日本でディナーショーを定着させた野口五郎
今年も残すところ、あと1ヶ月。全国のホテルでディナーショーが開催される季節となった。今や年末の風物詩と言ってもいい文化だが、日本でそれを定着させたのが野口五郎であることをご存じだろうか。1976年、海外でレコーディングする機会が増えていた野口はラスベガスで観たショーに着想を得て、ホテルの宴会場におけるコンサートを発案。同年12月に京王プラザホテルで初のクリスマスディナーショーを成功させる。フォーマルな雰囲気のなか、食事を楽しみながら歌手との距離が近いステージを鑑賞する――。新しいタイプのエンターテイメントは好評を博し、たちまち多くの歌手が続くようになった。
野口が先駆けとなったのはディナーショーだけではない。70年代前半、歌手の地方公演はバックバンドのメンバーから音響・照明の機器に至るまで、現地で調達するのが習わしだったが、野口は一流のスタッフと機材をパッケージ化。腕利きのスタジオミュージシャンと一緒に全国ツアーを廻るようになったため、週末は東京でレコーディングができないとの苦情が寄せられたこともあったという。
近年はライブの感動を持ち帰ることができるデジタルコンテンツ配信システム「テイクアウトライブ」を開発。さらに人間の非可聴域を含む低周波数の音で、脳の活性化や認知症治療への有効性が期待されている「DMV(Deep Micro Vibrotactile / 深層振動)」の導入を学界や医療機関との共同で推進するなど、次々と成果を上げている。その原動力は「いい音楽を豊かな音で届けたい」との熱い想い。だからこそ生音を伝えるライブの質の向上に一貫して取り組んできたわけだ。
クラシックとポップスを融合した最高峰の演奏
その野口が「新たな挑戦」と位置付けるライブが10月27日、東京の八芳園で開催された。題して『八芳園Harvest Day GORO NOGUCHI With N響メンバーによるゲートウェイゾリステン』。ちなみに “ゲートウェイゾリステン” とはNHK交響楽団に所属するソリストたちによって結成された演奏形態に捉われないユニットのこと。この日は弦カルテット(バイオリン:丹羽洋輔、宮川奈々 / ビオラ:御法川雄矢 / チェロ:山内俊輔)とコントラバス:本間達朗の5人が参加し、サックスの伊藤充志、ピアノの佐藤文音(野口の長女)とともに、クラシックとポップスを融合した最高峰の演奏を聴かせてくれた。
会場は美しい日本庭園に連なる1階の宴会場 “ジュール”。筆者は2回公演の第2部に参加したが、大広間に入ると中央部にスクエア型のステージが設営されており、このライブが従来のディナーショーとは異なるものであることが、早くも伝わってきた。聞けば、ジュールの雰囲気にマッチするよう、特別に取り寄せた素材で作られたステージだという。そのことからも本公演にかける野口やスタッフの意気込みが分かるというもの。ステージを取り囲むように配置された丸テーブルにはドレスアップした紳士淑女が飲食や会話を楽しみつつ、これから始まる歴史的瞬間を待ちわびている。
約30秒に及ぶ圧巻のロングトーンで観客を魅了

やがて客席が暗転。フォーマルな衣装に身を包んだ演奏陣が客席に向かってセッティングされたオーケストラチェアにスタンバイをすると、盛大な拍手のなかタキシード姿の主役が登場し、「愛の讃歌」をア・カペラで歌い始める。途中から弦、そしてピアノがオブリガートを奏で、2番ではアンサンブルに発展。この日を迎えられた感慨もあったのだろう。野口の歌声はいつにも増して絶好調で、約30秒に及ぶ圧巻のロングトーンで1曲目から満場を魅了した。
演奏陣7名を紹介したのち、2曲目は自身のレパートリーから「序曲・愛」(1981年)を披露。三木たかしが作曲を手がけたハートウォーミングなバラードで本領を発揮する。
続くMCでは1976年にディナーショーを始めたときのエピソードから、本公演を企画した経緯やコンセプトに言及。それによると公演名に使用された「Harvest」は “収穫祭” の意で、1年を通じてなんでも食べられるようになった今、クリスマスシーズン中心のディナーショーとは違う、季節を選ばないステージがあってもいいのではないかとの想いから、そうネーミングしたのだという。
