拡大解釈されているシティポップというキーワード シティポップが “来てる” とか “ブーム" とか言われて久しい。シティポップという言葉自体が音楽業界でよく使われるようになってから10年以上経つし、竹内まりや「プラスティック・ラヴ」がYouTubeでバズったとか、松原みき「真夜中のドア~stay with me」が海外でめちゃくちゃ聴かれているとか、そういった現象もすでに5年ほど前のこと。もはやブームというよりもすっかり定着し、70年代や80年代のシティポップを懐かしむということだけでなく、若い世代には新鮮に捉えられて、新しいアーティストによる “ネオ・シティポップ” も多数生まれている。R&Bやラップと同じくらい、シティポップを取り入れるのは珍しくも何ともないことになった。
同時に、シティポップというキーワード自体がかなり拡大解釈されている。本来は70年代の半ばから80年代後半くらいまでに音楽シーンの主流のひとつとなった洗練されたポップスのことを指す言葉だったはずだ。シュガー・ベイブに始まり、山下達郎、南佳孝、大貫妙子、吉田美奈子、稲垣潤一、杉山清貴&オメガトライブなどなど、いわばこの時代の “顔” のようなアーティストと、その楽曲をシティポップと呼ぶことにさほど異論はないだろう。
しかし最近では、こういったアーティストと対立するような位置にいたはずのアイドルポップスやアニソン、そして歌謡曲などの中でも、ちょっとオシャレ感があればシティポップと名付けられている。異論反論あるかもしれないが、そもそもシティポップには明確な定義があるわけではないので、そのあたりは自由でいいのではないかと個人的には考えている。
なぜ90年代シティポップなのか? では、本稿のお題である “90年代シティポップ” というのはどこまで理解されるのだろうか。この度、『CITY POP GROOVY ’90s -Girls & Boys-』というコンピレーションアルバムを制作した。これは文字通り、90年代のシティポップを集めたアルバムで、2枚組仕様になっており、それぞれ女性ヴォーカルを集めた “Girls side” と男性ヴォーカルを集めた “Boys side” に分けて収録している。70年代、80年代以外はシティポップと認めないシティポップ原理主義者には邪道とみなされるかもしれない。しかし、なぜ90年代シティポップなのか? ということに関しては明確な理由があるのだ。
シティポップは、音楽ジャンルとしての明確な定義はないとはいえ、無理やりざっくりと定義してみると、“70年代半ばから80年代末くらいまでに盛り上がった、洋楽(AOR、ソウル、フュージョンなど)に影響を受けて作られた洗練されたポップス” だろうか。そういう流れで言うと、90年代においては、主流ではないといえ “洋楽に影響を受けて作られた洗練されたポップス” は多数存在するし、80年代的なセンスや趣味は90年代以降も脈々と続いているのは間違いない。
音楽シーンの大きな流れで言うと、バンドブームが来て、ドラマタイアップで中堅やベテランたちがミリオンヒットを連発。“TKサウンド” やビーイング・サウンドが隆盛し、そのカウンターとして渋谷系といわれるアーティストも多数メジャーシーンに登場。クラブミュージックからもヒット曲が生まれ、ヒップホップやレゲエ、そしてR&Bディーヴァたちが90年代にとどめを刺す、といったところだろう。これほど激動の音楽シーンの中にもみくちゃにされれば、オーセンティックなシティポップ・サウンドが埋もれてしまうのは仕方がないだろう。
1996年に「誰より好きなのに」でブレイクした古内東子 それでも、シティポップ的な感性のアーティストは、果敢に良質な作品を作り続け、なかにはブレイクすることもあった。女性ヴォーカリストでいえば、古内東子の名前を挙げないわけにはいかないだろう。1993年にデビューし、1996年にシングル「誰より好きなのに」がヒットしてブレイク。恋愛ソング(そのほとんどが失恋)が高く評価され、ユーミンや竹内まりやの後継者と言われ、“恋愛の教祖" とまで評されることもあった。『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』などテレビ番組での露出もあり、テレビで知ったという方も多いだろう。
実際、彼女は音楽のルーツとして、ホール&オーツ、スティーリー・ダン、アース・ウィンド&ファイアーなどのAORやブラックミュージックを挙げている。また、海外レコーディング作品が多く、その中ではブレッカー・ブラザーズ、デヴィッド・サンボーン、ボブ・ジェームス、デヴィッド・T・ウォーカー、マーカス・ミラー、ジェームス・ギャドソンなどなど、目を疑うようなクレジットが並んでいる。このプロダクションは、まさしくシティポップとしか言いようがない。
