週末ふらっと本屋に立ち寄った。店内に入ってすぐに毎回決まって行うことがある。
「今、必要な本があったら教えてね」と心に語り掛けてから、ずらりと並んだ本を眺めながら歩く。すると、興味を掻き立てる本に出合う確率が高い。これは潜在意識を開くスイッチのようなもので、直観的な眼で眺めることができるようになる。
手前の棚から本のタイトル眺め、ゆっくりと店の奥へと進んでいくと、店内に流れる曲が耳に入ってきた。聞き覚えのある曲だが、聞き覚えの無い声。原曲に忠実なカバーソングであることは分かるのだが、誰のなんという曲なのかまったく思い出せない。
しかし、なぜだか歌詞がスラスラと浮かび、曲に合わせて最後まで歌えてしまった。潜在意識がONになり、記憶の扉も開いていたのだろうか。
誰の曲なのかが気になり、すぐに検索してみると、1987年2月4日にリリースされた本田美奈子の「Oneway Generation」だった。しかし、本田美奈子の顔は分からないし、顔写真を見てもやはりピンとこない。それなのになぜ歌詞が記憶に残っているのだろう?
とても気になり、今度は歌詞を検索してみる。なるほど、現在までに5000曲以上を手掛けている天才、『秋元康』が作詞を担当していた。「川の流れのように / 美空ひばり」「夏の午后 / 崎谷健次郎」といい、彼の歌詞は心に残るものが多い。
今居る場所さえ わからないように
自分の生きかたが
見えない時ってあるよね
話してはみたけど
言葉が 一方通行みたいで
遠くの夢なんて
大人はわかってくれない
進路や就職など「将来」と向き合う、思春期の心の葛藤を見事に表現した歌詞。
今 ひとりで何かを探して
今 知らないどこかに向かって
未来は、「期待」と「不安」のパラドックスを含んでいる。
「期待」は “変化すること” を望み、それを喜び、楽しむ。「不安」は “変化しないこと” を望み、漠然とした恐れを伴う。
世の中が、社会が、どんなものかも分からない。大人の意見は心に響かない。学校のカリキュラムで定められたタイミングで、将来の選択に迫られる。もやもやとした感覚が胸を締め付ける。明確な何かがあるわけではない。
戻れない片道のチケットと
夢だけを信じたい
というメッセージで曲は終わる。漠然としたビジョンだけを頼りに手探りで進み続ける。「本当にこれで良いのだろうか?」と自問自答しながら。
大人になれば、社会人になれば、平穏で淡々とした日々が過ぎていくのだろうと思っていた。でも、違う。年齢を重ねるだけでは満たされることはない。将来への不安や葛藤は、心が満たされなければいつでも襲ってくる。心はモノやお金では完全には満たされない。常に未来への不安を抱き続けることとなる。
この不安から自由になれる方法はなんだろう。仏陀の言葉にヒントがある。
1― 愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。
2―「わたしは愚かである」と認められる者こそ、 賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。
3― もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
執着と欲求を手放し、自我を小さくし、謙虚に、何事にも誠実に、感謝を忘れずに過ごすこと。自分の欲を満たすための感謝ではなく、ひとりではなにもできないことに心から気づくことができたなら、感謝の質は変わり、必ず現実は変化する。
「感謝さえ忘れなければ大丈夫」
この本当の意味が分かるようになったとき、時の十字架から自由になれるだろう。
2018.03.01
YouTube / MinakoHondaVEVO
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