアでビジュアル的にもお茶の間を楽しませてくれた中森明菜スタイルを象徴しているのが、「BLONDE」の衣裳であった。
もはやツッパリ少女ではない! 変幻自在で非の打ちどころのないヴォーカル
そんな主張の強いスタイリングにも決して負けていない麻生圭子の詞は、ひたすら大人の女性の憂いを帯びて、かつて虚勢を張っていたツッパリ少女の嘆き節とは隔世の感がある。強がりながらも「女は誰も本当はだまされたい」などと揺らぐ複雑な女ごころを巧みに描いた麻生は、その表現を歌手として成長著しい中森明菜に託したのだった。レコーディング時の中森明菜はまだ21歳だったはずだが、少なくともその倍は生きてきたような、人生を達観した趣を感じさせる。変幻自在で非の打ちどころのないヴォーカル。とにかくすごい歌である。
そして次のシングル「難破船」で、中森明菜の神話はさらなる展開を見せ、チャート首位の奪取も1991年まで続いてゆく。世間と連動して、明菜バブルも絶好調だったのだ。
2021.05.20