デビュー以来、前例に捉われない活動を続けてきた野口だが、今回のライブも新しい仕掛けに溢れていた。本人いわく、このサイズの会場におけるセンターステージは初めての経験。至近距離にいるオーディエンスに、いろんな角度から立体的に見てもらうためにあえてそうしたものの、普段は意識していない後ろからの視線を強烈に感じて今日はすごく緊張していると言って笑わせる。そう、この軽妙なトークも彼ならではの魅力。数々の舞台やバラエティ番組で場数を踏んできたキャリア53年の為せる業と言えるだろう。
そしてもう1つ、N響メンバーとのコラボレーションも初めての試みだった。いつもはドラムやベースなどリズム隊による大音響をバックに自身もエレキギターなどを演奏する野口だが、この日は完全なアコースティック編成。日本を代表するソリストたちとの共演にワクワクが止まらないようで、曲間のMCではメンバーとの会話でコミュニケーションを深めつつ、ステージを進行していく。
どんなジャンルの楽曲も自分の歌として昇華し感動を呼び起こす野口五郎の真骨頂

「今日はこの編成で、皆さんにお馴染みの曲がどう聴こえるか。まずはこの曲から聴いてください」。そう言って歌い始めたのは代表曲の1つ「甘い生活」(1974年)で、コロナ禍ではできなかった、各テーブルを廻りながらの歌唱で来場者を感激させる。会場の四方や天井に配置されたスピーカーからDMV(深層振動)入りの豊かな音が流れるなか、ステージに戻った野口は「私鉄沿線」(1975年)も披露。歌い終わると「五郎ちゃ~ん!」の歓声が飛んだ。
「はい、五郎ちゃんですよ~」と笑顔で受け止めた野口はクラシック風にアレンジしたビオラの御法川に謝意を示したのち、またしてもユーモラスなトークを展開。改札口で君を待つ「私鉄沿線」の主人公が今ではストーカー扱いされてしまう世相を嘆く一方、自らの芸能生活を振り返りながら、モラルが時代とともに変化していることを数々の秘話を交えて紹介し、観客の興味を惹きつける。
中盤ではフュージョン歌謡の傑作「氷をゆらす人」(1981年)に続いて、ガットギターを手に「虹の彼方に(Over the Rainbow)」を熱唱。その後のMCでは自身が取り組むDMVの研究成果から、脳や身体によい影響を与える周波数の話となり、さらには恩師・筒美京平の姿に重なるモーツァルトに対する私見まで、音楽マニアで学究肌の野口らしい話題が続く。
そのモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を交えてアレンジされた筒美京平作曲の「青いリンゴ」(1971年)で場内を沸かせたあとは、野口が日本版初演でマリウスを演じたミュージカル『レ・ミゼラブル』から「カフェ・ソング」と「彼を返して(Bring Him Home)」を歌唱。圧巻のパフォーマンスで観客をミュージカルの世界へといざなった。どんなジャンルの楽曲も自分の歌として昇華し感動を呼び起こす野口五郎の真骨頂とも言える場面であった。
一流の演奏陣とのアンサンブルによる生の音の迫力と巧みな話術に会場が酔いしれるなか、新形式のライブはドラマティックなバラード「これが愛と言えるように」(2019年)と、野口が1976年以来、ステージで大切に歌い続けている「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメンのカバー)で締めくくられた。曲間のMCでは53年間の想いを吐露。来場者への感謝を述べるとともに、これからも歌手として想いが届くように歌い続けていきたいと決意を示して大喝采を浴びた。
鳴り止まぬ拍手のなか、再び登壇した野口はアンコールに応えて「見果てぬ夢」を披露。ミュージカル『ラ・マンチャの男』の劇中歌だが、1974年の中野サンプラザにおけるコンサート以来、ライブでたびたび歌われてきたファンにはお馴染みのナンバーだ。
大盛況のうちに幕を閉じた約90分間の一大エンターテイメント。京王プラザホテルにおけるディナーショーと同様、ショービズ界における伝説の一夜になることを確信した筆者はその場に立ち会えた幸運に感謝したが、豊かな音楽を届けることに貪欲な野口のこと。次回はさらに充実したステージを見せてくれるに違いない。
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2023.11.28