1980年の春の事だった。
私は当時アメリカ片田舎の中学校に通っていたのだが、卒業シーズンともなると学内のカフェテリアで様々なダンスパーティーが開催されていた。普通の州立学校は中学と高校が併設されており、ダンスパーティーも高校生の部と中学生の部などに別れていた。
中学の部は4時くらいから始まり、6時過ぎにはお開きとなるのだが、まだまだ中学生はお子様の分類で、ダンスパーティーがある日は特別にスクールバスがその時間に手配される。
よくアメリカの学校を舞台にした映画で、廊下に備え付けてあるロッカーの前でロマンスがあったり喧嘩があったりする場面が映っているが、これはアメリカでは日本のように決まった教室がなく、各自が廊下に並んでいるロッカーを割り当てられ、そこが生徒のベース基地になっているためだ。
年度初めに割り与えられたロッカーをその年度が終わるまで使うわけだが、それはカワイ娘ちゃんと同じクラスになるかどうかでその一年が天国になるか地獄になるかが決まる日本と同様で、アメリカではロッカーの列がカワイ娘ちゃんと同列になるかどうかで一年が決まるのだった。
その年、天使は私に微笑んだ。
5つ隣のロッカーを使用していた娘は、ブルック・シールズとフィービー・ケイツを足して2で割ったような娘だった。奥手だった私は、その娘と目を合わせることもできなかったのだが、何となく彼女からの視線を背中に感じていた。
以前も書いたのだがその年のヒット曲にザ・ナックの「マイ・シャローナ」という曲があった。これは男性が勝手に片思いをし、「何時になったら俺に振り向いてくれるんだよ、なあシャローナ」という妄想をする歌である。
まさにその時の私がナックであり、彼女がシャローナであった。勝手な妄想はドンドン膨らんでいく。目も合わせられないのに彼女とのデートを夢想したりしていた。
話をダンスパーティーに戻そう。その学校のルールかどうか知らないが、カフェテリアでのダンスは必ずカップルでなければ踊れなかった。イメージとしては『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の学内ダンスの場面のような感じだ。お気に入りの曲がかかると、男の子が女の子に「一緒に踊らない?」と声をかけ、成立するとフロアで一曲踊る。
奥手の私は女の子を誘う勇気もないので、壁にもたれてみんなのダンスを眺めていたのだが、ふと横を見るとたまたま近くに彼女が一人で座っていた。
偶然というのは恐ろしいもので、その時たまたま「マイ・シャローナ」が流れてきた。私は彼女が同級生なのか上級生なのかも知らないが、この卒業シーズンが過ぎると割り当てのロッカーも変わってしまい、二度と彼女に会えなくなってしまうかも知れなかった。
“せめてひと言でも口を聞いておきたい”―― 私は渾身の勇気を振り絞って彼女に言った。
「Shall We Dance?(一緒に踊らない?)」
↓
↓
↓
↓
↓
「No」
“せめてひと言”… ある意味願いが叶った瞬間であった。
2019.03.07
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