いつの間にか消えて無くなってしまったが、僕は現在の薬師丸サンを見ていても、勝手に脳内補填してしまうほど、この目元の泣きぼくろが好きだ。そして、それを見る度、思うのだ。ああ、守ってあげたい…と。
参考:
「セーラー服と機関銃 ー ひろ子姫の小さな泣きぼくろとカスバの女(前篇)」映画『セーラー服と機関銃』の中で、薬師丸ひろ子が演じたのは「星泉」という名の女子高生だ。死んだ父親が好きでよく口ずさんでいたという設定で、彼女は「カスバの女」を自身の登場シーンで歌う。
しかし、このシーンは超ドS監督の演出で海老反りブリッジをさせられているので、ひろ子姫の顔はスクリーン上では逆さまに映る。そして、緊張で爛々と輝きを増す瞳に僕たちはつい見入ってしまった。あの泣きぼくろから観客の意識は完全に離れてしまう。
その衝撃的な映像は、それまで “ひろ子ファン” の庇護欲をそそってきた目元から発する「絶対魔力」を完全に封じてしまう。相米慎二監督は薬師丸ひろ子最大の魅力を「邪魔だ」とばかり無視するのである。
さて、ここからが本題―― 今からさらに私はひとり妄想し、監督に勝手になりきる。
いいか、君たち! 今日これから見せる薬師丸ひろ子は、「お父さ~ん」と言って『野性の証明』で高倉健に守られている娘でも、CMでみせた思春期特有の甘い感情で涙を流す少女でもないぞ。勿論、ブラウン管の中で作り笑いを見せている都合のいいアイドルのお姉ちゃんでもない! 今度のひろ子はな、父親の死によりそれまであったフツーの生活から解放された女なんだ。たった一人で男たちを束ねヤクザの組長として生きていく。そういう強さを持った女だ! どうだッ!
そうして、ひろ子姫は「カスバの女」を歌った。私はあなたたちが思っているような、かわいい女じゃないのよと…
さらに監督は次なる手を打ってくる。ワンシーンワンカットというヴァーチャルリアリティにも似た映像体験―― それは、まるで目の前に生身の薬師丸ひろ子が現実に存在するかのような映像だ。もちろんスクリーンの中、触れようとしても姫には触れることなどできるはずもない。お触り禁止である(このドS監督め!)。
相米慎二の暴力にも似た演出―― 僕たちは、団塊世代の面倒くさそうなオジサンにひょいッと首根っこを摑まれてスクリーンの中へポーンと投げ込まれてしまった。そして、スクリーンを見つめる観客たちの心はざわつき始める――
そう、この映画の主人公は、少女の危うさを秘めつつも、今までに見たことがない新しい時代を象徴する強い女なのだ。80年代の絶対的ヒロイン。ただの “かわいこちゃん” ではなかったのである!
そして、僕たちはそれまでのアイドルからは感じることのできなかった「生身の女」をスクリーンから感じることになる。
ババババ、バババババッ、ババババンッ! 機関銃を振り回し弾を撃ち尽くしセーラー服姿のひろ子姫が高揚しながら呟く。
カ ・ イ ・ カ ・ ン。
セリフが示す通り、薬師丸ひろ子演じる「星泉」は子分を殺された怒りだけで機関銃をぶっ放している単細胞ではない。このとき、この女子高生は銃器の持つ強烈な支配力を得て快楽さえ感じているのである。今風に言えば「チョー、気持ちいいんですけどぉ~」である。当然、男に裏切られて復讐を果たす『女囚さそり』のような哀しみ、恨み節も存在しない。時代はがらりと変わる。男の庇護なんて入り込む余地は微塵もない。彼女はたったひとりで未来へと歩き出す。
スーツケースいっぱいに つめこんだ
希望という名の 重い荷物を
君は軽々と きっと持ち上げて
笑顔見せるだろう
ひろ子姫が機関銃を撃つ姿は、強かに自由に女が生きていくための所信表明だった。それは主題歌の歌詞にも表わされている。
強さを増した黒い瞳の傍にあの小さなほくろはまだあったが、すでにその魔法は解けてしまっていた。
歌詞引用:
セーラー服と機関銃 / 薬師丸ひろ子
2018.02.13