なお、『CITY POP GROOVY ‘90s -Girls & Boys-』には、「誰より好きなのに」を収録した名盤『Hourglass』(1996年)から「いつかきっと」をセレクトした。こちらは日本での録音だが、プロデューサーの小松秀行(元オリジナル・ラヴのベーシスト)と佐野康夫(ドラムス)のリズムセクションに加え、中西康晴(ピアノ)、斎藤誠(ギター)、三沢またろう(パーカッション)といった名うてのメンツで固めており、グルーヴィーなドライブソングに仕上がっているのでぜひ聴いていただきたい。
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和製AORの究極の1曲、SING LIKE TALKING「風に抱かれて」 男性アーティストの代表を挙げるとなると、やはり外せないのがSING LIKE TALKINGだ。佐藤竹善、藤田千章、西村智彦の3人組がデビューしたのは1988年。デビュー当時は、TOTOのジェフ・ポーカロとエリック・クラプトンなどのサポートで知られるネイザン・イーストを迎えてスペシャルライブを行っている。鳴り物入りでデビューした彼らはぎりぎり80年代にかかっているのだが、当時はすでにバンドブームが襲来し、いわゆるロックの時代だ。AORやソウルミュージックに影響を受けた、いわば正統派ともいえる彼らは時代遅れとみなされたのだろうか。デビュー当初、業界受けは良かったものの、完全にブレイクするまでは5年近くの月日を要した。
『CITY POP GROOVY ‘90s -Girls & Boys-』には、アルバムチャートで首位を獲得した傑作アルバム『togetherness』(1994年)に収録された「風に抱かれて」をピックアップしている。この曲には、沼澤尚(ドラムス)、松原秀樹(ベース)、塩谷哲(ピアノ)、斎藤ノヴ(パーカッション)という豪華なメンバーがサポートしているが、それだけではなく、ラリー・ファーガソンとキャット・グレイがプロデュースに関わり、あの「ベスト・オブ・マイ・ラブ」のヒットで知られるコーラスグループのエモーションズがコーラスで参加するというとんでもないプロダクションによる1曲なのである。和製AORの究極の1曲であり、90年代シティポップの最高峰という言い方もできるだろう。
VIDEO このように、80年代から90年代へとディケイドが変わっただけで、同じように良質なシティポップ的な音楽は作り続けられていたのである。ただ単に、先に挙げた様々な90年代のムーヴメントに隠れて目立たないだけで、シティポップは脈々とその枝葉を伸ばし、醸成されていったのだ。
よく誤解されるのは、“90年代のシティポップって渋谷系ですよね?” と言われることだ。これも解釈の違いなので、あくまでも私見ではあるが “渋谷系=シティポップ” ではないと考えている。渋谷系の特徴として、過去の音楽を体系立ててじっくり消化するというよりも、サンプリング的に引用したトリッキーな作風が多いことが挙げられる。どちらかというとヒップホップのような編集された音楽という印象だ。シティポップは、旧来のミュージシャンシップによって、スタジオで時間とお金をかけて作られた音楽でもある。『CITY POP GROOVY ‘90s -Girls & Boys-』には、渋谷系に隣接した楽曲はあるが、敢えて渋谷系を外した楽曲を集めているので、そのあたりの微妙な違いも含めて注意深く聴いていただきたい。
クレジットだけで判断せず、ぜひ耳で確かめていただきたい 『CITY POP GROOVY ‘90s -Girls & Boys-』をコンパイルして気付いたのが、女性ヴォーカルは、谷村有美、五島良子、佐藤聖子、井上睦都実などいわゆる “ガールポップ” と呼ばれたアーティストが多いこと。逆に男性ヴォーカルはソロが少なく、THE BOOM、キリンジ、benzo、THE SHAMROCKといったソウルやファンクを取り入れたバンドやユニットの楽曲が中心になった。このあたりはまた別の機会に検証していきたいと思う。なかにはプリンセス プリンセスの奥居香やaccessの貴水博之という意外な名前や、レゲエシンガーのMOOMINやR&BのSugar Soulといったジャンル違いのアーティストも含まれているが、クレジットだけで判断せず、なぜその楽曲が収められているのかを、ぜひ耳で確かめていただきたい。
『CITY POP GROOVY ‘90s -Girls & Boys-』は、90年代シティポップを集めてひとつの指針にしたいと考えて制作したコンピレーションアルバムだ。とはいえ、これだけが正解でもないだろうし、まだまだ埋もれた楽曲が多数存在するのは言うまでもない。これを機に、90年代に限らず、新しい価値観や概念でシティポップをキーワードに再発見と再評価をしてみてもいいのではないかと思っている。
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2024.08.14